丸山 一仁
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県上浮穴郡久万町(現:久万高原町)
生年月日 (1960-10-30) 1960年10月30日(63歳)
身長
体重
174 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1982年 ドラフト5位
初出場 1983年10月10日
最終出場 1989年5月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

丸山 一仁(まるやま かずひと、1960年10月30日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万町[1](現:久万高原町)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。

経歴

愛媛県立上浮穴高等学校から近畿大学へ進み、4年春にはベストナインを受賞。1982年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受け入団。大学の1年後輩に西浦敏弘がいた。

プロ1年目の1983年から一軍出場を果たすが、西村徳文が二塁手に定着すると一・二軍の往復が中心になる。1989年は開幕一軍メンバー入りしたが二塁手には堀幸一が台頭、大学の先輩である有藤道世監督から引導を渡されたことで[2]、この年限りで現役を引退。

引退後もロッテ球団に留まり、球界初の金田正一監督付き専属広報担当(1990年)に就任。その後は二軍打撃・守備走塁コーチ補佐(1991年)、二軍守備打撃コーチ補佐(1992年)、二軍内野守備コーチ(1993年)を務める。

コーチを退任し、1995年の広岡達朗GM・ボビー・バレンタイン監督就任の際は、チーム/フロント広報を担当。以降は、フロント業務(法人営業/連盟担当/浦和球場施設管理担当)を経て、2007年に振興部地域振興課シニアマネジャーに就任。

2014年は、中国・台湾担当として中国江蘇省無錫市にある江蘇ホープスターズで選手育成及びコーチ指導。その他、無錫市内の大学・高校・少年野球指導など野球振興に携わる[3]。

2016年は、球団事業本部営業部チーフとして、年間席シートや広告看板の営業を担当[4]。

2020年、10月の誕生日を前にして7月31日付でロッテ球団を定年退職。退職セレモニーとしてZOZOマリンスタジアムでこの日行われた対東北楽天ゴールデンイーグルス第10回戦の試合前に始球式を行い、37年間在籍したロッテ球団から退いた[5]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1983 ロッテ 611111310041000000011.273.273.364.636
1984 4211000000000000100.000.500.000.500
1986 184739711101155003050071.282.364.385.748
1987 508072122150335131010502133.292.354.486.841
1988 121290100012000030010.111.333.111.444
1989 214737591001070041500100.243.326.270.596
通算:6年 1111991692645804652810811803325.266.346.385.730

記録

背番号

脚注

  1. ↑ 88プロ野球12球団全選手百科名鑑 日本スポーツ出版社
  2. ↑ 「“地球人”を輩出したい」と燃える丸山一仁氏が語る有藤監督、金田監督、「10.19」などロッテの思い出 週刊ベースボールONLINE パンチ佐藤の漢の背中! 2022年5月7日
  3. ↑ ロッテ丸山氏、中国で球団指導 夢はアジアリーグ 東京新聞、2014年1月22日
  4. ↑ 千葉ロッテマリーンズ 事業本部 営業部 チーフ 丸山一仁 さん 千葉幕張ブログコミュニティ マクスタ、2016年10月21日
  5. ↑ "伝説の10.19を知る男 ロッテ球団職員が定年退職。7月30日に異例の始球式でロッテを卒業". Sports NAVI. スポーツナビ株式会社. 13 August 2020. 2020年8月14日閲覧。

関連項目

外部リンク

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