ブレンダン・シャナハン
| ブレンダン・シャナハン | |
|---|---|
|
ニューヨーク・レンジャース時代(2008年) | |
| 本名 | ブレンダン・フレデリック・シャナハン |
| 原語名 | Brendan Frederick Shanahan |
| 愛称 | シャニー |
| 生誕 |
1969年1月23日(57歳) オンタリオ州エトビコ |
| 身長 | 6 ft 3 in (1.91 m) |
| 体重 | 220 lb (100 kg; 15 st 10 lb) |
| ポジション | 左ウィング |
| ショット | 右打ち |
| 所属したチーム |
NHL ニュージャージー・デビルス セントルイス・ブルース ハートフォード・ホエラーズ デトロイト・レッドウィングス ニューヨーク・レンジャース DEL デュッセルドルファーEG |
| 代表 |
|
| NHLドラフト |
全体2位(1987年) ニュージャージー・デビルス |
| プロ選手期間 | 1987年 – 2009年 |
| 2013年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子アイスホッケー | ||
| 冬季オリンピック | ||
| 金 | 2002 ソルトレークシティ | |
| 世界選手権 | ||
| 金 | 1994 イタリア | |
| カナダカップ | ||
| 優勝 | 1991 カナダ | |
| ワールドカップ | ||
| 準優勝 | 1996 | |
ブレンダン・シャナハン(英語: Brendan Shanahan, 1969年1月23日 - )は、カナダオンタリオ州エトビコ生まれのプロアイスホッケー選手、幹部。ポジションはレフトウィング。
NHLで600ゴール以上を記録し、2,000分以上のペナルティタイムを記録した唯一の選手であり、アイスホッケー競技の近代化を推進したことでも知られている。
経歴
選手として
4人兄弟の末っ子として育ったブレンダン・シャナハンは、ラクロスとアイスホッケーに秀でた才能を発揮し、1985年にオンタリオホッケーリーグ(OHL)のロンドン・ナイツから指名を受け、2シーズン115試合に出場して154ポイントを記録し、強い評判を築いた。
デビルスからホエーラーズ時代
1987年のNHLドラフトでニュージャージー・デビルスから全体2位で指名され、18歳のルーキーシーズンには65試合に出場し、26ポイント、131分のペナルティタイムを記録した。1989-90シーズンには73試合で72ポイントを記録し、ニュージャージーでの4シーズンで徐々に攻撃力を向上させた後、1991年7月25日にセントルイス・ブルースと制限付きフリーエージェント(RFA)として契約し、最終的に将来の殿堂入りディフェンス選手となるスコット・スティーブンスが、補償としてデビルスに移籍した。
ブレット・ハルとチームメイトになった1992-93シーズン、シャナハンは51ゴール、94ポイントを記録し、プレーオフでは、シカゴ・ブラックホークスとの1回戦でシリーズを勝ち越す同点ゴールや、トロント・メープルリーフスとのディビジョン決勝の第3試合で2ゴールを決めるなど、飛躍的な活躍を見せた。
翌1993-94シーズンには、チームのオルタネイト・キャプテンに任命され、キャリアハイの52ゴール、50アシスト、102ポイント、211分のペナルティ時間、リーグ最多となる7つのショートハンドゴールを記録し、[1]ポイントランキングで8位に入り、ファーストNHLオールスターチームにも選出された。
1995年7月27日、クリス・プロンガーとの交換トレードでハートフォード・ホエーラーズへ移籍し、1994-95のロックアウト期間中にドイツのデュッセルドルフEGで3試合に出場した後、チームキャプテンとしてホエーラーズに加入して44ゴール、78ポイントを記録した。
デビューからの計9シーズンにおいて、カンファレンス決勝に進出したのはルーキーイヤーの1回のみであり、27歳でキャリア全盛期にあったシャナハンは、スタンレーカップを獲得できるチームを求めて1996年10月9日、ブライアン・グリンと共にデトロイト・レッドウィングスへトレード(交換相手はポール・コフィー、キース・プリモー、および1997年ドラフト1巡目指名権)された。
レッドウィングス以降
オルタネイト・キャプテンに任命されたシャナハンは、デトロイトですぐさま重要な戦力となり、1996-97シーズンは47ゴール、88ポイント、リーグ最多の20のパワープレーゴールを記録し、[2]プレーオフ20試合で17ポイントを挙げ、レッドウィングスの1955年以来となるスタンレーカップ優勝に貢献した。翌1997-98シーズンに、シャナハンとレッドウィングスは再びスタンレーカップを制した。
1999-2000シーズンに41ゴール、78ポイント、13シーズン連続のペナルティ100分超えを達成し、自身2度目となるファーストオールスターチームに選出された。2001-02シーズンには37ゴール、75ポイントを挙げ、セカンドオールスターチーム入りを果たし、同シーズン中には、通算1,000ポイントおよび通算500ゴールを達成した。さらに、レッドウィングスがスタンレーカップ優勝を果たす過程で、プレーオフ23試合で19ポイントを記録した。
2002-03シーズン、人道的な活動が評価され、キング・クランシー記念賞を受賞した。
2004年から2005年のNHLロックアウト期間中、シャナハンは選手、コーチ、ゼネラルマネージャー、審判員、さらには一部のメディア関係者までを集めて2日間の会議を主催し、試合の流れやテンポの改善、ルールの変更について議論を行い、会合では、シュートアウトの導入、ホールディング、フッキング、インターフェアランスなどの抑制ファウルに対する厳格な取り締まり、ツーラインパス違反の撤廃などが話合われ、そこでまとめられた提案は、リーグおよびNHL選手会に提出された。
