| たかつきし 高槻市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
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| 国 |
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| 地方 | 近畿地方 | ||||
| 都道府県 | 大阪府 | ||||
| 市町村コード | 27207-8 | ||||
| 法人番号 | 4000020272078 | ||||
| 面積 |
105.29km2 | ||||
| 総人口 |
347,154人 [編集] (推計人口、2025年1月1日) | ||||
| 人口密度 | 3,297人/km2 | ||||
| 隣接自治体 |
枚方市、茨木市、寝屋川市、摂津市、三島郡島本町 京都府:亀岡市、京都市 | ||||
| 市の木 | ケヤキ | ||||
| 市の花 | ウノハナ | ||||
| 市制記念日 | 1月1日 | ||||
| 高槻市役所 | |||||
| 市長 | 濱田剛史 | ||||
| 所在地 |
〒569-0067 大阪府高槻市桃園町2番1号 北緯34度50分46秒 東経135度37分02秒 / 北緯34.846度 東経135.61725度座標: 北緯34度50分46秒 東経135度37分02秒 / 北緯34.846度 東経135.61725度 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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| 特記事項 | 市外局番:072(市内全域) | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
京都市と大阪市との中間(京阪間)に位置し[注釈 1]、二大都市のベッドタウン・衛星都市として発展している。市章も、大阪市と京都市の市章を融合させたデザインとなっている[注釈 2]。中心市街地はJR京都線(東海道本線)の高槻駅と阪急京都線の高槻市駅一帯であり、新快速も停車するJRの高槻駅は大阪府内のベッドタウンの駅としては有数の利用者数を誇る。
高槻藩時代(江戸時代)には内藤家、土岐家、松平家、岡部家と藩主が変わり、徳川将軍家と近しい譜代大名の直清流永井家で定着、以後幕末まで222年間に渡って藩を治めることになる。平地では工業地帯が広がり、山間部では農業が盛んである。中心部の都会的な街並みと、原や樫田の農村風景を併せ持つ町として「とかいなか」を自称している[1]。
「高槻」の地名の由来は、2つの説がある。
「高月」が「高槻」に転じた理由は、槻(欅の古称)の大木があり、戦国時代に槻の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとされる[2]。

大阪府の北東部に位置し、東西10.4km・南北22.7kmと、市域は東西に狭く、南北に広い。北端を北摂連山・南端を淀川で区切られ、地勢は北高南低になっている。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。
大阪から21.2km、京都から21.6km[注釈 3]と、京都大阪間のほぼ中央に位置する。市域面積は105.31km2、広さは府内第4位[注釈 4]で、大阪府の5.6%を占める。市域の33.29km2 (31.6%) が市街化区域となり、残りの72.02km2 (68.4%) が市街化調整区域として開発が制限されている。市街化率は北摂7市の中で最も低く[注釈 5]、山林や農地が多く残されている。主な市街化調整区域は、保安林や近郊緑地保全区域に指定され、市域の48%を占める北部の山林[注釈 6]、南部の三箇牧地域、東部の五領地域、郡家や土室などがあり、三箇牧地区、五領地区、樫田地区は農用地区域としても農地が保全されている[注釈 7]。
山裾には大小500基以上の古墳を有する三島古墳群が拡がり、古代・山陽道(西国街道)が市内中央部を東西に通り、交通の要所として街道沿いに発展し、郡衙や宿場などが作られた。古代・河内湾により高槻付近まで海が迫っていたことから、津之江の地名が残り、筑紫津が作られ、九州へ出発する港が整備されていた。淀川では、淀川三十石舟など水運の要所にもなり、前島浜・唐崎浜・三島江浜などの河港が整備され、柱本でくらわんか舟が誕生した。鵜殿は奈良時代には都の牧場として使われており、鵜殿や大塚には対岸の枚方市との渡し場があった。六玉川のひとつ三島の玉川や三島江、芥川などは歌枕として有名。
