ミャンマーの金

本記事は、ミャンマーの金(ミャンマーのきん)についての説明である。ミャンマーでは、マンダレー地方域、ザガイン地方域、カチン州、シャン州、モン州、タニンダーリ地方域など全国各地で金採掘が行われており、300以上の中・小規模の金鉱床が公式に記録されている[1]。採掘された金は国内で取引されるほか、周辺諸国にも流出している。特に、政府の統計に捕捉されない非公式な採掘や国境を越えた密輸が、金産業の実態を把握するうえでの課題となっている[2]。
黄金の国
ミャンマーは古くから「黄金の国(Golden Land)」あるいは「黄金の地」と呼ばれてきた。これは同国が豊富な金資源を有することに加え、仏教文化において金は、精神的な悟りと平和の象徴として神聖視されてきたことに由来する。ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダなど、同国の丘の上や町の中心には、金箔や金板で覆われた仏塔(パゴダ)や寺院が点在している[3][4]。
また、パゴダや寺院だけではなく、飲食、伝統医療、祭礼、装飾など、日常生活の様々な場面で金が使用されている。一方、経済状態や通貨が不安定なことから、金は投資手段や財産保全手段としても用いられている。2021年ミャンマークーデター後には、チャットの下落や経済的混乱を背景として、金の資産保全手段としての重要性が高まった[5]。2026年1月には、国内の金価格が1ティカル(約16.33グラム)当たり989万チャット(4,710米ドル)という史上最高値を記録した[6]。
生産地

ミャンマーにおける金鉱床は、大きく鉱脈型金鉱床と砂金鉱床(堆積鉱床)に区分される[7]。
鉱脈型金鉱床は主としてミャンマー北部から中部に分布し、モーゴッ変成帯やサガイン断層帯などの主要な地質構造と密接に関連して形成されている。これらの鉱床は、石英脈型を主体とする岩盤中の金鉱床であり、地質構造や火成活動の影響を強く受けている[7]。
一方、砂金鉱床は主としてエーヤワディ川およびその主要支流(チンドウィン川など)の流域に広く分布している。これらの砂金は、上流域に存在する鉱脈型金鉱床が風化・侵食され、河川によって運搬・再堆積することで形成されたものと考えられている。このため、砂金鉱床の分布は鉱脈型金鉱床の分布と地質学的に連続した関係にあり、河川系に沿った特徴的な分布を示す[7]。
採掘および選鉱

採掘
鉱脈型金鉱床の採掘は、主として岩盤中に発達した石英脈や鉱化帯を対象として行われる。比較的浅部に分布する鉱床では露天掘りが採用され、深部に延びる鉱脈を対象とする場合には坑内掘りが行われている。石英脈は地下数メートルの深さにあり、数メートルの岩盤に覆われている場合があるため、探索と採掘には高度な探査技術や採掘機器が必要となる。一方、石英脈型以外の金鉱床は、零細・小規模採掘(Artisanal and Small-scale Mining:ASM)と大規模鉱山会社の双方によって採掘されている[8]。
砂金鉱床の採掘は、河川の砂礫層や沖積層を対象として行われる。鉱脈型金鉱床に比べてアクセスや採掘が容易であるため、ASMが広く行われている。採掘には、パンニング(皿掬い)やスルースボックスを用いた簡易的な方法のほか、堆積物を崩すために高圧水を使用する水圧採掘、吸引ホースや掘削機を用いた機械的な採掘方法もある。河川では、浚渫船を用いて河床の堆積物を採取する方法も行われている[8][9]。
回収・処理
採掘された鉱石は、破砕・粉砕工程を経た後、重力選鉱や浮遊選鉱などの方法[注釈 1]によって金を含む部分が濃縮される。近代的な鉱山では機械化された設備が導入されているが、ミャンマーの金採掘では零細・小規模な操業が広く行われている[8]。
