ニニスキ
| ニニスキ | ||||||||||||||||||
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| 欧字表記 | Niniski | |||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド | |||||||||||||||||
| 性別 | 牡 | |||||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛 | |||||||||||||||||
| 生誕 | 1976年2月15日 | |||||||||||||||||
| 死没 | 1998年11月??日(22歳没) | |||||||||||||||||
| 父 | Nijinsky | |||||||||||||||||
| 母 | Virginia Hills | |||||||||||||||||
| 母の父 | Tom Rolfe | |||||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | Caper Hill Farm | |||||||||||||||||
| 馬主 | Lady Beaverbrook | |||||||||||||||||
| 調教師 |
Dick Hern( | |||||||||||||||||
| 競走成績 | ||||||||||||||||||
| 生涯成績 | 14戦6勝 | |||||||||||||||||
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ニニスキ(Niniski、1976年2月15日[1] - 1998年11月)は、アメリカ合衆国生産・イギリス調教の競走馬である。主な勝ち鞍はアイリッシュセントレジャー(1979年)、ロワイヤルオーク賞(1979年)。
来歴
ニニスキは、額の流星と3本の脚の所謂靴下が特徴の持つ鹿毛の馬で、アメリカ合衆国ケンタッキー州のケイパー・ヒル・ファーム・インクで生産された。
1歳馬の時にサラトガのセリ市に出され、ビーバーブルック夫人の代理人によって9万ドルで購入された[2]。ビーバーブルック夫人は一風変わったところがあり[3]、ダービー勝ち馬に最も多く見られるという理由で、所有する馬の大半に対し、Bustino、Terimon、Boldboy、Mystiko、Petoskiなどの7文字の名前を与えていた[4]。
競走馬時代
2歳(1978年)
ヨーロッパに到着して間もなく、肺炎によって生死の境を彷徨った[5]。同年は本格的な調教が行われず、10月にニューベリー競馬場で行われた6ハロン戦に出走したものの、23頭立てでマーシャルアーツの12着に終わった[2]。
同年のタイムフォームは、ニニスキに具体的なレーティングは付与せず、通常以上の成長への期待を意味する「p」という記号で評価し、「3歳時には中距離でより良い走りを見せるだろう」と述べた[2]。
3歳(1979年)
3歳初戦としてニューマーケット競馬場の1マイル戦に出走するとここで初勝利。
続く5月、ヨーク競馬場で行われた10.5ハロン戦のグラスゴーステークスに出走したが、ピーター・ウォルウィン厩舎のニューベリーにアタマ差で敗れた。
6月6日、エプソム競馬場で行われた1.5マイル戦の第200回ダービーステークス(G1)に単勝81倍という大穴で出走すると、同厩舎のトロイが勝利する中で23頭立ての9着。
更にグッドウッド競馬場での1.5マイル戦であるゴードンステークス(G3)に出走し、同厩舎のモアライトから4分の3馬身差の2着[6]。
8月にはニューベリー競馬場で13.5ハロン戦のジェフリーフリアステークス(G2)に出走。ウィリー・カーソン鞍上で初めての古馬との対戦となる7頭立てのレースでは、後方から直線に入って進出し、残り1ハロン付近で先頭に立つと、終盤には後続を突き放し、アイリッシュセントレジャーやバーデン大賞の勝ち馬である4歳馬のエムロルシャンに3馬身差付けて勝利。
9月にドンカスター競馬場で行われた第203回セントレジャーステークスにおいては、カーソン鞍上で1番人気タイに支持された。直線入口で先頭に立ったものの、終盤で失速し、フランスから遠征したサンオブラブ、ソレイユノワールの2頭に次ぐ3着に終わった。
10月13日のカラ競馬場で行われたアイリッシュセントレジャー(G1)では単勝2.1倍の1番人気に支持され、残り2マイルから他馬を圧倒すると、トーラスに10馬身差付けて快勝した。タイムフォーム社は、これほど圧倒的な勝ち方は滅多に見られないと評した[6]。
その2週間後、ロンシャン競馬場の3100メートル戦で、同年から始めて古馬に解放されたロワイヤルオーク賞(G1)に出走し、単勝2.4倍の1番人気に支持された。中盤で苦戦し気味であったがそこから盛り返し、3番手で直線に入った。残り400メートルで先頭に立つとそのまま押し切り、後のターフクラシック勝ち馬である牝馬のアニファに1馬身半差付けて優勝した。これは1962年以来となる外国調教馬による同競走制覇であり、更にニニスキはアイリッシュセントレジャーとロワイヤルオーク賞の双方を制した史上初の馬となった[6]。
インターナショナル・クラシフィケーションはニニスキに対し、トロイより12ポンド低く、同世代の英国調教馬の中で6番目となるレーティングを与えた。同年のタイムフォームはニニスキに対し、トロイより12ポンド低い125ポンドのレーティングを与えた[6]。
4歳(1980年)
4歳初戦は4月にニューベリー競馬場で行われた1.5マイル戦のジョンポーターステークス(G2)に出走し、カーソン鞍上で単勝3.0倍に支持された。最後の直線に入る際に内ラチ沿いで進路を塞がれて厳しい状況に陥り、外へ持ち出して進路を確保した時点で先頭から8馬身も離されていた。しかし、ここから驚異的な末脚を繰り出し、残り1ハロンで先頭に立つと、そのままモースコードに3馬身差付けて勝利した。
1ヶ月後にチェスター競馬場のオーモンドステークス(G3)へと出走すると、単勝約1.571倍の圧倒的1番人気に支持されたが、前走程の勢いはなくトゥーオブダイアモンズやソンフィス相手の辛勝に留まった。
6月にエプソム競馬場のコロネーションカップ(G1)ではカーソン鞍上で1番人気に支持されたが、後方待機策を採ったが先頭のシーチャイムズを捉えきれず、2馬身半差の2着に敗れた。タイムフォームは、硬い馬場が合わなかったのでははないかと指摘している[7]。
その後、10月5日にロンシャン競馬場の凱旋門賞(G1)に出走すると、ジョー・マーサー鞍上で単勝22倍となり、20頭立てで勝ち馬デトロワから大きく離された13着に終わった。
前年に制したロワイヤルオーク賞(G1)に出走して単勝5.0倍の3番人気に支持されたが、13頭立てで勝ち馬ゴールドリヴァーから5馬身離された6着に終わった[7]。
同年のタイムフォームはニニスキに対し、118ポンドのレーティングを与えた[7]。
ハーン調教師はニニスキについて、これまで手掛けたどの馬にも劣らず、闘争心に富んでいて丈夫な上、誠実で調教もしやすかったと述べている[5]。
種牡馬時代
