ボンボヌール

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株式会社 ボンボヌール[1]
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
〒491-0825
愛知県一宮市本町3-3-3[2][3]
(萬寿堂創業の地に本社があった[4])
設立 1971年(昭和46年)7月[5]
業種 食料品
事業内容 洋菓子の製造・販売
代表者 近藤昌平[5]
資本金 5550万円[1]
売上高 約40億円[1]
従業員数 約500名[1](うち正社員約150名[1])
特記事項:2005年(平成17年)に解散
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ボンボヌールとは愛知県一宮市にかつて存在した洋菓子店[2]、およびその事業を譲り受けた企業が用いた洋菓子のブランド名。 パリの名門洋菓子店「ジルヴェイ」と姉妹提携をしていた[6]。

洋菓子店への転換直後に自転車で行商を行ってボヌール会などの頒布会を進め[7]、ホテルや結婚式場と提携して引出物や土産用にカステラやバームクーヘンなどの洋菓子の納入を進めたほか[6]、オリジナルパッケージ商品の販売をしており[8]、1980年代半ばには売上高の約60%を外商が占めていた[4]。 特に結婚式の引出物に強みを持ち、1980年代半ばには外商売上のうち約60%を占めていた[4]。

歴史・概要

1916年(大正5年)1月に[9]愛知県一宮市本町で近藤善七が和菓子店・萬壽堂を開いたのが始まりである[10]。

1959年(昭和34年)4月に近藤金兵衛が心臓マヒで急死し[11]、近藤久子が[12]職人15人を抱えた萬壽堂を継承した[13]。

その後、他店での修業を終えた近藤昌平が[13]1964年(昭和39年)に萬壽堂を継承した[14]。

ところが、1966年(昭和41年)に祖父の代からの職長が死去したことから[13]、同年3月1日に洋菓子店に転業し[15]、屋号を「まんじゅどうボヌール」に変更した[16]。 そして、第1号のケーキとして生クリームを四角いスポンジケーキで包んだ座布団型の「ファンシー」を発売した[17]。

しかし、洋菓子に転換したものの、従来の和菓子店時代の顧客が離れて売上が伸び悩んだことから、自転車でケーキの行商を行って徐々に売上を伸ばして軌道に乗せた[7]。 この行商を発展させる形で頒布会のボヌール会を主催するようになった[7]。

1969年(昭和44年)に[18]名古屋市東区東門前町にパンとベーカリーの店を出店して名古屋へ進出し[19]、1971年(昭和46年)7月に「株式会社 ボンボヌール」を設立して[5]屋号を変更した[16]。

1972年(昭和47年)に「全国洋菓子展示大品評会」で高松宮総裁賞と特別グランプリを同時に受賞しており[19]、ホテルや結婚式場と提携して引出物や土産用にカステラやバームクーヘンなどの洋菓子の納入を進めた[6]。

1973年(昭和48年)6月に一宮市大江にあった移転した銀行跡を買収して、2か月で改装してベーカリーセンターを開設した[19]。

1975年(昭和50年)5月24日に完全自動化ラインを活かした無菌包装の生菓子「ちゃちゃ」を発売した[20]。

洋菓子に転業後は、毎年のように新作の菓子を発売し、1978年(昭和53年)夏に一口サイズのケーキ「プチケーキ」を発売した[21]。

1980年(昭和55年)3月15日に岐阜県岐阜市若宮町に岐阜本店を開店した[22]。

1981年(昭和56年)3月15日に[9]東京営業本部を東京都港区六本木に[2]開設し[9]、東京でのギフト商品の企画販売を開始した[9]。 この東京進出時に、入江相政侍従長から「黒は高貴な色、魔除けの色」との言葉を貰ったことから、黒をシンボルカラーとして採用し、包装紙などを黒に統一した[23]。

また、歌舞伎役者の松本幸四郎ら親子3代襲名披露の記念品を皮切りに、オリジナルパッケージ商品の販売を始め、高松宮家の葉山邸新築披露や日本経済新聞社の社長就任などの記念品などを担当した[8]。