物理的な選鉱の後、金は化学的処理によって回収される。代表的な方法として、シアン化処理および水銀アマルガム化処理がある。水銀アマルガム化処理では、金を含む鉱石や選鉱によって得られた濃縮物に水銀を加え、金と水銀の合金であるアマルガムを形成する。その後、アマルガムを加熱して水銀を蒸発させることで金を回収する。この工程では水銀蒸気が発生するため、適切な回収設備がない場合、作業者の健康や周辺環境に悪影響を及ぼすおそれがある[8]。
ミャンマーでは、一部の大規模金鉱プロジェクトを除き、シアン化処理は原則として禁止されている。一方、適切な設備と管理の下で行われるシアン化処理は、零細・小規模採掘で広く用いられる水銀アマルガム化処理と比較して、金の回収率が高く、水銀による汚染を回避できる利点がある。しかし、多くのASM採掘者は、シアン化処理施設での回収過程を直接確認できず、産出した金の量を正確に把握できないことに不信感を抱いている。これに対して、水銀アマルガム化処理では、採掘者自身が金の回収過程を目視で確認できることから、同処理法が引き続き利用される一因となっている[8]。
2021年クーデター後の動向
金採掘の拡大
公式生産量の減少

2021年2月の軍事クーデター以降、ミャンマーの金産業では、政府の許可を受けた鉱山の生産量が減少する一方、非公式な採掘活動が急速に拡大した。クーデターに伴う内戦の激化によって中央政府の行政機能や鉱業規制が弱体化し、多くの金鉱山が反政府武装勢力の支配下に入った。また、ミャンマー軍(国軍)の支配地域でも鉱業許可や監督制度が十分に機能しなくなり、各地で無許可の採掘が増加した[11]。
ミャンマー中央統計機関の統計によると、政府の許可を受けた鉱山における金生産量は、2020–21年度の846キログラムから2024–25年度には532キログラムへ減少し、約37%の減少となった。2021–22年度は会計年度の変更に伴う6か月間の移行期間であり、生産量は280キログラムだった。その後、2022–23年度には543キログラム、2023–24年度には591キログラムとなったが、クーデター前後の水準には回復していない。一方、こうした公式統計には無許可の鉱山による生産が含まれておらず、衛星画像の分析、現地での聞き取り調査、報道などからは、実際の採掘活動が拡大していることが確認されている[13]。
非公式採掘の拡大
採掘の拡大が顕著に見られる地域の一つが、ザガイン地方域である。国際戦略研究所(IISS)が衛星画像を分析したところ、2021年以降、同地方域の河川で金採掘用の浚渫船が増加していた。特にインド国境に近いホマリン郡区では採掘が集中し、チンドウィン川沿いのパウンビン、モーライ、ミンギンなど、従来は大規模な採掘が行われていなかった地域にも拡大した。採掘活動は2023年初頭に著しく活発化しており、ホマリン郡区では一つの村の近くで100隻以上の浚渫船が操業していたとの証言もある[15]。
陸上でも採掘の機械化が進んだ。ザガイン地方域のタゼ郡区では、重機の導入によって個々の鉱山の生産量が倍増したと報告されている。また、シャン州北部のクッカイ郡区では、農業資材の価格上昇や農産物価格の下落を背景に、稲作やトウモロコシ栽培に利用されていた農地が金鉱山へ転用された。こうした採掘の拡大は、農地や森林、河川などの地域資源の喪失を伴っていた[16]。
採掘労働者の増加
採掘活動の拡大には、内戦による経済的混乱も関係している。クーデター後、ミャンマーでは経済活動の縮小、物価の上昇、農業やその他の生計手段の喪失が進み、生活のために金採掘へ従事する人々が増加した。クーデター以前の2019年に行われた調査では、零細・小規模金採掘は国内の金生産量の約90%を占め、17万3,375人が従事していると推計されていた。これは金産業全体の雇用の約95%に相当する。IISSは、クーデター後の採掘拡大を踏まえると、従事者数はさらに増加した可能性が高いと指摘している[18]。
金採掘と武装勢力
国軍による採掘の統制
