カリフォルニア生まれ。1962年に日本に帰ってきた。育ちは銀座で、魚市場の向かいにある国立がんセンターの職員宿舎。小学校は築地で同級生の親は魚河岸が多かった。いまの銀座中学(中学生くらいの頃にベトナム戦争で徴兵があったからアメリカ大使館に行って日本国籍に変えている)、東京都立日比谷高等学校を経て東京藝術大学に進学して中退。
中学のときに最初に深沢七郎『深沢ギター教室』を買った。(小説家だって知らなくて、ギターを練習しようと思って。)十代の頃はジョン・ライドンの写真が載っている雑誌は何でも買っていた。中学=ディスコ、高校=パンクだった。そのころはイラストレーターになりたくて『月刊プレイボーイ』に作品を持ちこんだりしていた。浪人してるときにバイトしてた本屋で上司に「お前にジャズが分かってたまるか」と言われ、「一生聴くか、そんなもん」とか思った。芸大では三木成夫に教えを受け、「この先生がとにかく形についていろんなことを考えさせてくれるんですよ」と振り返った。大学に入ってすぐに北宋社という出版社で働いた。1980年代前半、まだ二十歳そこそこの頃に編集者としてカート・ヴォネガットやフィリップ・K・ディックの研究読本をつくり、1990年頃からは音楽をメインに執筆するようになっていく。一時期、文章がまったく書けなくなり、一番好きだった種村季弘の文章を模写していた。
近所に保坂和志が住んでいて、学生時代に一緒に編集プロダクションをやっていた。当時、西武の社員で社会的に信用があることから代表は保坂だった。
1980年代後半から10年ほど、雑誌「NME」(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)を毎週読み続け、レイヴカルチャーについて書かれた記事の見出しはいまだに全部記憶している。
2003年、イラク戦争に反対するサウンドデモに菊地成孔を呼んだ。
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