東西10.4km・南北22.7km。市域面積は105.31km2。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。
北部は北摂山系になり、主な山には、ポンポン山、三好山(みよしやま)、黒柄岳(くろがらだけ)、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)、高ヶ尾山(たかおさん)、阿武山(あぶやま)がある。主な川には、南東から市の南端に沿って流れる淀川をはじめ、北から南へ市内中央部を流れる芥川や、女瀬川(にょぜがわ)、桧尾川など12の一級河川があり、新川など5つの準用河川がある。
JR京都線と阪急京都本線を中心に市内中央部から周辺部へと市街地が拡がっている。北部は大半が山間地で、南部は大阪平野北部を形成する三島平野の低地が広がる。北から、700m以下の山間部、山地に囲まれた田能盆地や原盆地、服部谷、成合谷などの農村部、高槻丘陵や奈佐原丘陵といった丘陵地に広がる日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原などの住宅地、歴史的な街なみが残る標高10 - 30m程の富田台地と続き、大阪平野を形成する標高10m以下の沖積低地が広がる。市内には国道170号線と国道171号線が走り、丘陵部を東西に名神高速道路が貫通している。市北部には新名神高速道路の高槻インターチェンジがある。
高槻市の地形的特色としては、山地、谷底平野、丘陵地、台地、沖積低地の5つに区分される[3]。
高槻市を上から見ると、北半分は丹波高地に連なる北摂山地へ楔形に食い込んだ形をしており、市北部の北摂山地は、堅く固結した古生代の堆積物である丹波層群でできている。山地は標高700m以下の低山性山地で、大阪平野に面する斜面は急だが、山頂部は定高性[注釈 8]が強く、高原状の地形を形成している。
北摂山地の川や谷に沿って形成されている谷底平野は、小低地で、芥川の源流部にある田能盆地、中流の原盆地や服部谷、桧尾川中流の成合谷などがあたる。田能盆地は樫田地区を中心とする地域で、標高は330 - 360m、周りをさらに150mほど高い山地に囲まれている。原盆地・成合谷は、ポンポン山の山裾と高槻丘陵との間に挟まれた谷底平野で、標高は、原盆地で100 - 130m、成合谷で20 - 50m、河川に沿って南北に長い平面型となっている。服部谷は、摂津峡の南端から南南東に伸びる谷で、谷の両側を丘陵地に挟まれ、面積のほとんどが扇状地となっている。
北摂山地と淀川低地とが接する市中央部には、鮮新世末期 - 更新世前期の堆積物である大阪層群で構成される丘陵部があり、日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原といった住宅地が形成されている。高槻丘陵は、ポンポン山の山裾から南側に広がる丘陵地で、北部の標高は100m以上で自然が残され、南部は50 - 110m、比較的起伏が小さく住宅街が広がる。高槻丘陵の西には、標高50 - 100m奈佐原丘陵があり、さらに奈佐原と南平台に分けることができる。
更新世後期の富田礫層に覆われた富田台地が、丘陵部から南方へ突き出た形に伸びている。富田台地は、標高10 - 30mの舌状台地で、北西端が継体天皇陵、南西端に総持寺、南東部に富田寺内町といったものを有する。
市域の南半分が、大阪平野の北部を形成する淀川低地にあたり、その全域が沖積層である。 大部分が標高10m以下の低湿地で占められ、排水が悪い低湿な後背湿地や氾濫平野が広がり、小規模な島状の高台が散在している。
市内北部を有馬-高槻断層帯が東西方向に通過し、山地部にも「大沢」や「萩谷」などの推定活断層が通る。

| 高槻市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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平野部を中心としたほとんどの地域が、夏や冬に降水量の少ない瀬戸内海気候の周辺部に位置し、北部の山間部は日本海側気候の影響を受け、冬には降雪が見られる。年間平均気温は、16℃前後で、湿度は67%前後。ポンポン山などの山間部では平均風速6m/sを超える地域があるが、市内の年間平均風速は3.1m/sで、異常気象を除き、年間を通じてあまり大差がない。風向きは概ね、春は北から西、夏から秋にかけては東から北、冬は西ないし北から吹く。1970 - 2007年までの降水量の年平均は1,318mm。平均気温の推移をみると、市街地の形成に伴い、ヒートアイランド現象などもあり、1980年代以降上昇傾向にある。
