中央区立日本橋中学校
| 中央区立日本橋中学校 | |
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正門 | |
北緯35度41分32.99秒 東経139度47分13.55秒 / 北緯35.6924972度 東経139.7870972度座標: 北緯35度41分32.99秒 東経139度47分13.55秒 / 北緯35.6924972度 東経139.7870972度 | |
| 過去の名称 | 中央区立第四中学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 中央区 |
| 併合学校 |
中央区立久松中学校 中央区立日本橋中学校 中央区立紅葉川中学校 |
| 設立年月日 | 1974年4月1日 |
| 開校記念日 | 11月21日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | C113210200029 |
| 所在地 |
〒103-0004 東京都中央区東日本橋1-10-1 |
| 外部リンク | 公式サイト |
概要
学区域については日本橋地域全域。地元からの生徒より学区外からの越境通学で通う割合が多い。運動会や球技大会などの屋外行事は近隣のグラウンド(浜町公園等)で行われる。
部活動においては吹奏楽部が有名で、大会で高成績を収めており、吹奏楽コンクール・アンサンブルコンテストで最優秀賞・金賞等の結果を残している。日本マーチングバンド協会の全国大会では通算10回、編成別最優秀賞を受賞している。また近年ではダブルダッチ部が世界大会で高成績を収めるなどして活躍している。
歴史
現学校そのものの歴史は昭和中期(1974年)から始まるが、教育施設としての現地利用の歴史は明治末期(1910年)に遡れる程長い。
現在の日本橋中学校は、明治に入りに薬研堀を埋め立てた土地を多く利用し、日本橋区馬喰町より火災焼失した『第一大学区第一中学区十一番小学千代田学校』が現地に移転し、『東京市立千代田小学校[1]』と校名変更を行い、1910年(明治43年)3月30日、火災に強いモダンな復興小学校として建設された。後に神田区にあった桜池小学校との合併で千桜小学校が開校となり、市立千代田小学校は廃校となる[2]。
その後昭和に『東京都中央区立久松中学校』が現地にて新設開校。全日本橋地域内の中学校を合併し1974年『東京都中央区立第四中学校』が開校し現在に至る。
この地に教育施設を設けた千代田小学校時代から数え、最も新しい校舎は三代目(2029年度完成予定)ということになる。
日本橋中学校の校庭および緑地部分を含めた『中央区立千代田公園』は、前記の『市立千代田小学校』に由来するものである。
沿革
校章・校歌
校章
- 日本橋中学校校章「違い陰銀杏に中字」
銀杏は学校通り前の御幸通りと文教をイメージしやすいモチーフの樹として採用。
- 〈廃校〉久松中学校校章「三つ松葉に中字」
久松の松と3学区(久松小学校、十思小学校、東華小学校)から進学し集結する意味が込められる。
- 〈廃校〉紅葉川中学校校章「紅葉に中字」
紅葉川から採用。
- 〈廃校〉旧日本橋中学校校章「抱き榎八菊に中字」
日本橋架橋部の装飾に使われている榎を採用している。
- 〈廃校〉浜町中学校校章「五海に中字」
大洋に通ずる隅田川の波を連想している。※実物未確認
- 〈廃校〉有馬中学校校章「抱き白菊に中字」
白菊の故事より採用。白菊のように清純で溌剌とした成長を願った。※実物未確認
校歌
- 日本橋中学校校歌
作詞 高田敏子、作曲 岩河三郎
男女合奏曲の珍しい校歌で、公立学校として大変珍しい。
- 〈廃校〉久松中学校校歌
作詞 石山静雄、作曲 佐々木章
1番から3番まである。
- 〈廃校〉紅葉川中学校校歌
作詞 神保光太郎、作曲 長谷川新一
1番から3番まである。
- 〈廃校〉旧日本橋中学校校歌
作詞 勝承夫、作曲 平井康三郎
1番から3番まである。※楽譜のみ不明
- 〈廃校〉浜町中学校校歌
- 〈廃校〉有馬中学校校歌
※歌詞楽譜共に不明
千代田公園
復興小学校として整備された際に千代田公園として開園。当時の千代田小学校所縁のものが、「御臨幸記念碑」と日本橋中学校から東日本橋交差点を横断する特別区道の御幸通りである。千代田小学校が戦時中の混乱により廃校となり、校舎が建て替えになっても、千代田公園と御臨幸記念碑」と御幸通りは残り続ける。シンボルツリーは大きな桜の木で三代目校舎新整備の際も植え替えで残る予定である。
