ビッグブラウン

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ビッグブラウン
欧字表記 Big Brown
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 2005年4月10日(20歳)
父 Boundary
母 Mien
母の父 Nureyev
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Monticule
馬主 IEAH Stables
& Paul Pompa Jr.et al
調教師 R.ダトローJr.(アメリカ)
競走成績
生涯成績 8戦7勝
獲得賞金 3,614,500USドル
勝ち鞍
G1フロリダダービー2016年
G1ケンタッキーダービー2016年
G1プリークネスS2017年
G1ハスケル招待S2017年
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ビッグブラウン (Big Brown) はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。おもな勝ち鞍は2008年のケンタッキーダービー、プリークネスステークス。

経歴

デビュー前

2007年4月のキーンランド2歳トレーニングセールにて19万ドルで落札される。

2歳・3歳(2007年 - 2008年)

2007年の9月に行われた芝のデビュー戦を11馬身差で圧勝。半年の休養を挟んだ後、翌2008年3月に行われたダート戦のアロウワンス(一般競走)も直線入り口で先頭に立つとあとは後続に12馬身差をつける圧勝と、デビューからの2戦をともに大差勝ちを納めた。

陣営はケンタッキーダービーを見据え、その前哨戦であるG1競走フロリダダービーへビッグブラウンを出走させる。結果は、ビッグブラウンが一度も先頭を譲らずそのまま5馬身差をつける圧勝であった。この後日、全米2歳チャンピオンのウォーパスの故障により、このフロリダダービーを含めたデビューからの連勝、しかもすべてが圧勝ということで一躍ケンタッキーダービーの大本命とされるようになる。

迎えたケンタッキーダービーでは20頭立ての大外20番枠と先行して押し切る競馬を得意とするビッグブラウンにはやや不利な枠となる。レースではやはり大外枠が影響して、内枠発走であった馬達に先行を許すが、第4コーナーあたりで徐々に順位を押し上げ、直線で先頭に立つと後続を引き離して5馬身近くリードを保ってゴールイン。4戦4勝でバーバロ以来の7頭目の無敗、1915年リグレットに並ぶ3戦の最少キャリア、20番枠では1929年クライドバンデューセン以来のケンタッキーダービー制覇となった。同馬を管理しているリチャード・ダトロー・ジュニア調教師はケンタッキーダービー初制覇となった。レース後の5月15日には当年限りで競走馬を引退して総額5000万ドル(約51億円)以上とも言われるシンジケートが組まれ、スリーチムニーズファームで種牡馬入りすることが発表された。

2週間後のプリークネスステークスでは3番手を追走し、直線入り口で先頭に立つと、そのまま2番手以下を引き離して優勝。2着のマッチョアゲインにつけた着差は5馬身1/4と、ゴール前でデザーモが手綱を緩める余裕があったほどの圧勝で、2004年のスマーティージョーンズ以来4年ぶりの無敗での二冠達成となった。レース後、ビッグブラウンは左前脚の裂蹄を発症した。

そしてアファームド以来30年ぶりの三冠、シアトルスルー以来31年ぶりにして史上二頭目の無敗での三冠達成がかかったベルモントステークスでは、圧倒的な1番人気に支持され、1番枠を引き当てた。ライバルと目されていたのは日本から遠征し、前年のラグズトゥリッチズに続くベルモントステークス兄妹三連覇に臨むカジノドライヴであったが、カジノドライヴは挫石により直前で同レースの出走を取り消した。レースでは、まずまずのスタートを切り、ハナを奪ったダタラ、テイルオブエカティに続く三番手でレースを進めた。第3コーナー半ばで鞍上のデザーモが手綱を動かすが、ペースが上がらず早々に失速すると、デザーモは異常を感じたのか直線の手前で馬体を大きく外側へ持ち出して馬群から引き離し、最後は負担をかけぬように減速させながらゴールへと向かった。最下位入線であるが公式記録上は「競走中止」扱いとなっている。勝利したのは、ハナを奪ってそのまま押し切ったダタラだった。

