三重交通モ5210形電車

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三重交通モ5210形電車
モ5410形電車
近鉄モ5940形・モ5495形電車
基本情報
運用者 三重交通→三重電気鉄道
→近畿日本鉄道[1]
製造所 日本車輌製造本店[2]
製造年 1959年(昭和34年)[2]
製造数 2両[2]
廃車 1979年(昭和54年)[3]
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌)[4]
電気方式 直流750 V(架空電車線方式)[4]
自重 27.0 t[5]
車両定員 104人(座席48人)[5]
全長 16,140 mm[5]
車体長 15,300 mm[6]
全幅 2,692 mm[5]
車体幅 2,600 mm[6]
全高 4,170 mm[5]
車体高 3,635 mm[6]
車体 全金属製[7]
台車 D-14改[1]
主電動機 K7-1003-AR直流直巻電動機[8]
主電動機出力 73.6 kW
(端子電圧750 V時一時間定格)[8]
搭載数 2基 / 両[8]
駆動方式 吊り掛け駆動[1]
歯車比 3.94 (71:18) [8]
定格速度 41 km/h[6]
制御方式 電空単位スイッチ式手動加速制御(HL制御)[2]
制動装置 AMM-R自動空気ブレーキ[1]
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三重交通モ5210形電車(みえこうつうモ5210がたでんしゃ)は、三重交通が同社志摩線で運用する目的で1959年(昭和34年)に導入した電車(制御電動車)である。

後年の事業者合併に伴って近畿日本鉄道(近鉄)へ継承され、この間複数回に及ぶ形式・車種の変更を経て最終的に付随車サ5940形・サ5945形と改形式され、1979年(昭和54年)まで運用された。

導入経緯

志摩線の開業に際して導入されたモニ550形・モニ560形は、1950年代後半に至り新造から30年近くを経過して経年劣化と陳腐化が進行し、また海辺に敷設された志摩線の走行条件に起因して塩害による車体の傷みも目立つようになった[9]。そのため、継続使用に耐え得る状態であった同形式の主要機器を流用して、賢島をはじめとする志摩地区の観光開発に合わせて1958年(昭和33年)に導入したモ5400形[10]と同等の全金属製車体を新造する車体更新が計画され[7]、1959年(昭和34年)12月にモ5210形5211が、翌1960年(昭和35年)11月にモ5212がそれぞれ日本車輌製造本店で新造された[1]。主要機器はモ5211がモニ550形551から、モ5212がモニ550形552からそれぞれ流用し[2]、2両とも新造名義ではなく更新名義で竣工した[6]。

三重交通ではモ5400形の導入を機に保有する鉄道車両の形式称号付与基準を改定し、千位で車種および用途(付随車は2000番台、制御車は3000番台、762 mm軌間路線用の電動車は4000番台、1,067 mm軌間路線用の電動車は5000番台)を表し、電動車の場合は百位で搭載する主電動機数を表すものと規定した[11][* 1]。本形式もそれに従い、1,067 mm軌間の志摩線向けに新造された主電動機2基仕様の制御電動車ということで「モ5210形」の形式が付与された[11]。

モニ550形・モニ560形の本形式への更新は以降順次進行する予定であったものの、諸般の事情により中止となり[9]、本形式は2両のみの導入に留まった[1]。

車体

モ5400形の基本設計を踏襲し、同じく名鉄3700系に類似した[1]、張り上げ屋根構造の全金属性車体を備える[12]。ただし、本形式では種車より流用した台車の心皿荷重上限の都合からモ5400形よりも車体が小型化され[7]、車体幅は2,600 mmで変わらないものの車体長はモ5400形の17,000 mmから15,300 mmへ1,700 mm縮小されている[6][13]。

前後妻面に運転台を備える両運転台構造を採用、各妻面には650 mm幅の貫通扉を中央に備え、その左右に680 mm幅の前面窓を備える[6]。窓の固定支持はモ5211ではHゴム式である一方、モ5212では貫通扉窓のみ押え金による直接支持式に変更されている[1]。屋根上中央部には白熱灯式の前照灯を車体一体型の円筒型ケースに収める形で1灯備え、腰板下部左右には角形の標識灯を1個ずつ配置する[6]。