レッドウィングスでの最後となった2005–06シーズンに、40ゴール、チーム内ポイントランキング3位の81ポイントを記録した。シャナハンが在籍した9シーズンすべてで、レッドウィングスはプレーオフ進出を果たし、NHL記録となる25年連続プレーオフ進出を達成した。
2006年7月9日にニューヨーク・レンジャーズとFA契約を締結し、2006-07シーズンの序盤には、キャリア通算600ゴールを達成した。11月にはリンクの内外で最も優れたリーダーシップを発揮した選手として、月間賞としてスタートした初代マーク・メシエ・リーダーシップ賞を受賞した。レンジャーズで2シーズンを過ごした後、2008-09シーズン序盤はプレーせずに過ごし、2009年1月15日にニュージャージー・デビルズとFA契約を締結し、1シーズンプレーした。
2009年11月17日、正式に現役引退を発表した。その時点でのキャリア通算656ゴールは歴代13位、左ウイングとしては史上2番目に多いゴール数だった。19年連続の20ゴールシーズンは史上2位の記録となった。また、キャリア通算17回という「ゴーディ・ハウ・ハットトリック」(1試合でゴール、アシスト、ファイティングペナルティのすべてを記録すること)の非公式の最多記録を保持している(公式な記録集計は1996年から開始)。
引退後

2009年12月、シャナハンはNHLのホッケーおよび事業開発担当副部長に任命された。2011年6月1日には、同リーグにおける選手安全担当部門の副部長(選手への懲戒処分を統括する責任者)に就任し、2014年4月11日まで務めた。
同日付で地元NHLチームのトロント・メープルリーフスに採用され、2019年5月14日にはリーフスの社長に就任し、2025年5月までその職を務めた。オーストン・マシューズを初め、ウィリアム・ナイランダー、ミッチ・マーナー、ジョン・タバレスといった攻撃陣を獲得し、チームの再建に尽力した。[3]「リーフスでの成功は、選手として成し遂げたことよりも重要だった。」と語った。
2013年、ホッケーの殿堂入りを果たし、2017年には最高のNHL選手100人の1人に選出された。
2026年、オンタリオ州内のジュニアホッケー強化のためのリーグの運営見直しの担当者として、ホッケーオンタリオのコンサルタントに任命された。[4]
国際大会
1987年の世界ジュニア選手権に出場し、6試合で7ポイントを記録した。ジュニア史上最大級の乱闘として有名な「ピエスタニーの乱闘」にも参加している。
1991年のカナダカップにカナダ代表として出場し、優勝した。
1994年の世界選手権では6試合で7ポイントを記録して金メダルを獲得し、2006年の世界選手権でもキャプテンとしてカナダ代表を率いた。
1996年のワールドカップ・オブ・ホッケーではアメリカ合衆国代表に次ぐ準優勝となった。
1998年と2002年の冬季オリンピックにカナダ代表として出場し、2002年大会で金メダルを獲得して、スタンレーカップ、世界選手権、オリンピックの3大会を制し、13人目となるトリプルゴールドクラブ入りを果たした。[5]
プレーと評価

身長6フィート3インチ(約190cm)、体重215ポンド(約98kg)のシャナハンは、アグレッシブなプレーでこそ真価を発揮したものの、単なるパワーフォワードの枠には収まらない、繊細なスティックハンドリングと高いホッケーIQを兼ね備えていた。持ち前のフィジカルで相手を圧倒するだけでなく、巧みな技術と頭脳を駆使して見事なプレーを生み出すこともできたことが、屈指のパワーフォワードたらしめていた。
プレーにおける唯一の弱点はスケーティングで、決して俊敏とは言えなかったが、多くの場合、強いフィジカルを生かして、狙い通りのポジションを確保していた。特にパワープレーの場面では、ゴール前のクリース脇に陣取り、コンパクトなスイングで、強烈かつ正確なスナップショット(瞬時に手首を返すシュート)を放ち、時にはフェイスオフサークル付近まで下がり、強烈なワンタイマーを狙うこともあった。パックが届く瞬間にゴール前へ滑り込み、ゴーリーの視界を遮り(スクリーンをかけて)、ティップイン(パックを軽く叩いて軌道を変える)やリバウンドからのゴールを決めることも数多くあった。
リンクを離れるとユーモアあふれる気楽で陽気な人物であったが、ホッケーに関しては極めて真剣に取り組んだ。デトロイト・レッドウィングスでは、それまでのチームに欠けていた大型フォワードのタフな能力を効果的に発揮し、圧倒的な身体能力で、得点し、格闘し、激しいボディチェックを繰り出した。シャナハンがそうした「汚れ仕事」を引き受け、スティーブ・アイザーマンとセルゲイ・フェドロフの卓越した技術をフィジカルな存在感で補完したことで、チームはさらに強さを増し、スタンレーカップ連覇の原動力の1つとなった。デトロイトにおいては今なお、レッドウィングスを真のチャンピオンへと変貌させた立役者の1人として見なされている。
そして、2度目のロックアウト期間中に、ホッケー界の主要人物たちを独力で集めて「シャナハン・サミット」を開催した特異なリーダーシップである。ゲームの異なる側面を持つ人々が同じ部屋に集まり、最終的に競技委員会が設立された。そこでの話し合いは、エンフォーサーたちがグローブを脱ぎ捨て、大型ディフェンスマンが相手を掴んだり抱え込むことを良しとする「クラッチ・アンド・グラブ (Clutch-and-Grab)」の時代を終わらせ、高い技術を持つスター選手たちがその才能を存分に発揮できる環境を整えるきっかけとなり、競技を正しい方向へと発展させるための道筋を示した。NHLのプレースタイルと選手の安全へのアプローチを近代化するために尽力したことは、シャナハンがリーグに残した最大の功績である。
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフの成績
