中央区立城東小学校
| 中央区立城東小学校 | |
|---|---|
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北緯35度40分46秒 東経139度46分10秒 / 北緯35.679444度 東経139.769472度座標: 北緯35度40分46秒 東経139度46分10秒 / 北緯35.679444度 東経139.769472度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
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| 併合学校 |
中央区立日本橋城東小学校 中央区立京橋昭和小学校 |
| 設立年月日 | 1962年(昭和37年)4月1日 |
| 開校記念日 | 6月9日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | B113210200012 |
| 小学校コード | 202010 |
| 所在地 |
〒103-0028 東京都中央区八重洲2丁目2番1号 |
| 外部リンク | 公式サイト |
中央区立城東小学校(ちゅうおうくりつ じょうとうしょうがっこう)は、東京都中央区八重洲にある公立小学校。東京ミッドタウン八重洲の八重洲セントラルタワー1-4階に併設されている[1]。本項では、城東小学校に併合した日本橋城東小学校(にほんばしじょうとうしょうがっこう)および京橋昭和小学校(きょうばししょうわしょうがっこう)、更に京橋昭和小学校の前身に存在した宝田小学校(たからだしょうがっこう)および南槇町小学校(みなみまきちょうしょうがっこう)についても述べる。
概要
中央区立小学校で唯一、日本橋地域と京橋地域の2地域を跨ぐ学区を設けた小学校である。1962年(昭和37年)4月1日、日本橋城東小学校と京橋昭和小学校との合併で新設され、校舎は復興小学校として東京駅八重洲口前に建てられた京橋昭和小学校を継承した。 その後、校地を含む周辺において「八重洲二丁目北地区第一種市街地再開発事業(東京ミッドタウン八重洲)」が着手されることになり[2]。
現校舎は、東京ミッドタウン八重洲の南東部分の張り出した低層階の1-4階に入居し、柳通り側に専用の出入口が設けられた[3]。3、4階に普通教室を置き、2階に体育館、3階に屋内プール、4階には開閉式の屋根を備えた校庭を設け、屋上には児童が使う菜園や水田のほか、太陽光発電装置が設置された[1]。
現在は1学年1クラスだが、2028年度までに2クラスに増設される予定となっている。児童を学区外から広く受け入れる「特認校」制度を利用する[4]。
沿革

- 城東小学校
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 区立日本橋城東小学校と区立京橋昭和小学校との合併にて新設。旧京橋昭和小学校校舎内に設立。
- 1968年(昭和43年)3月 - 校歌を制定。
- 1969年(昭和44年)3月 - 校旗を制定。
- 1991年(平成3年)9月 - 『リセ・フランコ・ジャポネ』が3階に開校。
- 2017年(平成29年)9月 - 校舎再開発のため坂本町公園の仮設校舎に移転。
- 2020年(令和2年)8月 - 阪本小学校新校舎内に移転。
- 2022年(令和4年)9月 - 東京ミッドタウン八重洲に併設の新校舎に移転。
- 中央区立日本橋城東小学校
- 1875年(明治8年) - 創立。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 京橋昭和小学校と共に廃校の上で合併。跡地には中央区立紅葉川中学校が移転する。

- 中央区立京橋昭和小学校
- 1929年(昭和4年) - 創立。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 日本橋城東小学校と共に廃校の上で合併。
- 東京市立宝田小学校
- 東京市立南槇町小学校
- 1906年(明治39年)開校。
- 1929年(昭和4年) - 宝田小学校と共に廃校の上で合併。昭和小学校が新設。
- 小学校の児童数と教員数[5]
| 年度 | 児童総数 | 1年生 | 2年生 | 3年生 | 4年生 | 5年生 | 6年生 | 教員数 | 職員数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 令和元年 | 171人 | 30人 | 27人 | 32人 | 33人 | 33人 | 16人 | 20人 | 13人 |
