
下緒(さげお)とは、日本刀の鞘に装着して用いる紐のことである。
「太刀拵」と呼ばれる形式の刀装に付けられるものは「太刀緒(たちお)」もしくは「佩緒(はきお)」[1]と呼び区別する。短刀用のもので端を何房かに分岐させたものは、特に「蛸足下緒(たこ(の)あしさげお)」と呼ばれた。
主に絹で織られた平組紐が用いられており、刀装によっては平革紐や袋縫の革紐も用いられた。
元々は日本において刀剣、特に大刀および太刀を腰に結びつけて携行するためのものであったが、鎌倉時代から室町時代に入り、戦闘用の刀の主流が、腰から下げるものではなく腰帯に差して用いる打刀様式のものになると、鞘を腰帯に結び付けるために用いられるようになり、不意に差している刀を奪われないようにするため、また、刀を抜いた際に鞘が帯から抜け落ちないよう、帯に鞘を括り付けるためのものとなった。
しかし、打刀が普及し、打刀の拵(外装)の形状が煮詰められてくると、“刀を抜いた時に鞘も共に抜けないように固定する”ためには、鞘に「返角(かえりつの、「逆角(さかつの)」とも)」と呼ばれるフックがつけられるようになった。“刀が抜けないようにするための留め具”としてはこちらのほうが有用であり、下緒は抜け止め用としては補助的なものとなった。以後は下緒は“刀を腰帯に結び付けるためのもの”としてのみではなく、
といった、「刀を使うにあたって紐が必要になった際に、場合に応じて用いるための付属物」となっていった。江戸時代に書かれた、もしくは書かれたとされて後世に復刊された、剣術や武術、あるいは武芸について書かれた書物には、下緒の使用法について様々な例が記載されており、それらが本当に当時の書物に記述されていたのか、また記述されている通りに用いられていたのか、といった点については定かではないものの、「幅広い用途に使える、刀の付属品」として用いられていたことがうかがえる。
こうして下緒は“有用ではあっても必須のものではない”と見なされることはあっても刀装から廃されることはなく、また、様々な色で染めたり何色もの糸で紋様を織り込んだりと、色合いや柄の装飾性を追求した装飾美術品ともなり、日本刀が実用品として使われることがなくなった近代以降においても、重要な刀装品の一つとなっている。

下緒に用いる素材には絹や皮革(主に鹿革)が用いられ、身分の低い足軽などが実用本位の安価な刀装に用いていたものには苧麻(カラムシ)製のものもあった。戦国時代後期(16世紀末)から日本でも木綿の生産が本格的に始まると、木綿製のものも用いられるようになる。
太刀緒には燻革(ふすべかわ)[3]を袋縫いにした革緒が長らく使われており、室町時代中期の頃までは、太刀本体と太刀緒を繋ぐ足緒(後述#結び方の項参照)共々太刀緒には燻革緒が用いられているものが一般的である。
下緒には組紐を用いたものと皮革を用いたものがあるが、下緒に用いられる組紐には打ち方(組み方、とも)によって多くの種類があった。
高級なものとしては、絹の組紐を芯として上から錦布で包んだものがあり、桃山文化華やかなりし頃に流行した“桃山拵”と呼ばれる華美な刀装に多く用いられていた他、桃山時代頃から製作されるようになった陣太刀と呼ばれる太刀の刀装に用いられている。
下緒の鞘への取り付け方は、鞘の差表[4]にある栗形と呼ばれる部品に通すものと、同じく鞘の差表側に取り付けた小さい金輪に通すものの2種類がある。
太刀の場合には鞘に付けられている二つの「足金物(あしかなもの)」と呼ばれる金具に「帯取(おびとり)」もしくは「足緒(あしお)」と呼ばれる革の緒[5]を通し、足緒に太刀緒を通して用いた[6]。
下緒の鞘への結び方にはいくつかの様式があり、江戸時代の諸藩や剣術の流派では結び方が一様に定められていることが通例となっていた。現在でも、独自の下緒結びが流派の特徴として継承されている居合の流派が多く存在する。
下緒の結び方として主だったものとしては以下のものがある。
なお、これらの下緒の結びは、茗荷結びを除き、刀を刀掛けに掛けて飾っておく際、または保管する際もしくは持ち運ぶ際に行うもので、実用として刀を差している場合には下緒は解いて帯に巻き付けるか端を挟んでおく、あるいは栗形から緩く垂らした後に鞘に軽く絡めておく[7]ものであり、刀を帯に差さずに手に持っている場合でも、刀を抜くことを前提として持ち歩いているなら下緒は解いておくものである[8]。漫画やイラスト、アニメーション作品(時には、実写の写真や映像作品でも)等で刀を用いるために持っていたり腰に差したりしているのに下緒が大名結びなどのすぐには解けない結び方で鞘に結ばれたままになっているものが見受けられるが、それらは刀を実用するにあたっての下緒の用い方としては基本的には誤りである。
勿論、刀を実用している状況でも常に解いているわけではなく、邪魔にならないように一時的に鞘に巻くことはあった。江戸時代末期に主に外国人によって撮影された写真では、鞘に下緒を雑に巻き付けている侍を撮影したものが存在する。
下緒は刀装品として登場してよりは個人の趣味によって様々な色や紋様のものが用いられていた。室町幕府や豊臣政権により過剰に華美なものには禁止令が出されることもあったが、厳格に守られていたものではなかったことが、当時の風俗を描いた絵図等により見ることができる。
江戸時代に入り、武士階級に所々の厳格な決まり事が定められるようになると、個人の好みで選んだ色の下緒を身につけることは儘ならなくなっていった。一例を挙げると、江戸期には緋色の下緒を付けられるのは武士として最も高い身分の将軍・大名のみである。
下緒の色には諸藩で様々に異なった規定があり、明文化されていない慣習による決まり事もあった。現代においても、居合道においては「白色の下緒は師範のみが許される」「黒一色以外の下緒は有段者のみ許される」といった決まり事を厳格に求める流派や道場は多い。
奥州会津藩を例にとると、「紐の制度」というのがあり、身分により羽織の紐の色が下のように定められていた。
下緒の色もこれに準じたものになっており、自分よりも身分の高いものが使う色を下緒に使うことは禁じられていた。
現代では和装用の帯締めを下緒として用いる例もある。尚、帯締めのうち組紐を用いるものは明治以降に刀剣用のものを転用したことが始まりである。
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