引退後はニューマーケットのランウェイズスタッドで種牡馬入りし[8]、種付け料は2500ポンドに設定された[7]。
初年度産駒から最優秀2歳馬のカラダンサーやキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス勝ち馬のペトスキを輩出し、1984年のファーストシーズンリーディングサイアーとなった[5]。その他の産駒としては、エルナンド、ミンスタースン、アラルポカルとジョッキークラブ大賞の勝ち馬カイタノ、イボアハンデキャップ勝ち馬サピエンス、アセッサー、サンセバスチャン、そしてG1複数勝でデインドリームの父のロミタスなどが挙げられる[9]。
1998年に安楽死となった。ランウェイズスタッドのカーステン・ラウシングは、ランウェイズスタッドの成功は全てニニスキのおかげとした上で、永遠に感謝し続けると語った[5]。
主な産駒
※G1馬及び日本の重賞馬のみ
- 1982年産
- Kala Dancer - 1984年デューハーストステークス
- Petoski - 1985年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、1985年プリンセスオブウェールズステークス
- 1985年産
- Minster Son - 1988年セントレジャーステークス、1988年ゴードンステークス
- 1986年産
- Louis Cyphre - 1991年マーヴィンルロイハンデキャップ、1991年レーニアマイルハンデキャップ
- 1988年産
- 1989年産
- Assessor - 1992年ロワイヤルオーク賞、1993年カドラン賞、1993年ヨークシャーカップ、1992年産ダービートライアルステークス、1993年ドンカスターカップ、1995年セントレジャーイタリアーノ
- 1990年産
- 1991年産
- Vialli - 1998年JRAクラシック、1994年ヘルティー大賞、1996年エナーコステークス、1996年エラスリーファイエットパークステークス
- 1994年産
母の父としての産駒
※G1馬及び日本の重賞馬のみ。カタカナ馬名頭の*印は本邦輸入を示す
- 2000年産
- Alkaased(*アルカセット) - 2005年ジャパンカップ、2005年サンクルー大賞、2005年ジョッキークラブステークス
- ゴールデンキャスト - 2004年・2005年セントウルステークス
- 2003年産
- *タイキレーザー - 2008年東京オータムジャンプ
- 2005年産
- Lady Jane Digby - 2010年バイエルンツフトレネン、2009年ヴァルターJヤコブス牝馬賞
- 2007年産
- Enora(*エノラ) - 2010年ディアナ賞
血統表
| 父系 | ニジンスキー系 [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Nijinsky1967 鹿毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
| Lady Angela | ||||
| Natalma | Native Dancer | |||
| Almahmoud | ||||
父の母 Flaming Page1959 鹿毛 |
Bull Page | Bull Lea | ||
| Our Page | ||||
| Flaring Top | Menow | |||
| Flaming Top | ||||
母 Virginia Hills1971 鹿毛 |
Tom Rolfe 1962 鹿毛 |
Ribot | Tenerani | |
| Romanella | ||||
| Pocahontas | Roman | |||
| How | ||||
母の母 Ridin' Easy1967 栗毛 |
Ridan | Nantallah | ||
| Rough Shod | ||||
| Easy Eight | Eight Thirty | |||
| Your Game | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 16-b) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | なし [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
脚注
- 1 2 “Niniski pedigree”. Equineline (2014年3月7日). 2014年5月15日閲覧。
- 1 2 3 Timeform staff (1979). Racehorses of 1978. Timeform. ISBN 0-900599-27-8
- ↑ Davies, David Twiston (1996). Lady Beaverbrook obituary. Dundurn. ISBN 9781550022520 2011年9月22日閲覧。
- ↑ “Names of racehorses”. The Independent. 2006年6月3日. 2022年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2011年9月22日閲覧.
- 1 2 3 4 “Rausing pays tribute after death of Niniski”. Racing Post (1999年2月19日). 2014年5月17日閲覧。
- 1 2 3 4 Timeform staff (1980). Racehorses of 1979. Timeform. ISBN 0-900599-29-4
- 1 2 3 4 Timeform staff (1981). Racehorses of 1980. Timeform. ISBN 0-900599-31-6
- ↑ “Lanwades Stud – Niniski”. Lanwades. 2014年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月17日閲覧。
- ↑ “Niniski Stud Record”. Racing Post (2012年2月15日). 2014年5月17日閲覧。
- 1 2 3 4 “5代血統表 血統情報 Niniski(USA)”. JBISサーチ. 2026年10月31日閲覧。
- 1 2 “Thoroughbred Bloodlines – Windermere – Family 16-b”. Bloodlines.net. 2021年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月16日閲覧。
- ↑ Tony Morris (2011年9月3日). “Triple Crown hero who will live long in memory”. Racing Post. 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。