高槻市消防本部の観測による2009年の年間気象は、気温が年平均16.5℃、最高35.4℃、最低-0.5℃。降水量は年間1,259.1mm、降水日数121日。湿度は年平均70.1%、最高100%、最低13%。風速は年平均3.1m/s、最大風速17.9m/s。表は2009年のもの。


高槻に人が住み始めたのは、約2万年前の旧石器時代で、郡家今城遺跡で生活跡が発見されている。その後弥生時代になり、安満遺跡では三島地方で最初の米作が開始された。古墳古代は摂津国嶋上郡にあたる。
日本でも有数の古墳群地帯で、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。
新池遺跡(今城塚古墳附(つけたり)新池埴輪製作遺跡として国の史跡に指定)は日本最古(5 - 6世紀)最大級の埴輪工場で新池遺跡ハニワ公園として保存・公開されている。
7世紀末に役小角により神峯山寺が開創され、修験霊場七高山の一角とされるほど栄えた。
「たかつき」の地名が初めて史料に出てきたのは、鎌倉時代にあたる14世紀ごろ、奈良の春日神社の荘園であった「安満庄」の耕地目録の中に、「麦下地 高月二町十歩」「野畠 高月七反半」とみえる[4]。
室町時代には、富田が一向宗(浄土真宗)北摂布教の拠点として栄える。このころの史料には「高槻」の地名が見られる。
安土桃山時代には、高槻領主高山右近がキリシタン大名だった影響でキリスト教が広がり、1581年には日本で最初の復活祭がいとなまれた[5]。
江戸時代には山陽道の流れをくむ西国街道が参勤交代などに利用され、芥川宿は六宿駅の一つとして栄える。江戸時代初期には内藤家、土岐家、松平家、岡部家と、共に数年単位で高槻城主が変貌していったが、1649年より永井直清を初代とした直清流永井家が13代、222年にわたり幕末まで高槻藩主を務めた。現在の高槻駅南部の旧城下町の町割り都市構造に大きく携わった。

富田は8,000石余りを醸造する酒蔵として栄える(高槻藩を参照)。富田は酒所として栄えた。江戸時代に日本を欧州に初めて体系的に紹介したオランダ商館付医師エンゲルベルト・ケンペルは、1691年2月28日、長崎から江戸に行く途中、大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み、そこに「左側のほうに、地元の君主の白い城が大変美しく際立って見えた」と記録している[6]。
明治時代には隠れキリシタンの里として発展した。
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の暴風雨により如是小学校の木造校舎が倒壊。児童が下敷きとなり多数の死傷者が出た[7]。
1939年(昭和14年)3月1日、淀川をへだてた枚方市の陸軍禁野火薬庫で大爆発が発生。現在の高槻市一帯の家屋の窓ガラス、戸障子などが壊れるなど被害が及んだ[8]。

1970年代以降、大阪市及び京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増、1975年には30万人の大台に到達した。
その後も順調に増加を続け、1995年には362,270人と統計上過去最高を記録した。
しかしその後少子高齢化の進展や都心回帰などの影響により人口は減少に転じ、2005年には351,802人となった。
なお市内の人口動態については、新築マンション供給がある高槻駅、摂津富田駅周辺では増加、市北部の山際に広がる団地群や市南部の淀川近くに広がる旧来の市街地においては減少という形になっている。
市への流入者は多くが近畿圏内から来るが、近年は東京など首都圏からの移住も見られるようになった。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 初 | 礒村彌右衞門 | 1943年2月19日 | 1945年10月25日 |
| 2 | 中井啓吉 | 1945年11月20日 | 1946年11月15日 |
| 3 | 古田誠一郎 | 1947年4月19日 | 1950年2月8日 |
| 4-5 | 阪上安太郎 | 1950年3月21日 | 1958年3月20日 |
| 6-7 | 鈴木定次郎 | 1958年3月21日 | 1966年3月20日 |
| 8-10 | 吉田得三 | 1966年3月21日 | 1976年3月18日 |
| 11-12 | 西島文年 | 1976年4月18日 | 1984年4月17日 |
