三菱マヒンドラ農機
|
| |
|
本社(島根県松江市) | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
〒699-0195 島根県松江市東出雲町揖屋667−1 |
| 設立 | 1980年(昭和60年)2月1日 |
| 業種 | 機械 |
| 法人番号 | 3280001000877 |
| 事業内容 | 農機事業、汎用機事業 |
| 代表者 |
CEO取締役社長:齋藤 徹 CFO取締役副社長:Manish Kumar Gupta (マニッシュ・クマール・グプタ) |
| 資本金 | 45億1万円 |
| 売上高 |
|
| 営業利益 |
|
| 経常利益 |
|
| 純利益 |
|
| 総資産 |
|
| 従業員数 | 約970名(2026年) |
| 主要株主 |
三菱重工業株式会社(66.7%) マヒンドラ&マヒンドラ社(33.3%) |
| 主要子会社 | #関連会社を参照。 |
| 外部リンク | https://www.mam.co.jp/ |

レセルダ MC1650
(2006年(平成18年)8月29日 撮影)
三菱マヒンドラ農機株式会社(みつびしマヒンドラのうき、Mitsubishi Mahindra Agricultural Machinery)は、島根県松江市に本社を置き、農業機械(農機)全般を開発・設計していた三菱重工業系列企業(連結子会社)。
2026年(令和8年)9月10日、社名をMAM株式会社(マム)に変更[2]。同年9月30日をもって事業を終了した[3]。残務処理完了後に法人を解散する予定だが、具体的な時期は未定としている[4]。
販売会社は全国に展開していたが、その製品は農業協同組合(JA)が直接の販売窓口を担うことが多かった。なお、農業機械の生産高はクボタ、ヤンマーアグリ(ヤンマーホールディングス。旧・ヤンマー農機)、井関農機に次いで2026年(令和8年)6月時点の時点で、日本第4位となっていた。
事業内容
トラクターや耕耘機、管理機等整地機械、田植機・野菜移植機等栽培用機械、コンバイン、バインダー、ハーベスター等の収穫調製機械といった幅広い農業機械を手掛けていた。また、汎用機事業部門として、育苗・米穀・花卉栽培・菌床栽培・低温処理等施設、各種ハウス等建築土木工事、 生ゴミ処理機等廃棄物処理装置、その他産業用機械も扱っていた。
2009年(平成21年)2月、家庭菜園用として業界初のカセットガス式ミニ耕うん機として三菱マヒンドラ農機 エコ・ラテ EL20を発売した。
事業撤退
2026年(令和8年)3月、農機市場の縮小により事業継続が困難になったことから会社を清算し農機事業から撤退すると発表した[5]。
有機栽培で使用される「紙マルチ田植え機」をはじめとして、独自開発商品や特徴的商品を手掛けてきた当社の影響力は大きく、2026年(令和8年)3月の法人解散発表後は農家や農業団体等で今後の対応を模索する動きが広がった[6][7][8]。
他社が製品や技術を承継する動きもあり、建設機械メーカーの諸岡(茨城県龍ヶ崎市)は大型クラスのフルクローラー式トラクター事業を引き受けて農機に再参入する[9][10]。
略歴

三菱の付く社名となったのは比較的新しいが、農業機械の製造販売の歴史は古く、創業は1914年(大正3年)に遡る。以前は、「サトー」ブランドとして親しまれてきた。以下、その略歴を記す。
- 1914年(大正3年)6月:佐藤忠次郎(さとう ちゅうじろう)が佐藤商事を起業。回転式稲扱機の発明に成功し、サトー式稲麦扱機を製品化する。
- 1944年(昭和19年):創業者の佐藤忠次郎が死去。
- 1945年(昭和20年)2月:佐藤造機株式会社に社名変更。
- 1959年(昭和34年)5月:宮城県多賀城市に仙台工場を新設。同社初の乗用型農耕用トラクタ「マイカー YB80」を発売。
- 1968年(昭和43年)5月:業界初の乗用自脱型全面2条刈コンバイン「ヤングエース H-50」を発売。
- 1971年(昭和46年)3月:経営に行き詰まり自主再建を断念、会社更生法を申請。現在の東京証券取引所での上場廃止。早川種三を管財人に迎えて経営再建を図る。同年6月、業界初の乗用自脱型全面4条刈コンバイン「ヤングエース H-120」を発売。
- 1976年(昭和51年)3月:田植えと同時にペースト状肥料の施肥ができる田植機用側条ペーストシステムの開発に成功。同年、同社の歩行型田植機へ順次採用される(後に乗用型田植機にも順次採用)。
- 1980年(昭和55年)2月:三菱機器販売株式会社と合併し、社名を三菱農機株式会社へ変更。
- 1981年(昭和56年)6月:業界初のフラットデッキを採用した乗用型農耕用トラクタ「パルシード」を発売。
- 1988年(昭和63年)6月:業界初のリアロータリータイプの小型管理機「マイボーイ MMR50」を発売。
- 1994年(平成6年)6月:後述する「まくらっこ」の前身技術となるハロー(代掻装置)搭載乗用型田植機「マイレディ MHP6H」を発売。
- 1997年(平成9年)6月:再生紙マルチ田植機「MKP505」を発売。