| 令和2年 | 183人 | 31人 | 30人 | 35人 | 25人 | 31人 | 31人 | 19人 | 14人 |
| 令和3年 | 191人 | 35人 | 30人 | 35人 | 33人 | 28人 | 30人 | 20人 | 15人 |
| 令和4年 | 197人 | 32人 | 33人 | 32人 | 43人 | 31人 | 26人 | 18人 | 16人 |
| 令和5年 | 233人 | 60人 | 32人 | 40人 | 34人 | 41人 | 26人 | 20人 | 14人 |
校章・校歌
校章
- 城東小学校校章「八つ人に城東字」
八方に手をつないて八重洲の「八」と日本橋と京橋の別々地域を超えた関係を込めた。
- 〈廃園〉昭和幼稚園園章「八つ人に昭和字」
同上
- 〈廃校〉日本橋城東小学校校章「城東字」
文字のみでデザインされた珍しい校章。
- 〈廃校〉京橋昭和小学校校章「陰山桜に昭和字」
花の蕊がないものと3本の2種類あり。
- 〈廃校〉宝田小学校校章「子持ち菱に宝字」
東京都中央区教育委員会刊行物より
- 〈廃校〉南槇町小学校校章「陰神鏡に槇字」
東京都中央区教育委員会刊行物より
校歌
- 城東小学校校歌
作詞 大村禎二(開校当時の教頭)、作曲 小出浩平
- 〈廃校〉日本橋城東小学校校歌
- 〈廃校〉京橋昭和小学校校歌
作曲 上田友亀、1番から3番まである。
- 〈廃校〉宝田小学校校歌
不明
- 〈廃校〉南槇町小学校校歌
不明
出身者
- 旧日本橋城東小学校
アクセス
- バスターミナル東京八重洲から、すぐ。
- JR東京駅(八重洲南口)から、すぐ近く。
- 東京メトロ銀座線京橋・日本橋両駅から、徒歩。
- なお、学校最寄り出入口は、京橋駅で「7番」(明治屋ビル)、日本橋駅で「B3」(丸善ビル)となる。
合併校
日本橋城東小学校
中央区立日本橋城東小学校(ちゅうおうくりつ にほんばしじょうとうしょうがっこう)は、東京都中央区日本橋にかつて存在した公立小学校で、1962年(昭和37年)廃校。城東小学校が新設された。
1946年(昭和21年)日本橋城東小学校は、同じ中央区日本橋地域の中央区立阪本小学校への吸収合併が検討されていたが、地元住民の要望により破談となる。しかし半世紀以上後、現在の城東小学校校舎が令和に建て替えとなった際に仮校舎として阪本小学校の地が選ばれた件は、旧日本橋城東小学校学区の八重洲一丁目と日本橋の住民から鑑みると皮肉なものあると言わざるを得ない。
跡地は旧紅葉川中学校最後の所在地であり現在の日本橋プラザビルである。
学区
- 八重洲1丁目、日本橋
京橋昭和小学校
中央区立京橋昭和小学校(ちゅうおうくりつ きょうばししょうわしょうがっこう)は、東京都中央区八重洲2丁目(京橋地域)にかつて存在した公立小学校で、1962年(昭和37年)廃校。城東小学校が新設された。現在の城東小学校の所在地で、京橋昭和小学校時代の校舎も令和まで使われていた。
学区
- 八重洲2丁目、京橋
宝田小学校
東京市立宝田小学校(とうきょうしりつ たからだしょうがっこう)は、東京都中央区京橋にかつて存在した公立小学校で、1929年(昭和4年)廃校。昭和小学校が新設された。
楓川久安橋公園の西南沿いにあったが、現在は区立施設や記念碑等もなく、当時の宝田小学校の面影を感じられるものはない。
南槇町小学校
東京市立南槇町小学校(とうきょうしりつ みなみまきちょうしょうがっこう)は、東京都中央区八重洲2丁目(京橋地域)にかつて存在した公立小学校で、1929年(昭和4年)廃校。昭和小学校が新設された。
宝田小学校とは違い、建物自体は取り壊されたが現在でも南槇町小学校は校舎の所在地かつ教育施設として生き残り続けている。
出典
- 1 2 “ミッドタウン八重洲に入るのは…区立小学校 体育館に校庭、プールや菜園も 東京駅前で9月から授業”. 東京新聞. 2022年8月23日. 2022年8月24日閲覧.
- ↑ “JR東京駅前の高層ビル内に小学校 2021年にも入居”. 東京新聞. 中日新聞東京本社. 2015年9月4日. 2015年9月4日閲覧.
- ↑ “城東小学校新校舎での授業が2学期からスタート”. 中央区. 2022年8月17日. 2022年8月24日閲覧.
- ↑ “城東小 複合ビルに新校舎 中央区”. 読売新聞オンライン. 2022年8月23日. 2022年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2022年8月24日閲覧.
- ↑ 東京都教育委員会「令和5年度 公立学校統計調査報告書」統計・調査、2023年10月26日、2023年11月4日閲覧