1984年(昭和59年)9月に一宮市緑5丁目に本社工場を建設して、一宮市大江1丁目のベーカリーから製造部門を移転した[24]。 同年に大阪へ進出した[1]。

1986年(昭和61年)12月に資本金800万円でボヌール・イン・コーポレーションを設立し、1987年(昭和62年)にハワイ・ワイキキの「ワイキキ・キング」を買収して「ワイキキ・ボンボヌール」と改称し、コンドミニアム形式のホテル事業に参入した[25]。

1987年(昭和62年)3月15日に京都に進出して営業を開始した[24]。

一宮市大江1丁目の[24]ベーカリーセンター[19]跡地に[24]1987年(昭和62年)3月31日に竣工した[26]メゾン・ド・ボヌール1階にアンティーク店萬壽堂を開店して創業時の店名を復活させると共に[10]、1階の約半分にはケーキ店を開店した[24]。

工場用地として確保してあった小牧市曙町にコンドミニアム形式のホテル「ボヌールイン小牧」を[27]1988年(昭和63年)5月に開業した[28]。

1991年(平成3年)12月にー宮丹陽工場を開設した[29]。

1993年(平成5年)7月に日本で初めてケーキの宅配サービスを開始した[17]。

1994年(平成6年)夏に日枝神社の御神酒や[30]ゆずなどを使った「景気快福ケーキ」を発売した[31]。

年表

  • 1916年(大正5年)1月[9] - 愛知県一宮市本町で近藤善七が和菓子店・萬壽堂を創業[10]。
  • 1959年(昭和34年)4月 - 近藤金兵衛が心臓マヒで急死し[11]、近藤久子が[12]継承[13]。
  • 1964年(昭和39年) - 近藤昌平が継承した[14]。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月1日[15] - 洋菓子店に転業し[15]、屋号を「まんじゅどうボヌール」に変更[16]。
    • 当社のケーキ第1号となったファンシーを発売[17]。
    • 自転車でケーキの行商を開始[7]。
  • 1969年(昭和44年)[18] - 名古屋市東区東門前町にパンとベーカリーの店を出店して名古屋へ進出[19]。
  • 1971年(昭和46年)7月 - 株式会社ボンボヌールを設立し[5]、屋号を変更[16]。
  • 1972年(昭和47年) - 「全国洋菓子展示大品評会」で高松宮総裁賞と特別グランプリを同時受賞[19]。
  • 1973年(昭和48年)8月 - 一宮市大江にベーカリーセンターを開設[19]。
  • 1975年(昭和50年)5月24日 - 完全自動化ラインを活かした無菌包装の生菓子「ちゃちゃ」を発売[20]。
  • 1978年(昭和53年)夏 - 一口サイズのケーキ「プチケーキ」を発売[21]。
  • 1980年(昭和55年)3月15日 - 岐阜県岐阜市若宮町に岐阜本店を開店[22]。
  • 1981年(昭和56年)3月15日[9] - 東京営業本部を東京都港区六本木に[2]開設し[9]、東京でのギフト商品の企画販売を開始[9]。
  • 1984年(昭和59年)
    • 9月に一宮市緑5丁目に本社工場を建設し、ベーカリーから製造部門を移転[24]。
    • 大阪へ進出して営業を開始[1]。
  • 1986年(昭和61年)12月 - 資本金800万円でボヌール・イン・コーポレーションを設立[25]。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月15日 - 京都に進出して営業を開始[24]。
    • ハワイ・ワイキキの「ワイキキ・キング」を買収して「ワイキキ・ボンボヌール」と改称し、コンドミニアム形式のホテル事業に参入[25]。
  • 1988年(昭和63年)5月[28] - 小牧市曙町にコンドミニアム形式のホテル「ボヌールイン小牧」を開業[27]。
  • 1991年(平成3年)12月 - ー宮丹陽工場を開設[29]。
  • 1993年(平成5年)7月 - 日本で初めてケーキの宅配サービスを開始[17]。
  • 1994年(平成6年)夏[30] - 「景気快福ケーキ」を発売[31]。
  • 2002年(平成14年) - 還暦を迎えた近藤昌平が社長を退任。[要出典]
  • 2005年(平成17年) - 経営悪化により小売業から撤退・解散。洋菓子製造は株式会社ドゥーコムが譲り受け[32]、ボンボヌールの名前はドゥーコムが製造する商品のブランド名として引き続き使用された[33]。
  • 2011年(平成23年) - ドゥーコムが破産、ブランド名としての「ボンボヌール」も消滅した[32]。
  • 2020年(令和2年)2月13日 - 株式会社ボンボヌールの清算が結了[3]。

