| マッドリブ Madlib | |
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マッドリブ(2014年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | オーティス・ジャクソン・ジュニア |
| 生誕 |
1973年10月24日(51歳) |
| 出身地 |
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| ジャンル | ウエスト・コースト・ヒップホップ、フュージョン、ファンク、電子音楽、ジャズ、サイケデリア |
| 職業 | 音楽プロデューサー、ラッパー、ソングライター、DJ |
| 担当楽器 | ターンテーブル、サンプラー、ボーカル、ドラム、キーボード、シンセサイザー、ベース、ヴィブラフォン、パーカッション、ギター、フルート、サクソフォーン |
| 活動期間 | 1993年 - |
| 公式サイト |
www |
マッドリブ(Madlib、本名Otis Jackson, Jr.、1973年10月24日 - )は、アメリカのミュージシャン、音楽プロデューサー。カリフォルニア州オークランド生まれ。アメリカのアンダーグラウンドヒップホップ界で著名なプロデューサー(トラックメーカー)である。
マッドリブはオークランドで生まれてすぐ、同じカリフォルニア州のオックスナードに移住した[1]。家族全員がミュージシャンであったという[2]。
マッドリブ(Madlib)として初めて仕事をしたのは1993年(20歳のとき)、ロサンゼルスにおいてザ・アルカホリクス(The Alkaholiks)の『21 & Over』という作品中の曲をプロデュースしたときのことであった。プロデューサーとして有名になり始めたのは、ロサンゼルスを拠点に活動するヒップホップのインディーレーベル「ストーンズ・スロウ・レコーズ(Stones Throw Records)」との契約後の1999年、ルートパック(Lootpack)の『Soundpieces: Da Antidote』をプロデュースしてからのことであった[3]。
翌2000年、同じく「ストーンズ・スロウ・レコーズ」からカジモト(Quasimoto)という名義でリリースした『The Unseen』は、異彩を放った作品であった。ヘリウムガスで変調をかけられたラップは、強烈な個性を際立たせることに成功し、定型のフォームからは逸脱したものであった[4]。
以来マッドリブ(Madlib)をはじめ、カジモト(Quasimoto)、イエスタデイズ・ニュー・クインテット(Yesterdays New Quintet)、DJレルズ(DJ Rels)、ヤング・ジャズ・レベルズ(Young Jazz Rebels)等、プロジェクトごとに名称を使い分けている。「ジャズの若き反逆者たち(Young Jazz Rebels)」というグループ名が物語っているように、ジャズもまたテーマのひとつとして設定されている[5]。
2003年、マッドリブは「ブルーノート・レコード」から全音源を預けられ、新たな視点からブルーノートを構築し直すことを試みた。それが『ブルーノート帝国への侵略(Shades Of Blue)』という作品である[6]。マッドリブは、膨大な音源から主にアンドリュー・ヒル、ボビー・ハッチャーソン、ホレス・シルヴァー、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ジーン・ハリス、ドナルド・バード、ロニー・フォスター、ルーベン・ウィルソン、ボビー・ハンフリー等、新旧ミュージシャンの音源を抽出し、場合によっては生演奏を全面的に重ねることによってまったく新しいヴァージョンへと転化させ、また時にはオリジナル音源を抽出し、それらを組み合わせることで新たなブルーノート・サウンドを再構築している[7]。
同2003年、マッドリブは、ふたつの共同プロジェクトを発表した。ひとつめ、J・ディラとの共同プロジェクトにおいて彼らはジェイリブ(Jaylib)と名乗って『Champion Sound』というアルバムを制作した[8]。ふたつめ、ラッパーのMFドゥーム(MF Doom)との共同プロジェクトにおいて彼らはマッドヴィリアン(Madvillain)と名乗った。以降も断続的に共同プロジェクトを手掛けている[9]。
2010年、マッドリブは〈Madlib Medicine Show〉というシリーズのアルバム集を制作するために「Madlib Invazion」というレーベルを発足させた[10]。〈Madlib Medicine Show〉が完結した後も、同レーベルからアルバムが発行され続けている。
2025年1月に発生した南カリフォルニアの山火事によって自宅と数十年分の音楽、機材を失ったことを自身のInstagramで明かした[11]。
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