ポルノ時代劇 忘八武士道

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ポルノ時代劇 忘八武士道
Bohachi Bushido: Code of the Forgotten Eight
監督 石井輝男
脚本 佐治乾
原作
出演者
音楽 鏑木創
撮影 鈴木重平
編集 市田勇
製作会社 東映京都撮影所[1]
配給 東映[2]
公開 日本の旗 1973年2月3日
上映時間 81分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
次作 忘八武士道 さ無頼
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『ポルノ時代劇 忘八武士道』(ポルノじだいげき ぼうはちぶしどう)は、1973年公開の日本映画[3][4][5][6][7]。小池一夫原作、小島剛夕画の漫画『忘八武士道』の映像化で[8]、主演は丹波哲郎[9]、監督は石井輝男[10][11][12][13]。

本格的な時代劇に[10]、プラスふんだんに性描写が取り入れられ[9][13]、R-18(旧成人映画)指定に分類されているタイトル通りのポルノ映画[13][14][15][16]+時代劇[2][9][17]。ほぼ全編吉原遊郭を舞台としている[13]。

あらすじ

明日死能は、役人に追われ、やむを得ず橋から川へと飛び降り、白首の袈裟蔵を首領とする集団により救助された。吉原の総名主に気に入れられた明日死能は、彼の客人として働くこととなり、吉原の人たちにとっては目障りな、私娼狩りの手伝いをする。老中は、忍者集団である黒鍬者に、明日を亡き者にするよう命じる。

配役

※オープニングクレジット順[注 1]

スタッフ

  • 監督:石井輝男
  • 企画:俊藤浩滋、橋本慶一、三村敬三
  • 原作:小池一雄、小島剛夕
  • 脚本:佐治乾
  • 撮影:鈴木重平
  • 美術:吉村晟
  • 音楽:鏑木創
  • 録音:中山茂二
  • 照明:若木得二
  • 編集:市田勇
  • 助監督:篠塚正秀
  • スチール:中山健司

製作

企画

石井輝男監督は「原作の熱狂的ファンだった丹波哲郎が、自分でやりたくて企画を持ち込んだ」と述べている[18]。『週刊文春』1973年2月26日号に「東映のポルノ時代劇『忘八武士道』を企画・主演した丹波哲郎」と書かれている[16]。劇中で「二代目首切り浅右衛門が使った鬼包丁」と説明される長い刀は、丹波が自分で用意したという[18]。丹波は『映画秘宝』2005年12月号のインタビューで、「これは僕が原作の権利を持っていたんですよ。当時、私は『さむらいプロダクション』という自分のプロダクションを持っていて、そこに小橋智子という有能な女性プロデューサーがいて、彼女が原作権を5年間の限定で安く買っていてね。あと半年で権利が切れるというときに、東映から『やりましょう』という話が来て、それで動き出した。サブタイトルに『ポルノ時代劇』って付いているから、こういう企画なら石井輝男だろう、石井ちゃんなら僕も付き合いが古いから、って話が進んだと記憶しています」「製作費は本当に少ないけどとにかくやってみようということで始まった。石井監督もノッていたし、僕も大いに楽しんだ。殺陣は全部自分でやったの。僕じゃないと出来ない殺陣なんだよね。『三匹の侍』も殺陣はそれぞれの役者がやっていたんです。ズバッとか音を立てるのも、むしろこっちの方で言い出したことだからね」「ポルノをやったのはこれだけです。ベッドシーンも昔、岩下志麻とやったくらいで、ほとんどない。数年前に今村昌平の映画で若い女性(麻生久美子)とやらされたけどね(笑)」「私の見解としては、真っ裸にすればいいというもんじゃなくて、ズラッと並べようと言ったと思うよ。今、DVDを観ても女優が綺麗に残っていて良かったと思うね」「(1999年の)『地獄』に明日死能の役そのままで出演しているのは石井さんから『丹波ちゃん、出てよ』って言うんでノーギャラで出たんだ。石井監督の活動屋魂に打たれて出たんです」などと述べている[15]。原作は報知新聞の紙面表裏二頁を占める新機軸で連載され話題を呼んでいた[6]。当時は劇画原作物の映画化がブームだった[5]。