2021年の軍事クーデター以降、ミャンマー各地の金鉱山は国軍と反政府武装勢力の双方にとって重要な財源となった。内戦によって行政機構が弱体化した結果、国軍の支配地域では鉱業許可や監督を担う行政機関が十分に機能しなくなり、軍人が採掘業者から非公式な支払いを徴収する事例が増加した。従来、鉱業許可の発行に際しては郡区レベルの委員会による現地調査や環境影響評価の審査が必要とされていたが、クーデター後は公務員による抗議ストライキ、財政収入の減少、汚職の拡大、治安の悪化などによって、こうした制度の多くが機能不全に陥った。鉱山が集中する農村部では行政官による監督がほとんど行われず、国軍兵士が非公式な採掘を容認する見返りに賄賂を徴収することもあった[20]。
反政府武装勢力による課税
一方、反政府武装勢力が支配する地域では、中央政府による鉱業規制に代わって各武装組織が独自の課税制度を設けた。IISSが行った聞き取り調査によると、ザガイン地方域のタゼ郡区では金鉱山の操業者が6か月ごとに80万チャットを支払い、シャン州北部のクッカイ郡区では月額150万チャットが徴収されていた。また、ザガイン地方域のホマリン郡区の一部では、河川で金を採掘する浚渫船に対し、定期的な支払いとは別に7,000万チャットの参入料が課されていた。カチン州のモーニン郡区では、採掘された金の一部を現物で徴収する方式が採用されていた[21]。
複数の武装組織が活動する地域では、採掘業者がそれぞれの組織に支払いを求められる場合もあった。タゼ郡区では、国民統一政府(NUG)の地方組織による徴収に加え、複数の小規模武装組織に対して、それぞれ月額10万~20万チャットを支払う事例が報告されている。こうした徴収は、反政府勢力が戦闘を継続するための資金源となるだけでなく、支配地域で行政機構を維持し、医療や教育などの公共サービスを提供するための財源にもなっている。特にザガイン地方域中部の抵抗勢力は、結成当初に依存していた市民からの寄付が減少する一方、国境貿易による収入を得にくく、武器の調達費用も高額であることから、金採掘などの地域資源に依存する傾向を強めている[23]。
鉱業規制の形骸化
しかし、武装勢力による徴収は必ずしも採掘事業の適切な管理につながっていない。IISSがザガイン地方域の6郡区とカチン州、シャン州の各1郡区で実施した聞き取り調査では、採掘業者から税や手数料を徴収する組織の多くが、基本的な環境保護措置を実施していなかったと報告されている。採掘現場への立ち入り検査や報告書の提出義務が課されることは少なく、クーデター以前に存在した採掘方法や採掘区域に関する制限も事実上失われていた。一部の反政府武装勢力は責任ある資源管理を掲げ、独自の鉱業政策を策定しているものの、実際には戦闘資金を確保する必要から環境破壊を伴う採掘を容認していると指摘されている[24]。
国軍と反政府武装勢力の関係は、金の採掘と流通を通じて複雑に結びついている。国軍は反政府勢力の支配地域にある金鉱山への空爆を行っており、2025年11月以降は特にザガイン地方域で攻撃が増加した。一方、国軍が管理する道路や検問所では、賄賂の支払いによって反政府勢力の支配地域への燃料や採掘機械の搬入、採掘された金の搬出が認められる場合があった。ホマリン郡区の反政府勢力支配地域では、採掘業者が輸送の便宜や鉱山への攻撃を回避する目的で国軍側に支払いを行っていたと報告されている[26]。
国軍と反政府勢力の経済的関係
こうした取引では仲介業者が重要な役割を担っている。仲介業者は紛争当事者の支配地域をまたいで物資や資金を運び、国軍への賄賂の支払いを代行することもある。その手数料は取扱貨物の価値の15~30%に達する場合があった。また、カチン州の一部地域では、国軍と密接な関係を持つ実業家の集団が燃料や採掘機械の供給を管理し、輸送業者に検問所の通過許可書を発行していた。IISSは、このような仕組みによって国軍と反政府勢力が敵対関係にありながら、金採掘を通じて相互に経済的利益を得る構造が形成されていると分析している[27]。
