乾晴美
| 乾 晴美 いぬい はるみ | |
|---|---|
| 生年月日 | 1934年10月18日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 2025年2月26日(90歳没) |
| 死没地 |
|
| 出身校 | 徳島大学学芸学部 |
| 前職 | 教員 |
| 所属政党 |
(連合の会→) (民主改革連合→) (民主党→) (民進党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党 |
| 選挙区 | 徳島県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1989年7月23日 - 1995年7月22日 |
乾 晴美(いぬい はるみ、1934年(昭和9年)10月18日 - 2025年(令和7年)2月26日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。AWA女性問題研究所代表[1]。
生涯
徳島県石井町出身[2]。1957年(昭和32年)、徳島大学学芸学部を卒業。教員を務め、1982年(昭和57年)、徳島県青少年婦人室長補佐を経て、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙に連合の会から徳島県選挙区から立候補して自由民主党の亀長友義を破り当選。
1993年(平成5年)に誕生した細川内閣では科学技術政務次官を務めた。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙で民主党から比例区に立候補したが落選した。
1999年(平成11年)に大阪府高槻市の江村利雄市長が妻の介護を理由に市長職を辞任したことについて、「二人の幸せのためにその方がいいと決断されたのであれば素晴らしいことだ。」と語った[3]。
政界引退後も旧国民民主党[4]や立憲民主党の徳島県連顧問[2]、仁木博文の後援会幹部を務めたほか[5]、自身の戦争体験についての講演活動なども行っており、2020年(令和2年)には徳島県退職女性教職員の会と県教職員組合により、乾の戦争体験の証言を収録したDVD「私が軍国少女を生きた時代」が制作された[6]。
脚注
- ↑ “広報いしい” (PDF). 石井町 (2010年7月). 2012年11月26日閲覧。
- 1 2 3 “元参議院議員の乾晴美さん 徳島市内の自宅で90歳で亡くなる【徳島】 |JRT NEWS NNN”. 日テレNEWS NNN (2025年2月27日). 2025年2月27日閲覧。
- ↑ “「どう思いますか、妻の介護で市長辞任」”. 四国放送 (1999年3月3日). 2012年11月26日閲覧。
- ↑ 役員 - 国民民主党 徳島県総支部連合会
- ↑ “衆院選公示 各候補者、出陣式に臨み第一声”. 徳島新聞. (2017年10月10日) 2022年4月25日閲覧。
- ↑ “小中学生が平和考えるきっかけに 元教員の戦争体験証言をDVDに 徳島”. 毎日新聞. (2020年12月12日) 2022年4月25日閲覧。
- ↑ “元参院議員の乾晴美さんが死去、90歳 政界引退後は女性の地位向上や反戦を精力的に訴え|政治・行政,徳島の話題|徳島ニュース|徳島新聞デジタル”. 徳島新聞デジタル (2025年2月27日). 2025年2月27日閲覧。