側面に設置される側窓はアルミサッシによる二段上昇式の2枚窓で[7]、モ5400形と同様に戸袋窓を含めて1,100 mm幅で統一し、客用扉も同じく1,100 mm幅の片開扉を採用する[14]。ただし、前述した車体長縮小の影響で、本形式ではモ5400形と比較して客用扉間の側窓が1枚減少しているほか、客用扉両脇の吹き寄せ部寸法がモ5400形の360 mmに対して本形式では350 mmと10 mm縮小されている[6][13]。さらに車体両端の乗務員室の前後寸法を105mm短縮し、車内より向かって左側の運転台部分のみ客室側へ110 mm拡大して運転台スペースを確保するなど、各部に設計変更が加えられている[6][13]。また、客用扉の扉窓がモ5400形のHゴム固定支持式に対して本形式では押え金による直接支持式に変更された点が異なる[1]。側面窓配置はd 1 D (1) 3 (1) D 1 d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数、カッコ付数字は戸袋窓)である[2]。

車体塗装は三重交通標準塗装の下半分グリーン・上半分クリーム色の2色塗装を採用する[11]。

屋根上にはガーランド型ベンチレータ(通風器)を中央部へ4基、等間隔で設置し、また賢島寄りの一端にはパンタグラフ台座を備える[6]。

車内座席は客用扉間の3枚の開閉可能窓部分にボックスシートをシートピッチ1,450 mmで配置し、その他の座席をロングシートとしたセミクロスシート仕様をモ5400形より踏襲する[14]。ただし、前述のとおり客用扉間の側窓が1枚減少した分、モ5400形との比較でボックスシートも1区画(8人分)減少している[6][13]。シートモケットは「納戸色」と称する青緑系のものを採用、車内壁部は日本国有鉄道(国鉄)の急行形電車に類似したトーンのベージュ色の塗装仕上げとなっている[7]。

車内照明は蛍光灯式で、交流40 Wの半透明カバー付蛍光灯10基を天井部に配置し、また同じく天井部へ扇風機を1両あたり5基設置する[1]。

主要機器

前述のとおり、本形式が搭載する主要機器はモニ550形551・552より流用した機器が大半を占める[7]。

制御装置は電空単位スイッチ式の手動加速制御器(HL制御器)を搭載する[2]。この制御器は力行制御機能のほか、発電制動機能も有する[2]。

主電動機は川崎造船所K7-1003-AR直流直巻電動機(端子電圧750 V時一時間定格100 PS[5]≒73.6 kW[8])を1両あたり2基、歯車比3.94 (71:18) で搭載する[6]。

台車は形鋼組立式釣合梁台車の日本車輌製造D-14を装着する[8]。本形式への転用に際しては、ブレーキシリンダーが種車の車体搭載型(車体ブレーキ式)から台車搭載型(トラックブレーキ式)に改造され[1]、台車枠側面上部へ各車輪に作用させるブレーキシリンダーが露出して設置されている[15]。この改造に伴って本形式が装着するD-14台車は「D-14改」と呼称される[1][15]。

制動装置は種車由来のM三動弁を用いるAMM自動空気ブレーキに、前述した基礎制動装置のトラックブレーキ式への改造に伴って中継弁を追加したAMM-R自動空気ブレーキを採用する[1]。また前述のとおり、発電制動を併用する[2]。

空気ブレーキ動作や客用扉の開閉に用いる圧搾空気を生成する電動空気圧縮機 (CP) はD-3-Fを搭載する[1]。

電動発電機 (MG) は三菱電機MG-40G-Sを新製し搭載する[1]。MG-40G-Sは交流出力のMGであることから、直流電源仕様の制御装置への電源供給のためセレン整流器を併せて搭載する[2]。