金の流通と密輸
国内流通と精錬

2021年の軍事クーデター以降、ミャンマーの金の流通は、国軍と反政府武装勢力の支配地域をまたぐ非公式な取引網に大きく依存するようになった。採掘された金は、地方の金取引業者や仲介業者を通じて、マンダレー、ヤンゴン、ミッチーナーなどの主要都市へ運ばれる。特にザガイン地方域では、国軍が金や現金の持ち運びを制限しているため、商人らは道路やカムティ、カレーなどの国内空港を利用して金を非公式に輸送している。また、国軍による封鎖で現金が不足する地域では、採掘業者が地元の金販売店に金を売却し、その代金をマンダレーにある提携店舗で受け取る仕組みも利用されている[29]。
都市部に運ばれた金は精錬所で地金に加工されるか、宝飾品の製造に使用される。ヤンゴンやミッチーナーの主要な精錬所では、原料となる金の産地証明書やその他の書類を要求せずに精錬を引き受ける場合がある。このため、反政府武装勢力の支配地域で採掘された金も、精錬工程を経て一般の市場に流入している。また、ミャンマーでは以前から古い宝飾品や地金を溶解して再利用する取引が広く行われており、クーデター後の経済危機によって家計を維持するために保有する金を売却する人々が増えたことで、再生金の流通も拡大した。新たに採掘された金と再生金は同じ精錬所で加工されるため、市場に流通する金の出所を追跡することは困難になっている[31]。
金市場への介入
軍事政権による金市場への介入も、非公式な取引の拡大を促している。政権は金価格や為替相場の安定を目的として、金取引業者への取り締まりや市場価格を下回る公定価格の適用を試みてきた。しかし、こうした措置は十分な効果を上げず、金地金の取引の一部を政府公認の取引市場から地下市場へ移行させた。また、取り締まりによって主要な精錬所が一時的に閉鎖されると、地方都市では無許可の精錬所が増加し、地方当局への賄賂によって営業を続ける事例も報告されている。IISSによると、軍事政権の取り締まりは金の不正な出所を追及することよりも、金の買い占めや投機的取引を抑制することを主な目的としている[33]。
国外への輸出と密輸
ミャンマーでは2018年に金の輸出が合法化され、日本や韓国への輸出が行われた。しかし、2020年に資金洗浄対策として導入された厳格な決済規則が輸出業者にとって実行困難だったため、正規の輸出は事実上停止した。2021年末には決済規則が緩和されたものの、金の純度や重量を国際的な基準に従って検査する認証施設が国内に不足していることなどから、正規輸出の再開には障害が残っている[35]。
一方、周辺諸国への金の密輸は継続している。特にインドでは、ミャンマーとの国境に近い北東部で密輸金の押収が相次いでいる。インド当局の統計によると、2020–21年度に国内で押収された密輸金833キログラムのうち、37%がミャンマーを出所とするものだった。これは約308キログラムに相当し、同年度のミャンマーの公式金生産量846キログラムの約36%に当たる。ただし、押収量は密輸全体の一部にすぎず、ミャンマー国内の非公式採掘による生産量も公式統計には含まれていないため、実際の密輸規模は不明である。押収された金地金の中には、ミャンマーの正規精錬所の刻印が付いたものも確認されている[36]。
中国への金関連鉱石の輸出も増加している可能性が指摘されている。中国税関の統計によると、ミャンマーから輸入された統計品目番号261690に分類される貴金属鉱石・精鉱の数量は、2020年の234トンから2025年には2万7,788トンに増加し、2026年上半期だけで5万3,005トン、金額にして約1億1,398万米ドルに達した。これらの多くは国境貿易によるもので、カチン州やシャン州から搬出されたと考えられている。ただし、この統計品目は銀を除く貴金属の鉱石・精鉱を対象としており、金以外の金属を含む可能性がある。IISSは、ミャンマーからの輸入品の大部分が金関連の鉱石である可能性を指摘する一方、取引量が非常に大きいことから、一部の貨物が別の品目として誤って申告されている可能性もあるとしている[37]。
