1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、三次市の一部(粟屋町・秋町を除く後山町、四拾貫町、南畑敷町、東酒屋町、青河町、下志和地町、三和町下板木、三和町有原、三和町羽出庭、三和町上板木以西)にあたる。
郡名は江の川や馬洗川などの合流点という意味の「水寄し」(みよし)が転訛したという説や、「次」の字が付く3つの集落を総称して「三次」(みすき→みよし)となったなど諸説ある。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
| 明治31年(1898年)9月30日 | 三谿郡との合併により三次郡廃止 |
| 先代 ----- |
行政区の変遷 - 1898年 |
次代 双三郡 |
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