運用

志摩線時代

1962年(昭和37年)5月にモ5212は輸送力増強のため自社手持ちの予備品を用いて主電動機を従来の2基から4基に増強し、前述した形式称号付与基準に則ってモ5410形5411と改形式・改番された[2]。その他の機器に変更はなかったが、主電動機4基化に伴って制御電流も倍増することとなり、以降モ5411の発電制動機能は不使用となった[2]。また、これ以降モ5411とモ5211で編成を組成する際には、主電動機2基仕様のモ5211の主回路をカットして制御車相当で運用した[2]。

1964年(昭和39年)2月1日付で三重交通の鉄道部門を分社化して三重電気鉄道が発足[16]、さらに三重電気鉄道は翌1965年(昭和40年)4月1日付で近畿日本鉄道(近鉄)へ吸収合併された[10]。これは三重県下の鉄道事業について、従来の近鉄とその関連企業である三重交通の二本立てから近鉄へ一本化する目的で行われた事業再編であった[17]。この途上、保有車両の最終的な近鉄への継承を見越して、三重電気鉄道当時の1965年(昭和40年)3月12日付で保有する全形式を対象に近鉄方式の形式称号への変更が実施され[2]、モ5210形5211がモ5940形5941と、モ5410形5411がモ5945形5945とそれぞれ改形式・改番された[2]。また、車体塗色についても近鉄一般形車両の標準塗装である近鉄マルーン1色塗装への変更が三重電気鉄道当時に実施された[1]。

三重電気鉄道の吸収合併後、近鉄は万国博覧会の関連事業の一環として他の路線と接続のなかった志摩線を自社の路線ネットワークに組み込むため[17][18]、既存の山田線を延伸する形で宇治山田 - 鳥羽間の鳥羽線の建設に着手した[17]。同時に志摩線についても従来の直流750 V電化・1,067 mm軌間から山田線などと同様の直流1,500 V電化・1,435 mm軌間へ昇圧・改軌し、同時に急曲線区間の改良を行うことを決定した[17][18]。これらの工事は一部区間の新規建設された別ルートへの切り替えを伴う大規模なもので[18]、1969年(昭和44年)12月から翌1970年(昭和45年)3月まで志摩線は運行を休止し[17][19]、その間バスによる代行輸送を行うこととなった[10]。

1969年(昭和44年)12月9日をもって志摩線は一旦営業運転を終了し[19]、モ5941・モ5945も志摩線での運用を終了した[1]。

養老線時代

志摩線での運用終了後、1970年(昭和45年)にモ5941・モ5945とも改良前の志摩線と同じく1,067 mm軌間の養老線へ転用された[12]。ただし、架線電圧が志摩線の直流750 Vに対して養老線は同1,500 Vと相違するため[1]、転用に際しては2両とも電装解除と運転台の撤去を施工して付随車サ5940形・サ5945形と改形式され、車両番号はそのままに車両記号のみが変更された[12]。当時の養老線は在籍車両が戦前製の半鋼製車で占められており、サ5941・サ5945は同時に転属したサ5401(元モ5400形5401)とともに養老線初の全金属製車体を備える車両となった[12]。

車体関連の改造箇所は前後妻面の前照灯および前照灯ケースと標識灯の撤去程度に留まり、乗務員扉は閉鎖措置が取られたのみでそのまま存置され、車内の運転台仕切りもそのままとされた[14]。また、サ5945は転属に際して団体列車運用への充当を考慮して旧パンタグラフ側の運転台スペースにトイレを新設し、旧運転台部分の妻窓と乗務員扉窓が半透過の白いガラス板に交換された[20][* 2]。その他、2両とも制動弁が従来のM三動弁からA動作弁へ交換され、ATA-R自動空気ブレーキ仕様に改造された[1]。

養老線転属後は他の制御電動車・制御車各形式の中間に組み込まれて運用された[12][21]。その後、養老線の車両近代化および大型化を目的として[21]、名古屋線より6441系や6421系・6431系などが転入すると、サ5941・サ5945はそれら転入形式と経年はほぼ同等であったものの車体が小型であったため代替対象となった[22]。サ5941は1977年(昭和52年)9月に廃車となり[3]、残るサ5945は1979年(昭和54年)6月15日付で除籍され[23]、三重交通モ5210形として導入された車両群は全廃となった[1]。