タイへの金の密輸は、非公式な送金網とも結びついている。ミャンマーでは、海外で働く移民労働者などが銀行を介さずに送金する「フンディ」と呼ばれる仕組みが以前から利用されてきた。クーデター後は、国内の政治・経済的不安定化を背景に、資産を国外へ移転する手段としても利用されるようになった。こうした非公式送金の決済に金が用いられ、タイなどの周辺国へ密輸される事例が報告されている[38]。
IISSは、ミャンマーの金の供給網では、採掘、輸送、精錬、販売の各段階で国軍や非国家武装組織への支払いが発生する可能性があり、紛争地域から調達された鉱物の取引に関するリスクが高いと指摘している。また、金の産地を確認する仕組みが不十分なため、国内市場で流通する金がどの程度国際的な供給網に組み込まれているのかは明らかになっていない[40]。
人権侵害および環境破壊
人権侵害
2021年ミャンマークーデター後、軍資金を確保するために、国軍、少数民族武装勢力その他武装勢力が、鉱物の採掘や森林の伐採を加速させていると報じられ、人権状況が悪化していると指摘されている[41][42]。カチン州では、2021年12月、カチン独立機構・軍(KIO/A)が支配地域内の金採掘を禁止した。しかし、KIO/Aも鉱業や林業からの利益を独占し、違法採掘・伐採および密輸出を黙認してきた主体であると指摘されており、その意思決定には疑問が呈されている[9]。
金採掘の拡大は、内戦によって避難を余儀なくされた住民の生活にも影響を及ぼしている。カチン州のナムサムヤン村では、長期間避難生活を送っていた住民が、帰還後も無規制の採掘によって土地が破壊されることを懸念し、所有地を安価で売却するよう圧力を受けたと報告されている。また、金採掘への土地利用の転換は、採掘事業に参加したり土地を売却したりする住民と、農地や居住環境の保全を望む住民との対立を引き起こしている[43]。
採掘現場の周辺には、国内各地から移住した鉱山労働者、商人、サービス業者などによる居住地が急速に形成されている。こうした集落では、過酷な労働に伴う薬物使用や違法薬物市場の形成など、社会問題も報告されている。採掘作業は夜間まで続くこともあり、労働者は危険な環境で長時間働いている。2026年の調査では、一般労働者の月収は約50万チャット、掘削機の操縦者は約200万チャットと報告されている。これらの賃金は国際的には低水準であるものの、内戦と経済危機によって他の就業機会が失われた地域では、比較的高い収入を得られる仕事となっている[44]。
内戦による住民の避難、農地や市場へのアクセスの喪失、従来の生計手段の崩壊は、金採掘に従事する労働力の増加を促している。しかし、採掘の拡大そのものが農地や水源を破壊し、地域住民が農業などの従来の生業に戻ることを困難にしている。IISSは、生活基盤の喪失が金採掘を拡大させ、その採掘がさらに生活基盤を損なう悪循環が生じていると指摘している[45]。
環境破壊
金採掘特有の問題として、精錬工程で使用される水銀とシアン化物による健康被害と環境汚染の問題がある。特にASM(零細・小規模採掘)においては、危険な作業環境、保護具の不足、職業訓練の欠如により、化学物質による曝露リスクがさらに高まっている。加えて、ASMは医療や安全な水へのアクセスが乏しい遠隔地で行われることが多く、周辺に形成される一時的居住地では、公衆衛生インフラの不足、感染症の拡大、社会問題の発生が指摘されている。これらの要因が重なり、金採掘は環境問題のみならず、深刻な人権および公衆衛生上の課題ともなっている[46]。