頒布会

洋菓子店への転換当初に行っていた自転車での行商を発展させる形で頒布会を主催するようになり[7]、1993年(平成5年)7月に日本で初めてケーキの宅配サービスを開始した[17]。

  • ボヌール会 -「ボヌール会・ケーキのご案内」というパンフレットを配布し[34]、そこに記載された毎月宅配するケーキの中から1つでも購入すると会員になるケーキ頒布会で[34]、会員数が2万人を超えていた[35]。
  • ソド・ノック倶楽部 - 「アマンディース」や「リンツァートルテ」などヨーロッパで昔から伝わるレシピを用いた伝統的な焼菓子を毎月宅配する頒布会として、1995年(平成7年)9月に運営を開始した[36]。

過去に存在した商品

生クリームを四角いスポンジケーキで包んだ座布団型のケーキで、1966年(昭和41年)に発売した当社の洋菓子第1号となったケーキであった[17]。
製造に携わった職人によって製法が引き継がれ、形状の似た商品が愛知県内十数箇所の洋菓子店などで販売されている[37][38]。
  • ボヌールかすてら
主力商品のカステラ[6]。
  • メモアール
生クリームで焼き上げたサブレー[6]。
  • 冠々
洋酒入りフルーツケーキ[6]。
塩味を効かせたアーモンド入りのクッキー[39]。
  • ちゃちゃ
抹茶風味の白あんやミルク風味の白あんを生クリーム生地でくるんだ菓子で、「茶々姫」から名付けらたもの[40]。完全自動化ラインで作られた無菌包装の生菓子で、2か月間風味を変わらず楽しめる様になっていた[20]。
  • アーモンドボンボン
アーモンドを散りばめたチョコレートで、1977年(昭和52年)10月1日に発売した[41]。
  • ビクトリー
チェリー・ブドウ・リンゴ・アーモンド・クルミなどの果実をふんだんに入れ、リキュールのコアントローを混ぜたフルーツケーキ[42]。
  • オレンジケーキ
こってりとしたバターの風味が豊かなフルーツケーキ[42]。
  • ギャレフ
バターと卵を混ぜ合わせて焼き上げたサブレー[43]。
従来より日持ちがするようにしながら、生ケーキの特徴を残したしっとりとしたチョコレートケーキとして、1982年(昭和57年)12月に発売した[44]。
  • サケ·ケーキ
純白のカステラに日本酒を含ませたケーキで、ブランデーケーキよりもまろやかな味わいが特徴だった[45]。
  • ムーンデュエット
白いスポンジケーキにまろやかなチーズクリームやさわやかなレモンクリームを挟んだケーキ[46]。
  • ジュレ・バリエ
メロン・オレンジ・ワインをカルギダンで固めたゼリー[47]。
  • Jolie Secret(真珠ケーキ)
真珠の粉末やシルク繊維などを加えたヘルシーなケーキ[35]。
  • 食べるワイン
ワインに若干の糖分を加えてゼリーにしたもので、ポリフェノールやアルコール分を多く含む、未成年は禁止のゼリー[48]。
  • 消臭ゼリー
排泄物の脱臭効果があるとされる成分を含むゼリー[48]。
  • 景気快福ケーキ
日枝神社の御神酒や[30]ユズなどを使ったケーキ[31]。新幹線などで一日2000本売れるヒット商品となった[49]。
  • 2000円お札ケーキ
札にちなんだサツマイモ使って焼き上げたケーキに2000円札に肖像が使われていた紫式部にちなんだ紫芋のペーストをサンドしたお菓子[50]。2000円札の札束を模した小箱に入っており、それを現金輸送用のジュラルミンのアタッシュケース風の銀色の箱に入れていた[50]。
  • 黒字体質ケーキ
イカ墨を使った世界初の真っ黒なケーキ[50]。