| 13-16 | 江村利雄 | 1984年4月18日 | 1999年4月30日 |
| 17-19 | 奥本務 | 1999年5月1日 | 2011年4月30日 |
| 20- | 濱田剛史 | 2011年5月1日 | 現職 |
<市議会>
<市長部局>
<行政委員会>
|
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<水道事業>
<自動車運送事業>
<消防>
1971年に国鉄高槻駅南隣より現在地(桃園町)へ新築移転した。庁舎は第13回BCS賞を受賞している。現庁舎が手狭になったため、1994年にホール・図書館を併設した「高槻市総合センター」を現庁舎北隣に建設した。
| 候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 市来隼 | 当 | 36 | 日本維新の会 | 新 | 69,851票 |
| 野々上愛 | 当 | 45 | 立憲民主党 | 現 | 32,800票 |
| 吉田忠則 | 当 | 60 | 公明党 | 新 | 28,757票 |
| 杉本哲也 | 落 | 44 | 自由民主党 | 新 | 20,222票 |
| 末岡知行 | 落 | 40 | 無所属 | 新 | 10,256票 |
| 当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 池下卓 | 46 | 日本維新の会 | 新 | 80,932票 | ○ |
| 辻元清美 | 61 | 立憲民主党 | 前 | 66,943票 | ○ | |
| 大隈和英 | 52 | 自由民主党 | 前 | 52,843票 | ○ |
はにたん
2011年6月に市役所から募った31体の中から選ばれた。詳細は、はにたんのページを参照。
大阪府の中でもサッカーの町として力を注いでおり、2012年よりJリーグのガンバ大阪がホームタウンとしている。また、なでしこリーグのスペランツァFC大阪高槻がホームタウンとしている。京都大学大学院農学研究科附属農場移転跡地にサッカー専用スタジアムを建設し、ガンバ大阪を誘致する計画があったが実現しなかった。
音楽活動が盛んに行われている市としても知られている。高槻城公園芸術文化劇場では市民の文化・芸術活動の振興を図り、更に充実した地域文化が育まれるようプロ、アマ問わず様々な演奏会が行われている。高槻ジャズストリートは、ゴールデンウィークの2日間(主に5月3日・4日)に市内複数の会場で開催される無料のジャズをメインとした音楽イベントが毎年開かれている。さらに、高槻北部の摂津峡に位置する摂津響Saal (せっつきょうザール)では、スタインウェイのグランドピアノを主に、室内楽の演奏を間近で聴くことができる音楽&芸術サロンがある。
高槻市は桐山清澄を始めとして福崎文吾や浦野真彦ら多くの棋士を輩出し、高槻城・三の丸からは江戸時代の将棋駒が発掘されるなど将棋に縁が深いことから「将棋のまち」を謳っている[10]。
2018年には日本将棋連盟と包括連携協定を締結し、2021年2月に、2024年秋を目処に高槻市へ移転する方針が打ち出され[11]、2024年12月3日に、関西将棋会館が大阪市福島区よりJR高槻駅前の高槻市営バスの操車場跡に移転した。[12]。
第三次産業の割合が多く、大阪府の平均より小売業やサービス業が盛んである。
特にJR高槻駅周辺〜阪急高槻市駅周辺にかけて百貨店が2軒(阪急百貨店[注釈 9]・松坂屋)、映画館(アレックスシネマ)を備えたショッピングセンター(平和堂)などの大型店舗と多数の商店街を有しており、大阪府三島地域最大級の商業集積地となっている。飲食店や服飾関係の店舗も多く、周辺の自治体から多くの若者が集まるエリアとして近年関西でも注目を集めている。上場企業の本社数は3。
その他にも高槻センター街、高槻本通、アクトモール、芥川商店街、阪急高槻南駅前通り、城北通りなどの商店街が多く存在する。
2006年度(2006年4月 - 2007年3月)時点での産業別事業所、就業者数は以下。
| 事業所数 | 就業者数 | |
|---|---|---|
| 第一次産業 | 7 | 1,018 |
| 第二次産業 | 1,146 | 39,990 |
| 第三次産業 | 8,260 | 111,179 |