金採掘による環境破壊は、化学物質による汚染にとどまらない。ミャンマーでは、鉱床の詳細な探査が十分に行われないまま採掘が進められることが多く、比較的短期間で採掘場所が放棄され、新たな土地が掘り返される傾向がある。その結果、森林や農地の消失、河川への土砂の流入、河岸の侵食、水源の汚染などが発生している。また、採掘終了後の土地の原状回復が行われることは少なく、放棄された採掘坑に残留した水銀などの有害物質が、豪雨の際に周辺の水路へ流出する危険性も指摘されている[48]。
2021年の軍事クーデター後は、鉱業規制の弱体化と採掘活動の急増によって、こうした問題が一層深刻化した。ザガイン地方域のホマリン郡区では、ウユ川やチンドウィン川で金採掘用の浚渫船が増加し、河川やその周辺の土地で大規模な採掘が行われるようになった。IISSが2021年11月と2023年3月の衛星画像を比較したところ、ウユ川沿いで浚渫船と陸上の採掘現場が大幅に増加していることが確認された。また、シャン州北部のクッカイ郡区では、稲作やトウモロコシ栽培に利用されていた農地が金採掘のために転用されている[49]。
河川への土砂や採掘廃棄物の流入は、周辺住民の生活にも深刻な影響を及ぼしている。タイ国境に近いシャン州東部のタチレク郡区では、採掘廃棄物を含む土砂が洪水によって集落に流入し、住宅が失われたほか、周辺の水田や果樹園が堆積物によって耕作不能になったと報告されている。また、鉱山周辺では、従来飲料水、灌漑、入浴などに利用されていた河川や小川が汚染され、住民が利用を断念する事例も生じている[50]。
水銀による影響
ASMで広く用いられている水銀アマルガム化処理では、水銀が土壌、大気、水中に放出され、長期間残留する。放出された水銀は食物連鎖を通じて生態系内に蓄積し、魚類を介して人間に取り込まれる可能性がある。水銀は人体に対して強い毒性を持ち、胎児や乳幼児、および高濃度の水銀に曝露されるグループに深刻な健康影響を及ぼすとされている[46]。
ミャンマーのASM現場では、金‐水銀アマルガムの加熱が、換気設備や回収装置が設置されていない屋内で行われているため、ASM労働者やその家族が水銀蒸気に直接曝露されている。これにより、震え、運動失調、記憶障害などの神経系障害をはじめ、腎不全や呼吸器系疾患などの健康被害が報告されている。また、屋内で精錬作業を行う女性や、近くにいる乳幼児が高濃度の水銀に曝露されるリスクも指摘されている[46]。
2019年に発表された研究では、マンダレー地方域の小規模金採掘集落において、大気中の水銀濃度が世界保健機関(WHO)の安全基準の74倍に達する地点が確認された。また、採掘現場で発生した水銀蒸気が周辺の住宅地にまで拡散していることも示された。金の精製過程で発生する水銀蒸気は、換気が不十分な住宅などで特に高濃度となりやすく、子どもを含む住民が曝露される危険性がある[51]。
水銀による汚染は、採掘現場だけでなく下流域にも影響を及ぼす。金の回収に使用された水銀が河川に直接排出されたり、放棄された採掘坑に残留した水銀が降雨によって流出したりすることで、周辺の水域が汚染される。鉱山周辺の住民からは皮膚の発疹やがんの増加を訴える声も報告されているが、これらの症状と採掘による汚染との因果関係は十分に解明されていない。モン州のビリン川では、2020年に政府が汚染調査を開始したものの、翌年の軍事クーデターによって中断された[52]。
シアン化物による影響
シアン化物は水銀と異なり、空気や日光により比較的速やかに分解されるが、安全な取り扱い、保管、廃棄物管理が行われない場合、水源や地下水を汚染する可能性がある。また、急性毒性が強く、吸入、摂取、皮膚吸収によって短時間で重篤な健康被害や死亡を引き起こす可能性があり、長期的には神経系や生殖系への影響なども懸念されている[46]。
脚注
注釈
- ↑ 重力選鉱は鉱物の比重差を利用して分離する方法であり、浮遊選鉱は薬剤を用いて目的の鉱物粒子を泡に付着させ、他の鉱物から分離する方法である。
出典
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