今までほとんどのレースで圧勝してきた本馬が、レース後の検査で異常が見つからなかったベルモントステークスで大敗したことで、各方面で敗因について様々な議論が交わされた。調教が軽過ぎたのではないか、当日の暑さにやられたのではないか、前半行きたがった本馬を抑えたデザーモの騎乗ミスではないか、あるいは右後肢の蹄鉄が外れかかっていたことが影響したのではないかなど、さまざまな要因が取りざたされたものの、敗因を特定するにはいたらなかった[1]。

約2か月の休養をはさんでの復帰戦に選ばれたのはハスケルインビテーショナルステークスだった。2番手を追走すると、ゴール前で逃げたコールプレイを差し切り復帰戦を白星で飾った。続いてデビュー戦以来となる芝コースのモンマスステークスに出走、プラウディンスキーをクビ差抑えて優勝した。

その後ブリーダーズカップ・クラシックを目指して調整がされていたが、10月13日にアケダクト競馬場の芝コースでの追い切りで右前脚に故障を発生、そのまま引退することとなった[2]。

種牡馬として

2009年よりスリーチムニーズファームで種牡馬として供用される。初年度の種付料は6万5000ドル。2010年からはシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行っている。2015年にニューヨーク州のダッチェスビューズファームに移動。

2012年に初年度産駒デビュー。散発的に重賞勝ち馬を出す程度と期待ほど産駒は走らず、種付料は2015年には1万ドルを割り込むまでに落ち込んだ。

初年度産駒である2010年産のうち5頭が日本に輸入され、その中には日本ダービー3着のアポロソニックがいる。

2024年を持って種牡馬を引退。種牡馬引退後はオールドフレンズで余生を送る。

主な産駒

2012年産

競走成績

出走日競馬場競走名格距離着順騎手着差1着(2着)馬
2007.09.03サラトガ未勝利芝8.5f 1着J.ローズ11 1/4馬身(Doctor Cal)
2008.03.05ガルフストリームパーク一般競走D8f 1着K.デザーモ12 3/4馬身(Heaven's Awesome)
2008.03.29ガルフストリームパークフロリダダービーG1D9f 1着K.デザーモ5馬身(Smooth Air)
2008.05.03チャーチルダウンズケンタッキーダービーG1D10f 1着K.デザーモ4 3/4馬身(Eight Belles)
2008.05.17ピムリコプリークネスSG1D9.5f 1着K.デザーモ5 1/4馬身(Macho Again)
2008.06.07ベルモントベルモントSG1D12f 中止K.デザーモ-Da'Tara
2008.08.03モンマスパークハスケル招待SG1D9f 1着K.デザーモ1 3/4馬身(Coal Play)
2008.09.13モンマスパークモンマスS芝9f 1着K.デザーモクビ(Proudinsky)

エピソード

ドーピング問題

本馬が惨敗したベルモントステークスの直後にドーピングに対して様々な議論が交わされた。アメリカは、他国とは違い競走馬に対するドーピングが依然として認められている州が多い。本馬を管理しているダトロー調教師がビッグブラウンにケンタッキーダービー前までアナボリックステロイドを投与していたことを認めたため、全米で競走馬に対してのドーピングの是非が問われることとなり、2008年にブリーダーズカップが開催されるカリフォルニア州ではアナボリックステロイドが規制されることとなった。

血統表

ビッグブラウンの血統(ダンジグ系 / Northern Dancer3×3=25.00% , Damascus4×3=18.75%、Round Table4×5=9.38%)(血統表の出典)
父

Boundary
1990 鹿毛
父の父
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
父の母
Edge
1978 栗毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Ponte Vecchio Round Table
Terentia
母

Mien
1999 鹿毛
Nureyev
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
母の母
Miasma
1992 鹿毛
Lear Fan Roberto
Wac
Syrian Circle Damascus
Friendly Circle F-No.5-h

脚注

  1. ↑ 合田直弘. “不可解敗戦から立ち直ったか、 Bブラウン”. スポニチ Sponichi Annex. 2008年10月14日閲覧。
  2. ↑ “Big Brown Retired After Workout Injury”. bloodhorse.com. 2008年10月14日閲覧。

外部リンク