脚本

脚本の佐治乾が原作をめちゃくちゃに分解してホンを作ったため、どうにもならないから、石井がプロデューサーに「原作通りやったらどうか」と提案し、了承されたため、石井が全面的に原作に忠実にホンを書き直した、脚本料は貰っていないと述べている[5][18]。同じ佐治脚本だった1961年の『花と嵐とギャング』も同様に全部書き直したという[5]。「佐治さんとは合わない」などと述べている[5]。

キャスティング

石井は「主演の丹波哲郎もノって、二人で遊んだ感じ」と述べている[5]。丹波は当時から催眠術や占星学に凝っていることで芸能界では有名で[16]、『人間革命』で戸田城聖を演じる予定があった[16]。また自称剣道七段という腕前から、「丹波道場」という名前の剣道場を建てるべく、高円寺あたりの土地を物色中であった[16]。千葉真一の体育クラブ、内田良平の演劇サロンなど[16]、タレントが趣味や仕事で個人的なサークルを持つ例はあったが、剣道場は初めてだった[16]。丹波は道場設立の目的として「髪を伸ばし、男か女か得体の知れなくなった青少年の根性を叩き直す」と述べた[16]。また会長に川内康範、師範に剣道二段の五社英雄ら、芸能界の有段者を迎え、剣道だけでなく、タレントの育成や、テレビや映画の企画などもやる多角経営の方針を示していた[16]。丹波は同時期に戸田創価学会会長や総理大臣、熟練刑事などの善良なイメージの大物や人格者になりきっていたが[19]、本作では女色と血飛沫に塗れた稀代の怪人を何食わぬ顔で堂々と演じ[19]、彼のアナーキーさと監督の目指すものが噛み合い、荒唐無稽の面白さ極まる奇篇を生んだ[19]。

遠藤辰雄も芝居が達者で、あそこまで照れずにクサくやってくれたことに感心したという[5]。ひし美ゆり子を始め、女優はみんな気のいい子で何の文句も言われなかったと石井は述べている[7]。全編にわたって素っ裸のままのアンヌが、外国人女性の乳房を舐めまわす絵面はかなりシュール。川谷拓三が、前半に天井に潜む黒鍬者の忍として、エンディングで「御用だ!御用だ!」の岡っ引として顔面を赤く染め、2度登場。

撮影

徹頭徹尾敵味方の女性の裸体が入り乱れ、性戯や拷問を繰り返す[19]。死能が役人たちを次々にぶった斬り、腕や、耳、生首が飛び、血飛沫が吹き出すスプラッター描写は70年代ハードボイルド時代劇の定番であった[7]。クライマックスの手や足が飛び交う描写はバレエっぽさを取り入れた[18]。石井は「公開当時は『残酷だ』と言われたが、年を経て笑われるようになった」と述べている[18]。

作品の評価

批評

公開当時は「最も狂った映画」と評された[7]。飯島哲夫は「《腕・足までか耳が飛び、首が宙を泳ぎ、血がドドッと音をたててあふれるような殺陣」などと評価[6]。

田中陽造は「『緋ぢりめん博徒』につづく怪物石井輝男復活第二作と言うべきか、まことに上出来な娯楽作品」[13]「アシタ死ノウを阿片と女体責めで廃人にするあたりのポルノごっこは、石井輝男とも思えぬ鈍重さで、残酷ポルノを叩きつけて時代に先駆した奇才の、ポルノブームへの栄光ある帰還とは義理にも言えない」[13]「石井輝男は日本で一番気が〇っている監督はこの人だと思った。なにしろ緊縛の創始者でSM界の神様・辻村隆が『あの人は変だよ』と言ったのである」などと評価している[6][13]。