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1985–86 | London Knights | OHL | 59 | 28 | 34 | 62 | 70 | 5 | 5 | 5 | 10 | 5 | ||
| 1986–87 | London Knights | OHL | 56 | 39 | 53 | 92 | 128 | — | — | — | — | — | ||
| 1987–88 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 65 | 7 | 19 | 26 | 131 | 12 | 2 | 1 | 3 | 44 | ||
| 1988–89 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 68 | 22 | 28 | 50 | 115 | — | — | — | — | — | ||
| 1989–90 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 73 | 30 | 42 | 72 | 137 | 6 | 3 | 3 | 6 | 20 | ||
| 1990–91 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 75 | 29 | 37 | 66 | 141 | 7 | 3 | 5 | 8 | 12 | ||
| 1991–92 | セントルイス・ブルース | NHL | 80 | 33 | 36 | 69 | 171 | 6 | 2 | 3 | 5 | 14 | ||
| 1992–93 | セントルイス・ブルース | NHL | 71 | 51 | 43 | 94 | 174 | 11 | 4 | 3 | 7 | 18 | ||
| 1993–94 | セントルイス・ブルース | NHL | 81 | 52 | 50 | 102 | 211 | 4 | 2 | 5 | 7 | 4 | ||
| 1994–95 | Düsseldorfer EG | DEL | 3 | 5 | 3 | 8 | 4 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | セントルイス・ブルース | NHL | 45 | 20 | 21 | 41 | 136 | 5 | 4 | 5 | 9 | 14 | ||
| 1995–96 | ハートフォード・ホエラーズ | NHL | 74 | 44 | 34 | 78 | 125 | — | — | — | — | — | ||
| 1996–97 | ハートフォード・ホエラーズ | NHL | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1996–97 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 79 | 46 | 41 | 87 | 131 | 20 | 9 | 8 | 17 | 43 | ||
| 1997–98 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 75 | 28 | 29 | 57 | 154 | 20 | 5 | 4 | 9 | 22 | ||
| 1998–99 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 81 | 31 | 27 | 58 | 123 | 10 | 3 | 7 | 10 | 6 | ||
| 1999–00 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 78 | 41 | 37 | 78 | 105 | 9 | 3 | 2 | 5 | 10 | ||
| 2000–01 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 81 | 31 | 45 | 76 | 81 | 2 | 2 | 2 | 4 | 0 | ||
| 2001–02 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 80 | 37 | 38 | 75 | 118 | 23 | 8 | 11 | 19 | 20 | ||
| 2002–03 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 78 | 30 | 38 | 68 | 103 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | ||
| 2003–04 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 82 | 25 | 28 | 53 | 117 | 12 | 1 | 5 | 6 | 20 | ||
| 2005–06 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 82 | 40 | 41 | 81 | 105 | 6 | 1 | 1 | 2 | 6 | ||
| 2006–07 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 67 | 29 | 33 | 62 | 47 | 10 | 5 | 2 | 7 | 12 | ||
| 2007–08 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 73 | 23 | 23 | 46 | 35 | 10 | 1 | 4 | 5 | 8 | ||
