中村修一郎

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中村 修一郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県
生年月日 (1935-11-12) 1935年11月12日
没年月日 (2009-12-22) 2009年12月22日(74歳没)
身長
体重
174 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手、一塁手、三塁手
プロ入り 1959年
初出場 1959年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12日 - 2009年12月22日[1])は、長野県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。

来歴

松商学園高では1953年の夏の甲子園に三塁手としてエース堀内庄、木次文夫らとともに出場した。1回戦で鳥取西高に敗退[2]。

高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に進む。1956年の都市対抗野球ではエース嵯峨健四郎を擁し準々決勝に進出するが、大昭和製紙に延長11回サヨナラ負けを喫する[3]。1958年の都市対抗野球でも1回戦で本塁打を放つなど活躍[3]。

1959年に国鉄スワローズに入団した。1年目から内野の控え選手として活躍、2年目には背番号が9になるなど、強い腕力を生かした打撃で期待された。ただ守備・走塁に難があり、また選球眼にも欠けていた。1961年に早大から徳武定之、立大から杉本公孝が新入団、さらに同郷の土屋正孝が読売ジャイアンツから移籍すると専ら代打中心となった。1962年には代打本塁打を2本記録、さらに初めて盗塁もしているものの翌1963年は一軍出場すらなくこの年限りで現役を引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1959 国鉄 283635310001133010010071.286.306.371.677
1960 5312312082860034130010200147.233.246.283.529
1961 424644491011312000110071.205.222.295.518
1962 7380778153122691001210220.195.215.338.553
通算:4年 1962852762362101486371112610509.225.239.312.551

背番号

  • 55 (1959年)
  • 9 (1960年 - 1963年)

脚注

  1. ↑ “OB NEWS Vol.45” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2010年3月). 2015年7月5日閲覧。
  2. ↑ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. 1 2 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目