市立千代田小学校は辛うじて、千代田公園という形で名前が残ってはいるが、市立千代田小学校と日本橋中学校の間に存在した東京都中央区立久松中学校に由来する物も、一般住民が見れる場所に碑も含めて何も残されていない。校舎内に沿革の情報の一部として記述があるのと、校旗が飾られていた時期があった。
交通
- 鉄道
出身者
- 野沢那智 - 俳優、声優、舞台演出家(旧浜町中学校)
- 元教員
- 大村はま - 国語教育研究家(旧紅葉川中学校)
併合校
久松中学校
中央区立久松中学校(ちゅうおうくりつ ひさまつちゅうがっこう)は、かつて東京都中央区東日本橋に1974年3月まで所在していた区立中学校。
概要
白亜の学舎と称されたかつての東京市立千代田小学校(現在は久松小学校に併合)の跡地として再利用されることとなった。日本橋地域内全ての中学生生徒を集約させるべく統廃合の地として久松中学校校舎が選ばれ、日本橋すべての生徒を通学するのは手狭であるとして、東日本橋の地に二代目の校舎が建設されることとなった。久松中学校は閉校の2年前から合併準備として、浜町公園の仮校舎の浜町校舎で中学校生活を送ることとなった。
沿革
交通
現日本橋中学校と同じ
紅葉川中学校
中央区立紅葉川中学校(ちゅうおうくりつ もみじがわちゅうがっこう)は、かつて東京都中央区日本橋に1974年3月まで所在していた区立中学校。
概要
学区域については日本橋地域。阪本小学校、常盤小学校、有馬小学校、東華小学校などの卒業生を対象にしていた。営団地下鉄の日本橋駅から近いこともあり、地元からの生徒のほか、学区外からの越境通学で通う割合が多かった。新制中学校として1947年(昭和22年)に開校した。戦後の物資欠乏の時代であったため、独立校舎を持たずに高校や小学校に間借りをして転々とし、創立15年目にして独立校舎を得た。しかし、1974年(昭和49年)に久松中学校、旧日本橋中学校、紅葉川中学校の3校が統合して中央区立第四中学校が開校し、紅葉川中学校の歴史は閉じた。その跡地には現在、一般財団法人地域活性化センターの拠点施設である日本橋プラザビルが建っている。
沿革
交通
- 鉄道
参考文献
- 東京都中央区立紅葉川中学校編『創立二十五年のあゆみ』、1972年版、8-17頁。
旧日本橋中学校
中央区立日本橋中学校(ちゅうおうくりつ にほんばしちゅうがっこう)は、かつて東京都中央区日本橋浜町に1974年3月まで所在していた区立中学校。
浜町中学校と有馬中学校の対等合併という形で浜町中学校の旧所在地、現在の浜町区民館の場所に設立。しかし浜町区民館の地には、旧日本橋中学校も合併前の浜町中学校も記念碑は建てられていない。
沿革
交通
浜町駅最寄り
浜町中学校
中央区立浜町中学校(ちゅうおうくりつ はまちょうちゅうがっこう)は、かつて東京都中央区日本橋浜町に所在していた区立中学校。
有馬小学校に併合された浜町小学校の跡地利用として、現在の浜町区民館の場所に設立。しかし浜町区民館の地には、浜町中学校も合併後の旧日本橋中学校も記念碑は建てられていない。
沿革
- 有馬中学校と統合し、旧中央区立日本橋中学校になる。
交通
旧日本橋中学校と同じ
有馬中学校
中央区立有馬中学校(ちゅうおうくりつ ありまちゅうがっこう)は、かつて東京都中央区日本橋蛎殻町に所在していた区立中学校。
沿革
- 浜町中学校と統合し、旧中央区立日本橋中学校になる。
交通
人形町駅最寄り
脚注
- ↑ “過去の災害に学ぶ26 : 防災情報のページ - 内閣府”. 内閣府. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ 1993年には千桜小学校をはじめとする千代田区内の小学校が合併の末、千代田区立千代田小学校が開校する。市立千代田小学校の流れを組む学校が、先祖返りを起こし、再び千代田小学校の校名が復活したことになる。
- ↑ “中央区立日本橋(旧第四)中学校同窓会”. 2014年10月25日閲覧。
- ↑ “中央区立日本橋(旧第四)中学校同窓会”. 2014年10月25日閲覧。
- ↑ “中央区立日本橋(旧第四)中学校同窓会”. 2014年10月25日閲覧。