過去に存在した店舗

一宮市

萬壽堂創業の地にあった約20坪の敷地に建つ建物の1階にあった店舗で、2階と3階には近藤社長の自宅となっていた[4]。
  • 一宮駅前店(愛知県一宮市栄4-2-3保田火災海上一宮支店ビル[51]、1980年(昭和55年)7月3日開店[51])
4階建て・延べ床面積約300m2で、開業時には、1階が洋菓子売り場とケーキ工場で、2階が喫茶店、3階が貸会議室、4階が事務所となっていた[51]。
  • 名鉄丸栄店(愛知県一宮市大志1-1[52](旧・城崎通[6]))
名鉄丸栄百貨店地下1階に出店していた[52]。
中央工場1階の道路に面した部分に出店していた[56]。

名古屋市

パンとベーカリーの店で、名古屋1号店[19]。
名古屋駅西口のエスカ地下街に出店していた[6]。
  • 中経ビル売店(愛知県名古屋市中村区泥江町[6])
中経ビルの地下に出店していた[6]。
名駅地下街サンロードに出店していた[58]。
第3ワシントン1階に出店していた[52]。
  • ライオンズホテル名古屋店(愛知県名古屋市中区栄1[6]、1973年(昭和48年)4月開店[6])
喫茶と洋菓子の店舗を出店していた[6]。
広小路西通りの静岡銀行納屋橋支店跡地の557m2の敷地に鉄筋コンクリート造3階建ての店舗を建設して開店した[59]。
1987年(昭和62年)10月5日に2階にコンサートホール「アバ」を開設した[60]。
松坂屋本店地下1階に出店した約10坪の店舗で、当時としては珍しいケーキやクッキーなどの製造工程がガラス越しに見えるウィンドウベーカリー形式で出店していた[14]。

尾張

南成岩駅前の名鉄百貨店の半田ギフトショップの入るビルの上の階に出店した店舗で、フルコースの楽しめるレストランを併設していた[65]。

三河

約1,200坪の敷地に、喫茶店(33坪、48席)やビストロ・ビエスモンテ(36坪、40席)、ブラスリー・イルピカソ(64坪、120席)、30坪と36坪のバンケットや工場を併設した洋菓子店としては大型の店舗として開設された[68]。