樋口尚文は「60年代末から打ち出していた東映ポルノに東映本来のお家芸である時代劇のインフラが組み合わさって出来たポルノ時代劇異色作のひとつの突出点」と評価している[19]。

宮地菊夫は「時代劇に於ける丹波哲郎の代表作」と評価している[9]。

興行

前番組は『仁義なき戦い』/『女番長(スケバン)』

ソフト

長くテレビ放送もソフト化もなされず[1]、2000年以前にヒロインのひし美ゆり子が東映に「オンエアしないのか」と問い合わせたら「オンエアしたら、東映が潰されちゃう」と言われたという[1]。2005年10月にDVDが発売されている[3][15]。

同時上映

『セックスドキュメント エロスの女王』

『㊙女子高校生 課外サークル』

関連作品

  • 地獄(1999年) - 石井輝男が監督を務めた映画。丹波哲郎が本作品と同じ明日死能役で出演した[20]。

脚注

注釈

  1. ↑ 役名は『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』228頁に記載がある[7]。

出典

  1. 1 2 3 ひし美ゆり子「ゆり子・オン・ムービー―映画女優 『忘八武士道』に問題あり!?」『アンヌとゆり子-隊員服を脱いだ私』同文書院、2000年、100–102頁。ISBN 4810377091。
  2. 1 2 “忘八武士道”. 日本映画製作者連盟. 2026年8月10日閲覧。
  3. 1 2 ポルノ時代劇 忘八武士道 – 東映ビデオ
  4. ↑ ポルノ時代劇 忘八武士道 – ぴあ
  5. 1 2 3 4 5 6 7 #映画魂「第四章 土方巽を呼んで、遊んでしまった でたらめの感じをどんどんやって」、219-220頁
  6. 1 2 3 4 #映画魂「フィルモグラフィー 忘八武士道」、347頁
  7. 1 2 3 4 5 #ピンキー「石井輝男監督作品(2) ポルノ時代劇 忘八武士道」、228-229頁
  8. ↑ “ポルノ時代劇 忘八武士道”. 映画DB. 2025年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月23日閲覧。
  9. 1 2 3 4 宮地菊夫「追悼 丹波哲郎 ベストアクトを披露し、原作の面白さを証明した! 『ポルノ時代劇 忘八武士道』」『時代劇マガジン (タツミムック)』第15巻2007年1月1日、辰巳出版、109頁、ISBN 978-4-7778-0323-1。
  10. 1 2 “刀を振る速さ、腰の座り 名優・丹波の殺陣堪能!春日太一の木曜邦画劇場”. 文春オンライン. 2021年8月23日閲覧。
  11. ↑ “ポルノ時代劇 忘八武士道”. 東映. 2021年8月23日閲覧。
  12. ↑ キネマ旬報 1973年2月下旬号 p.169-172
  13. 1 2 3 4 5 6 7 #田中「映画監督石井輝男論 アシタ死ノウ氏の三つめの眼球 『ポルノ時代劇 忘八武士道』」、41-44頁
  14. ↑ 「内外映画封切興信録 忘八武士道」『映画時報』1973年4月号、映画時報社、40頁。
  15. 1 2 3 鈴木義昭「まだまだ続くぞ! 追悼特集第2弾 石井輝男の世界 丹波哲郎インタビュー 『石井監督の活動屋魂に打たれて明日死能を再び演じたんだ』」『映画秘宝』2005年12月号、洋泉社、26–27頁。
  16. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 「観客の目 剣道ブームにあやかる丹波哲郎"武家の商法"」『週刊文春』1973年2月26日号、文藝春秋、26頁。
  17. ↑ “ポルノ時代劇 忘八武士道”. 日本映画情報システム. 2021年8月23日閲覧。
  18. 1 2 3 4 5 #ピンキー「石井輝男インタビュー 聞き手/杉作J太郎」、235-236頁
  19. 1 2 3 4 5 #樋口「第2章 狂い咲くジャンルの妙味 お色気と活劇で賑やかす戯作の執念… 」、123-126頁
  20. ↑

参考文献

外部リンク