| 2008–09 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 34 | 6 | 8 | 14 | 29 | 7 | 1 | 2 | 3 | 2 | ||
| NHL 合計 | 1,524 | 656 | 698 | 1,354 | 2,489 | 184 | 60 | 74 | 134 | 280 | ||||
国際大会
| 年度 | チーム | 大会 | GP | G | A | Pts | PIM | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987 | カナダU20 | 世界ジュニア | 6 | 4 | 3 | 7 | 4 | |
| 1991 | カナダ | カナダカップ | 8 | 2 | 0 | 2 | 6 | |
| 1994 | カナダ | 世界選手権 | 6 | 4 | 3 | 7 | 6 | |
| 1996 | カナダ | ワールドカップ | 7 | 3 | 3 | 6 | 8 | |
| 1998 | カナダ | オリンピック | 6 | 2 | 0 | 2 | 0 | |
| 2002 | カナダ | オリンピック | 6 | 0 | 1 | 1 | 0 | |
| 2006 | カナダ | 世界選手権 | 8 | 3 | 1 | 4 | 10 | |
| ジュニア 合計 | 6 | 4 | 3 | 7 | 4 | |||
| シニア 合計 | 41 | 14 | 8 | 22 | 54 | |||
表彰
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:2回(1994, 2000年)
- 2ndチーム:1回(2002年)
- NHLオールスターゲーム:8回(1994, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2002, 2007年)
- スタンレーカップ優勝:3回(1997, 1998, 2002年)
- キング・クランシー記念賞:2003年
- ホッケーの殿堂:2013年
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
背番号
脚注
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Shanahan out as president of Maple Leafs」NHL.com 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Former Maple Leafs president Brendan Shanahan steps into a prominent new role in hockey」Austin Kelly, HOCKEY PATROL January 3, 2026 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Triple Gold Club」IIHF.com 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「New Jersey Devils Sweater Numbers」Hockey-Reference 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「St. Louis Blues Sweater Numbers」Hockey-Reference 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Carolina Hurricanes Sweater Numbers」Hockey-Reference 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「Detroit Red Wings Sweater Numbers」Hockey-Reference 2026年9月23日閲覧
- ↑ 「New York Rangers Sweater Numbers」Hockey-Reference 2026年9月23日閲覧
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Eurohockey.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Bob Duff (2017年1月1日). “Brendan Shanahan: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年9月23日閲覧。
- Joe Pelletier. “Brendan Shanahan” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年9月23日閲覧。
- Colin Newby (2023年1月23日). “Brendan Shanahan: Hall of Fame Career and Lasting NHL Impact” (英語). The Hockey Writers. 2026年9月23日閲覧。
- “Brendan Shanahan Biographical information” (英語). Olympedia.com. 2026年9月23日閲覧。
- Adam Proteau (2025年2月23日). “Twenty Years Ago, Brendan Shanahan Helped Bring An End To NHL's Clutch-And-Grab Era” (英語). The Hockey News. 2026年9月23日閲覧。