岐阜県

三重県

過去に存在した事業所

  • 一宮ベーカリーセンター(愛知県一宮市大江1丁目12[52]、1973年(昭和48年)8月開設[19])
2階建て[6]。
エレクトリックオーブン・アルミフーズフォルダー・自動包装機などを備えた連続自動ラインで、生菓子の無菌製造を可能とした工場であった[20]。
1984年(昭和59年)9月に一宮市緑5丁目の本社工場へ移転して閉鎖[24]。
ベーカリーセンター[19]跡地の396m2の敷地に建設した5階建ての建物で[24]、1階にアンティーク店萬壽堂と[10]ケーキ店を開店した[24]。
敷地面積2,747.47m2[56]、建築面積1,264.78m2[56]、延べ床面積2,397.84m2[56]
ケーキ・クッキー・アイスクリームなどを製造する工場として開設され、2階には工場見学コースも設置されていた[56]。
資金調達や工場設計・設備選定まで自社で行って建設した[55]。
年商100億円まで対応可能な規模で建設された工場だった[48]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 “企業レポート 毎年入社式での社長命令は「初めての給料で親孝行せよ」 (株)ボンボヌール”. 近代中小企業 1995年8月号 (中小企業経営研究会) (1995年8月1日).pp82
  2. 1 2 3 4 5 6 “店舗・工場なしで東京進出 洋菓子店の大改革狙う 「ボンボヌールの話題を呼ぶアイデア外装」”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp45
  3. 1 2 “法人番号4180001083700 株式会社ボンボヌール”. 株式会社グラファー. 2023年10月20日閲覧。
  4. 1 2 3 4 “人脈とアイデアで勝負 町のケーキ屋から身を興し、首都進出で大手を追撃する洋菓子の(株)ボンボヌール”. 近代中小企業 1986年7月号 (中小企業経営研究会) (1986年7月1日).pp14
  5. 1 2 3 4 “私が母から学んだ人生の鉄則”. 近代中小企業 1989年1月号 (中小企業経営研究会) (1989年1月1日).pp15
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 “ボヌールかすてらが売行き好調”. 中部財界 1973年7月号 (中部財界社) (1973年7月).pp99
  7. 1 2 3 4 5 高木敏行 “企業せんりゃく21(No.16)男性客を狙った商法…泉の如く湧くアイデアで勝負”. 商工会 1990年9月号 (全国商工会連合会) (1990年9月).pp28
  8. 1 2 “出会いを大切にすることをモットーに 楽しみながらのユニークなケーキ・ビジネス (株)ボンボヌール代表近藤昌平氏”. スクウェア21 1999年1月号 (全国経営者団体連合会) (1999年1月).pp2
  9. 1 2 3 4 5 6 7 8 “店舗・工場なしで東京進出 洋菓子店の大改革狙う 「ボンボヌールの話題を呼ぶアイデア外装」”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp44
  10. 1 2 3 4 “ボンボヌールが始めた アンティーク「萬寿堂」”. 中部財界 1987年7月号 (中部財界社) (1987年7月).pp100
  11. 1 2 梶原一明 “梶原一明の異才たちの時代 ボンボヌ-ル社長・近藤昌平”. 経済界 1997年11月号 (経済界) (1997年7月).pp54-57
  12. 1 2 “ボン·ボヌール近藤社長の母逝く”. 中部財界 1987年5月号 (中部財界社) (1987年5月).pp91
  13. 1 2 3 4 “人脈とアイデアで勝負 町のケーキ屋から身を興し、首都進出で大手を追撃する洋菓子の(株)ボンボヌール”. 近代中小企業 1986年7月号 (中小企業経営研究会) (1986年7月1日).pp11
  14. 1 2 3 4 “ケーキづくりが一目でボンボヌール松坂屋店がオープン”. 中部財界 1980年6月号 (中部財界社) (1980年6月).pp81
  15. 1 2 3 “経営は"アルコ-ルランプ"のようでありたい (株)ボンボヌ-ル・近藤昌平社長”. 月刊中小企業 1981年5月号 (中小企業出版局) (1981年5月).pp30-33
  16. 1 2 3 4 “昭和の商魂(7)ボン・ボヌール社長 近藤昌平氏 ボヌールファミリーを経営の柱に”. 中部財界 1975年9月号 (中部財界社) (1975年9月).pp76
  17. 1 2 3 4 5 6 “「業界初」ケーキの宅配サービス ボンボヌールがこの夏から開始したケーキの贈物”. 中部財界 1993年9月号 (中部財界社) (1993年9月).pp117
  18. 1 2 3 “出会いを大切にすることをモットーに 楽しみながらのユニークなケーキ・ビジネス (株)ボンボヌール代表近藤昌平氏”. スクウェア21 1999年1月号 (全国経営者団体連合会) (1999年1月).pp3
  19. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “昭和の商魂(7)ボン・ボヌール社長 近藤昌平氏 ボヌールファミリーを経営の柱に”. 中部財界 1975年9月号 (中部財界社) (1975年9月).pp77
  20. 1 2 3 4 “生菓子「ちゃちゃ」を発売”. 中部財界 1975年6月号 (中部財界社) (1975年6月).pp44-45
  21. 1 2 3 “「よりよい幸福」を売るボン・ボヌール "プチケーキ"の新製品発表”. 中部財界 1980年8月号 (中部財界社) (1980年8月).pp56
