一条実家
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 建長2年(1250年)
死没 正和3年1月11日(1314年1月27日)
別名 号:一条
官位 従一位、太政大臣
主君 後嵯峨上皇→後深草天皇→亀山天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇
氏族 一条家
父母 父:一条実経
母:坊門有信の娘?または大炊御門家嗣の娘?
兄弟 静厳、家経、実家、慈信、師良、慈昭、慈玄、頊子、忠輔、家房、道淳、厳昭、一条内実室
妻 滋野井公光の娘
子 内家、澄助
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一条 実家(いちじょう さねいえ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。関白・一条実経の次男。官位は従一位・太政大臣。号は一条、又号町。

経歴

以下、『公卿補任』および『尊卑分脈』に従って記述する。

従一位叙位、太政大臣補任の背景

実家は、摂政となった兄の家経とは同母兄弟である。嫡男・本流である兄が先に薨去し、家経の嫡男である内実も夭折してしまったため、摂家である一条家はしばらくの間、摂関の人材を出せない状態となった。そうした中で実家は一門の長老としての待遇を与えられたと考えられる。この頃、近衛家でも嫡系が夭折していた状態であり、近衛兼教が従一位准大臣となったことも同様の事例であると考察されている。

系譜

父:一条実経

脚注

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  1. ↑ 『公卿補任』によると、同月16日に評定に出向いたが、土御門定実が出仕していたために席次が定まらず結局は評定の席に着かなかったともいう。
  2. ↑ 『花園天皇宸記』の同日の条による。

参考文献

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