- 2002年(平成14年)6月:乗用田植機専用の枕地ならし装置「まくらっこ」を開発・製品化。
- 2007年(平成19年)1月:国内の広域販売会社8社を2社に、部品センター6箇所を2箇所にそれぞれ統合。
- 2011年(平成23年)12月:三菱重工業の機能子会社となる。
- 2014年(平成26年)4月:佐藤商事から通算して創業100年。国内の広域販売会社2社を1社に統合
- 2015年(平成27年)5月21日:インド(以下「印」)のマヒンドラ&マヒンドラとの間で戦略的協業で合意[11]。
- 2015年(平成27年)10月1日:印マヒンドラ&マヒンドラ社が株式の33.3%を取得し、社名を三菱マヒンドラ農機株式会社へ変更[12]。三菱重工業の持分法適用の関連会社に変更。
- 2023年(令和5年)4月13日:子会社のダイヤコンピュータサービスを吸収合併。
- 2026年(令和8年)
- 3月2日:経営悪化のため、同年9月末を目処に会社法に基づき解散し、清算手続きを行うことを発表[5]。また、同時期に子会社の三菱農機販売とリョーノーファクトリーも解散する[13]。
- 3月31日:クボタ、およびヤンマーアグリからの一部リバッジ品を含む農業用機械の生産を全て終了。
- 6月30日:クボタ、およびヤンマーアグリからの一部リバッジ品を含む農業用機械の販売を全て終了。ただし、各種農業用機械の補修用部品の供給に関しては当面の間は継続。
- 7月1日:親会社・三菱重工業のグループ会社のMHIソリューションテクノロジーズ(兵庫県高砂市)が三菱マヒンドラ農機の施設内に事業所を開設[14]。三菱マヒンドラ農機の退職者30人を採用し、同年内に8人程度追加採用する[14]。
- 7月10日:山陰中央テレビジョン放送株式会社へ三菱マヒンドラ農機のグループ企業である菱農エンジニアリング株式会社の全株式を譲渡。同年10月1日付を以ってTSK 菱農エンジニアリング株式会社へ社名変更[15]。
- 7月30日:三菱マヒンドラ農機解散後に農機のメンテナンス等のアフターサービスを行なう会社株式会社AGRINA(アグリナ)を設立[16][17]。本社は解散時の三菱マヒンドラ農機本社と同じ場所に設置され、解散後の同年10月1日から営業を開始し、農機のメンテナンス保証期間の約10年間は部品供給やメンテナンス等のアフターサービスを行なう見通しとしている[16][17]。従業員もグループ全体の約970人のうち、約50人が転籍し、業務を行なう[16]。
- 9月10日:「事業整理の一環」として、社名をこれまで略称として使用してきたMAM(マム)に社名変更。子会社の三菱農機販売も併せて、MAMS株式会社(マムエス)に変更[18]。
- 9月30日:株式会社AGRINAの全株式を、半導体・電子部品専門商社「東京コンポーネント株式会社」に譲渡[19]。
- 9月30日:事業終了[3]。これにより起業当初の佐藤商事時代から通算して創業112年の歴史に幕を下ろすこととなった。
関連会社
その他
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
- 上述の略歴から三菱ブランドの農機は1980年(昭和55年)以後と思われがちであるが、サトーとの合併以前にも農業機械の製造・販売は行っており、その製造元は三菱重工業となっている。また佐藤造機が現存していた時代、三菱のトラクター、耕耘機などの製品にサトーと瓜二つのモデルが存在しており、あくまで憶測の域を出ないが、佐藤造機から三菱機器販売に向けてリバッジを受けていたのではないかと思われる。三菱自動車工業も、定款上では農機の製造が事業に含まれているが、現在は製造していない。
- サトーの農業機械には三菱重工製のエンジンが搭載された製品が存在する。またサトーエンジン、サトーディーゼルと表記されたものでも三菱重工が製造したエンジンと形状がほぼ同じであり、程度は不明であるが三菱から部品あるいは金型の供給があったものと考えられ、合併前からの両者の関係をうかがわせる。
- かつて、鈴江農機製作所(スズエ)にトラクター、耕耘機をリバッジとして供給していた[注釈 1]。
- 1980年代から1990年代初頭にかけて韓国農業の機械化、近代化のためにLG社(現LS Tractor社)と提携したことがある。
- 1990年代後期に、一時的だが『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送制作・テレビ朝日系)のスポンサーを担当していたことがある。当時林家こん平を起用し、CMを放映していた。
脚注
注釈
- ↑ サトーと同じくスズエにも三菱エンジンが搭載されているものが存在し、「スズエエンジン」「スズエディーゼル」と表記のあるものも三菱重工製造のエンジンとほぼ同形状である。
出典
- 1 2 3 4 5 三菱マヒンドラ農機株式会社 第81期決算公告
- ↑ “三菱マヒンドラ農機「MAM」に社名変更 今月末の事業整理の一環”. 日本海新聞. 2026年9月11日. 2026年9月11日閲覧.