  22. 1 2 3 4 “ボンボヌールが岐阜本店開店”. 中部財界 1980年4月号 (中部財界社) (1980年4月).pp66
  23. ↑ “出会いを大切にすることをモットーに 楽しみながらのユニークなケーキ・ビジネス (株)ボンボヌール代表近藤昌平氏”. スクウェア21 1999年1月号 (全国経営者団体連合会) (1999年1月).pp4
  24. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 “洋菓子のボンボヌール 単身者用賃貸マンション事業に進出”. 中部財界 1987年5月号 (中部財界社) (1987年5月).pp86
  25. 1 2 3 “東海地区初、長期滞在型ウィークリーホテル 「ボヌールイン小牧」オープン”. 中部財界 1988年5月号 (中部財界社) (1988年5月).pp97
  26. 1 2 “ボンボヌールが始めた アンティーク「萬寿堂」”. 中部財界 1987年7月号 (中部財界社) (1987年7月).pp101
  27. 1 2 “東海地区初、長期滞在型ウィークリーホテル 「ボヌールイン小牧」オープン”. 中部財界 1988年5月号 (中部財界社) (1988年5月).pp96
  28. 1 2 “表紙のことば 長期滞在型のホテルをオープン ボンボヌール”. 中部財界 1990年5月号 (中部財界社) (1990年5月).pp5
  29. 1 2 3 吉田豊 “企業往訪 伸びる会社はここが違う(5) 業界の"異端児"ボンボヌール〈愛知・一宮市〉”. 製菓製パン 1974年4月号 (製菓実験社) (1974年4月).pp189-194
  30. 1 2 3 “元気印(9)洋菓子界で旋風を巻きおこすボンボヌール ケーキで景気にカツ!!”. 中部財界 1995年2月号 (中部財界社) (1995年2月).pp23
  31. 1 2 3 “元気印(9)洋菓子界で旋風を巻きおこすボンボヌール ケーキで景気にカツ!!”. 中部財界 1995年2月号 (中部財界社) (1995年2月).pp22
  32. 1 2 愛知の洋菓子製造「ドゥーコム」が破産開始決定受け倒産(不景気.com、2011年9月27日)[出典無効]
  33. ↑ (株)ドゥーコム/破産開始決定 (JC-NET、2011年9月27日)[出典無効]
  34. 1 2 “人脈とアイデアで勝負 町のケーキ屋から身を興し、首都進出で大手を追撃する洋菓子の(株)ボンボヌール”. 近代中小企業 1986年7月号 (中小企業経営研究会) (1986年7月1日).pp12
  35. 1 2 “「クリスマスランド構想」に夢を賭ける ボンボヌール社長「近藤昌平」”. 中部財界 1997年10月号 (中部財界社) (1997年10月).pp112
  36. ↑ “欧州の伝統的焼菓子を楽しむ ボンボヌールが始めたギフトに最適な頒布会”. 中部財界 1995年10月号 (中部財界社) (1995年10月).pp73
  37. ↑ 愛知ではメジャーなこの洋菓子…でも人によって呼び方がバラバラだった!謎の先にいた職人(東海テレビ・ニュースOne、2019年2月28日)
  38. ↑ 「ファンシー」は愛知県のご当地スイーツ!?名前は色々、でも形は同じケーキの謎(IDENTITY、2019年2月13日)
  39. ↑ “洋菓子詰合せ「幸せの箱」 ボンボヌール”. 中部財界 1974年1月号 (中部財界社) (1974年1月).pp162
  40. ↑ “素朴なおいしさ 銘菓 茶々姫”. 中部財界 1998年8月号 (中部財界社) (1998年8月).pp95
  41. ↑ “アーモンドボンボン ボンボヌール”. 中部財界 1977年10月号 (中部財界社) (1977年10月).pp123
  42. 1 2 “ボンボヌール妙味の新製品”. 中部財界 1979年12月号 (中部財界社) (1979年12月).pp56
  43. ↑ “ボンボヌールが新製品発表”. 中部財界 1980年2月号 (中部財界社) (1980年2月).pp54
  44. ↑ “表紙のことば 重厚な味わいの本格派 チョコレートケーキ ボンボヌール”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp5
  45. ↑ “日本酒業界の救世主になるか? 珍しい『サケ·ケーキ』 ボンボヌール”. 中部財界 1985年7月号 (中部財界社) (1985年7月).pp100
  46. ↑ “好評「ムーンデュエット」”. 中部財界 1992年4月号 (中部財界社) (1992年4月).pp93
  47. ↑ “さわやかな甘さ ジュレ・バリエ ボンボヌール”. 中部財界 1995年5月号 (中部財界社) (1995年5月).pp83
  48. 1 2 3 “「クリスマスランド構想」に夢を賭ける ボンボヌール社長「近藤昌平」”. 中部財界 1997年10月号 (中部財界社) (1997年10月).pp113
  49. ↑ 西村晃 “講演 売れる心理学--こんな時代に伸びる店、消える店”. 福島の進路 2000年12月号 (福島経済研究所) (2000年12月5日).pp17
  50. 1 2 3 “「二千円お札ケーキ」新発売”. 中部財界 2000年1月号 (中部財界社) (2000年1月).pp98
  51. 1 2 3 “ボンボヌール一宮駅前店ウインド・べーカリー方式で開店”. 中部財界 1980年8月号 (中部財界社) (1980年8月).pp65
  52. 1 2 3 4 5 6 “ボンボヌール広告”. 中部財界 1976年12月号 (中部財界社) (1976年12月).pp77