脚注

注釈

  1. ↑ ただしこの新基準は改定後に導入された形式にのみ適用され、改定以前に導入された形式への遡及適用は実施されなかった[11]。そのため、たとえば志摩線所属車両ではモニ551形・モニ561形やク600形は、後年の事業者合併に伴う近鉄籍編入まで旧基準に基づく形式称号のまま運用された[2]。
  2. ↑ 『私鉄ガイドブック5 近鉄』ではトイレ新設時期を三重交通当時とするが[14]、近鉄継承後かつ志摩線運用末期の1969年(昭和44年)9月時点でモ5945にトイレの設備はなかった(パンタグラフ側の妻面を先頭に運用されていた)ことが当時の撮影画像で記録されている[10]。

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 『車両研究 1960年代の鉄道車両』 pp.116 - 117
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 pp.71 - 72
  3. 1 2 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 p.39
  4. 1 2 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 pp.56 - 57
  5. 1 2 3 4 5 6 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.61
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 『近畿日本鉄道形式図集(旧型電車編)』 pp.276 - 277
  7. 1 2 3 4 5 6 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 pp.59 - 60
  8. 1 2 3 4 5 6 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 p.76
  9. 1 2 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.58
  10. 1 2 3 4 「昭和40年代当時の三重電気鉄道」 pp.88 - 89
  11. 1 2 3 4 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.57
  12. 1 2 3 4 5 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 pp.32 - 33
  13. 1 2 3 4 『近畿日本鉄道形式図集(旧型電車編)』 p.278
  14. 1 2 3 4 『私鉄電車ガイドブック5 近鉄』 pp.266 - 267
  15. 1 2 『釣掛電車の響き』 p.152
  16. ↑ 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.55
  17. 1 2 3 4 5 「近畿日本鉄道の形成 -戦前の合併と戦後の統一-」 pp.112 - 113
  18. 1 2 3 “路線の履歴書 志摩線”. 近畿日本鉄道. 2026年3月13日閲覧。
  19. 1 2 「近畿日本鉄道の形成 -戦前の合併と戦後の統一-」 p.115
  20. ↑ 「近鉄の列車運転アラカルト」 p.141
  21. 1 2 『近鉄電車80年』 p.174
  22. ↑ 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 pp.33 - 34
  23. ↑ 『私鉄車両編成表 都市私鉄編 80年版』 p.83

参考文献

書籍

  • 東京工業大学鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック5 近鉄』 誠文堂新光社 1978年8月
  • 鉄道史資料保存会 『近畿日本鉄道形式図集(旧型電車編)』 鉄道史資料保存会 1979年8月
  • ジェー・アール・アール (編) 『私鉄車両編成表 都市私鉄編 80年版』 交通新聞社 1980年4月
  • 近鉄電車80年編集委員会 『近鉄電車80年』 鉄道史資料保存会 1990年8月
  • 清水武 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 ネコ・パブリッシング 2018年7月 ISBN 978-4-7770-5431-2

雑誌記事

  • 『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
    • 矢納重夫 「三重電鉄志摩線」 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 1964年7月臨時増刊号(通巻160号) pp.54 - 61
    • 藤井信夫 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 1969年5月号(通巻224号) pp.66 - 76
    • 尾崎寛太郎 「釣掛台車のいろいろ」 『釣掛電車の響き』 2000年4月臨時増刊号 pp.150 - 156
    • 溝口登志裕 「昭和40年代当時の三重電気鉄道」 2003年1月臨時増刊号(通巻727号) pp.88 - 89
    • 三木理史 「近畿日本鉄道の形成 -戦前の合併と戦後の統一-」 2003年1月臨時増刊号(通巻727号) pp.97 - 115
    • 中山嘉彦 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」 『車両研究 1960年代の鉄道車両』 2003年12月臨時増刊号 pp.96 - 127
    • 寺本光照 「近鉄の列車運転アラカルト」 2018年12月臨時増刊号(通巻954号) pp.128 - 141