- 1 2 旧三菱マヒンドラ農機解散〝無二の技術〟つないで/修理対応、部品供給 なお不安『日本農業新聞』2026年10月1日12面
- ↑ 事業活動終了および解散についてのお知らせ MAM株式会社(2026年9月30日)
- 1 2 “三菱マヒンドラ農機、9月末に生産・販売から撤退 920人退職の見通し”. 日本経済新聞. 2026年3月2日. 2026年3月3日閲覧.
- ↑ “特集 三菱マヒンドラの衝撃”. 日本農業新聞公式ウェブサイト (2026年6月24日). 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “「唯一無二の技術が…」 三菱マヒンドラ農機撤退、有機米産地が困惑(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース. 2026年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年6月30日閲覧.
- ↑ “三菱マヒンドラの「紙マルチ田植機」 全国から生産継続を切望する声 唯一の技術、雑草抑制に高い効果”. 山陰中央新報デジタル (2026年5月19日). 2026年6月30日閲覧。
- ↑ “三菱農機 諸岡へ譲渡 撤退後初、諸岡が発売へ”. 日本農業新聞. 2026年6月4日. 2026年7月1日閲覧.
- ↑ 『日本農業新聞』2026年9月4日:1面「諸岡 来年7月にトラクター/三菱から継承 担い手向けに」および11面「諸岡 諸岡正美会長インタビュー/三菱の技術残したい/建機の経験で事業化も」
- ↑ “三菱重工グループと印マヒンドラ&マヒンドラ社が、農業機械分野での戦略的協業で合意” (PDF). 三菱農機 (2015年5月21日). 2015年7月1日閲覧。
- ↑ “三菱マヒンドラ農機株式会社が発足” (PDF). 三菱マヒンドラ農機 (2015年10月1日). 2015年10月11日閲覧。
- ↑ “三菱マヒンドラ農機、同時にグループ2社も解散へ”. 東京商工リサーチ. 2026年3月18日. 2026年9月7日閲覧.
- 1 2 “三菱マヒンドラ農機の事業撤退、三菱重工関連会社が拠点開設…「MHIソリューションテクノロジーズ」雇用の受け皿に”. 読売新聞. 2026年7月3日. 2026年9月7日閲覧.
- ↑ 菱農エンジニアリング株式会社の株式譲渡に関するお知らせ 三菱マヒンドラ農機株式会社(2026年7月10日)
- 1 2 3 “「三菱マヒンドラ農機」事業撤退後の農機部品の供給・保守継承へ新会社設立(島根・松江市)”. FNNプライムオンライン. 2026年8月18日. 2026年9月7日閲覧.
- 1 2 “三菱農機全国販売店会最終総会に参加して来ました。新会社名も発表!!”. 有限会社西井農機. 2026年8月8日. 2026年9月7日閲覧.
- ↑ “三菱マヒンドラ農機、「MAM」に社名変更”. 中国新聞. 2026年9月10日. 2026年9月11日閲覧.
- ↑ “Boldグループにて農機補修部品・製品保証事業を担う株式会社AGRINAを子会社化”. PR TINES. 2026年10月2日. 2026年10月3日閲覧.
外部リンク
- MAM・MAMS
- リョーノーファクトリー(製造子会社)
- 菱農エンジニアリング→TSK菱農エンジニアリング株式会社(農機関連子会社)
- 株式会社AGRINA(アフターサービス承継会社)