  53. ↑ “全テナントが移動した本格的リニューアル、「サンテラス一宮」のリニューアル”. ショッピングセンター 1995年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年12月1日).pp39
  54. ↑ “全テナントが移動した本格的リニューアル、「サンテラス一宮」のリニューアル”. ショッピングセンター 1995年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年12月1日).pp41
  55. 1 2 “人脈とアイデアで勝負 町のケーキ屋から身を興し、首都進出で大手を追撃する洋菓子の(株)ボンボヌール”. 近代中小企業 1986年7月号 (中小企業経営研究会) (1986年7月1日).pp5
  56. 1 2 3 4 5 6 7 “東海一の手づくりケーキ工場完成 東西への進出で気を吐く洋菓子のボンボヌール”. 中部財界 1984年11月号 (中部財界社) (1984年11月).pp56
  57. 1 2 “東海一の手づくりケーキ工場完成 東西への進出で気を吐く洋菓子のボンボヌール”. 中部財界 1984年11月号 (中部財界社) (1984年11月).pp57
  58. 1 2 “ボンボヌール広告”. 中部財界 1977年10月号 (中部財界社) (1977年10月).pp96
  59. ↑ “表紙のことば よりよい幸福を願って名古屋本店盛況·ボン·ボヌール”. 中部財界 1980年8月号 (中部財界社) (1980年8月).pp5
  60. ↑ “ボヌール納屋橋コンサート·ホール"開場”. 中部財界 1987年11月号 (中部財界社) (1987年11月).pp102
  61. 1 2 “日本のSC ポートモール・アピタ港店(名古屋市)”. ショッピングセンター 1994年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1994年1月1日).pp18
  62. ↑ “日本のSC ポートモール・アピタ港店(名古屋市)”. ショッピングセンター 1994年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1994年1月1日).pp19
  63. ↑ “大規模小売店舗立地法による大規模小売店舗の変更の届出の公告”. 名古屋市公報 平成20年11月12日号 (名古屋市) (2008年11月12日).pp31-35
  64. ↑ “新入会員紹介”. 名古屋商工会議所月報 那古野 1997年7月号 (名古屋商工会議所) (1997年7月).pp38
  65. 1 2 3 “ケーキからフランス料理へ洋菓子のボンボヌールが始めた「新業態戦略」”. 中部財界 1990年5月号 (中部財界社) (1990年5月).pp66
  66. ↑ “(株)西友のノウ八ウを結集して総合生活エンターテイメントコアとして変身 THE MALL春日井”. ショッピングセンター 1992年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年8月1日).pp43
  67. ↑ “(株)西友のノウ八ウを結集して総合生活エンターテイメントコアとして変身 THE MALL春日井”. ショッピングセンター 1992年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年8月1日).pp45
  68. 1 2 “ボンボヌールが洋菓子業界最大級の複合店舗「岡崎スタシオン」”. 中部財界 1990年12月号 (中部財界社) (1990年12月).pp75
  69. ↑ “’91年は「ボンボヌール」が面白い”. 中部財界 1991年2月号 (中部財界社) (1991年2月).pp72
  70. ↑ “日本のSC ネクステージ知立(愛知県知立市)”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp16
  71. ↑ “日本のSC ネクステージ知立(愛知県知立市)”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp17
  72. ↑ “日本のSC ネクステージ知立(愛知県知立市)”. ショッピングセンター 1995年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年2月1日).pp14
  73. 1 2 “日本のSC パティオ(岐阜県可児市)”. ショッピングセンター 1997年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年8月1日).pp61
  74. ↑ “日本のSC パティオ(岐阜県可児市)”. ショッピングセンター 1997年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年8月1日).pp62
  75. 1 2 “日本のSC マイカル桑名(三重県桑名市)”. ショッピングセンター 1995年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年6月1日).pp21
  76. ↑ “日本のSC マイカル桑名(三重県桑名市)”. ショッピングセンター 1995年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年6月1日).pp22
  77. 1 2 “東京へ進出したボン·ボヌール”. 中部財界 1981年8月号 (中部財界社) (1981年8月).pp72

関連項目