中御門宣輔
| 時代 | 室町時代前期-中期 |
|---|---|
| 生誕 | 明徳3年(1392年) |
| 死没 | 永享11年2月6日(1439年3月20日) |
| 改名 | 宣資→宣輔→俊輔 |
| 官位 | 正二位、権大納言 |
| 主君 | 後小松天皇→称光天皇→後花園天皇 |
| 氏族 | 中御門家 |
| 父母 | 父:中御門宣俊、母:不詳 |
| 兄弟 | 宣輔、房恵、小林寺殿(一条兼良正室) |
| 妻 | 堯経法印の娘 |
| 子 | 明豊、房什 |
中御門 宣輔(なかのみかど のぶすけ、明徳3年〈1392年〉 - 永享11年2月6日〈1439年3月20日〉)は、室町時代前期から中期にかけての公卿。権中納言・中御門宣俊の子。官位は正二位・権中納言。中御門家6代。
のちに俊輔(としすけ)と改名するが、煩雑を避けるため本項では宣輔で統一する。
経歴
五位蔵人から弁官を歴任し、応永22年(1415年)四位で参議に任ぜられ公卿に列する。
永享4年(1432年)中御門家では宣明以来4代途絶え居ていた権大納言に任ぜられる。永享9年(1437年)正二位に昇叙し権大納言を辞する。永享11年(1439年)薨去、享年49。
官歴
注釈のないものは『公卿補任』による
- 時期不詳:叙爵(従五位下)
- 応永8年(1401年) 3月24日:兵部少輔[1.1]
- 応永10年(1403年) 正月6日:従五位上[1.2]
- 応永13年(1406年) 4月23日:蔵人
- 応永14年(1407年) 某月某日:正五位上
- 応永15年(1408年) 2月24日:右少弁
- 応永18年(1411年) 11月25日:左少弁。11月某日:右中弁
- 応永19年(1412年) 7月27日:従四位下。7月某日:従四位上
- 応永21年(1414年) 3月16日:左中弁、蔵人頭。3月某日:正四位下。4月16日:右大弁。9月13日:服解(父)
- 応永22年(1415年) 3月28日:参議(元右大弁前蔵人頭)。11月7日:兼近江権守。11月20日:従三位
- 応永28年(1421年) 正月5日:正三位。12月21日:権中納言
- 応永31年(1424年) 正月5日:従二位。正月30日:辞権中納言。6月7日:還権中納言
- 永享4年(1432年) 3月30日:権大納言(四代中絶)
- 永享9年(1437年) 正月5日:正二位。10月某日:辞権大納言
- 永享11年(1439年) 2月6日:薨去(享年49)
系譜
『尊卑分脈』による
脚注
出典
- 坂本武雄 編『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美 編『公卿補任』吉川弘文館、2000年。