かつては、山間部において京菓子向けの寒天作りが盛んに行われていたが、市街化が進み平年の気温も上昇したことで、現在は生産している農家はなく、下田部町にある株式会社タニチが田能に工場を持ち一般家庭向け寒天・寒天加工商品の製造・販売を行っているほか、市のサイトで「樫田地区の一部の農家が作っている」と報じられているだけに留まる。鵜殿と呼ばれる淀川河川敷で良質なヨシが採れたことから、簾作りも盛んであったという。かつて、市街地北部の服部地区ではたばこの栽培が行われ「服部煙草」と呼ばれていた。池田、伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられる酒の名産地である市域西部の富田地域には現在2軒の造り酒屋があり、オリジナルブランドで日本酒、また地ビールを生産するほか、北部の原地区においてはどぶろく特区として、どぶろくの生産も行っている。
| 品目 | a(アール) |
|---|---|
| 総数 | 17,318 |
| 水稲 | 15,495 |
| トマト | 272 |
| キャベツ | 196 |
| たまねぎ | 96 |
| かんしょ | 85 |
| ほうれんそう | 78 |
| なす | 76 |
| だいこん | 74 |
| ばれいしょ | 67 |
| ねぎ | 60 |
| きゅうり | 52 |
| 花き類・花木 | 39 |
| 種苗・種木 | 193 |
指定金融機関はりそな銀行(西暦の偶数年10月~奇数年9月)と三井住友銀行(西暦の奇数年10月~偶数年9月)との輪番制[17]。
※高槻市内の郵便番号は、北部地域(おおむねJR京都線より北側の地域)が「569-10xx」「569-11xx」(高槻北郵便局の管轄)、南部地域(同じく南側の地域)が「569-00xx」「569-08xx」(高槻郵便局の管轄)となっている。
そのほかには、高槻市民新聞社、きつつき21編集室、北大阪新聞社などのミニコミ誌など。
芥川上流の摂津峡(摂津耶馬渓とも呼ばれている)などは美しい自然環境を残している。
高槻市内ではホタルが鑑賞でき、日本で確認されている44種類のホタルのうち、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル、オバボタル、クロマドボタル、ムネクリイロボタルの6種類が住んでいる。
同地域で古くから話されている言葉は、一般的な大阪弁であるが、京都府に隣接し、西国街道を通じて京都との交流が多いためか、京言葉の影響を多分に受けたものとなっている。ただし高度経済成長期以降、大阪府内で建設されたニュータウンと同様に、関西の他の地域は勿論、それ以外の地域からも転入者が急激に増えたため、標準語により近い関西共通語が主流となっている。
また、「高槻」は地元古来の発音では「た」にアクセントを置いた頭高型の発音をするが(「埼玉」などと同じ)、JR西日本などは「か」にアクセントを置いた共通語風の発音を採用しており、近年では他地域からの転入者や若年層を中心にこちらの発音をする市民も増えている。
高槻市の人口は1994年度の363,000 人をピークに減少傾向にあったが、2003年度以降は概ね横ばいとなっている。高槻市の約半分は森林になっており可住地面積は57.37km2、可住地人口密度は6,133人/km2。2005年度の人口集中地区 (DID) の人口が338,236人、DID面積は33.19km2、DID人口密度が1,0259.6人/km2、総数に占めるDID人口が96.1%、面積は31.5%。日本の市の人口順位によると、高槻市は2010年の法定人口で56位となっている。
平成22年(2010年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.57%増の357,359人であり、増減率は府下43市町村中8位、72行政区域中25位。
| 高槻市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 高槻市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 高槻市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
高槻市(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 区分 | 人数(人) | 割合(%) |
|---|---|---|
| 年少人口(14歳以下) | 49,101 | 13.68 |
| 生産年齢人口(15 - 64歳) | 234,076 | 65.19 |
| 高齢人口(65歳以上) | 75,863 | 21.13 |
| 地区別人口(2005年度) (単位:人) | |
|---|---|
| 樫田地区 | |
| 高槻北地区 | |
| 五領地区 | |
| 三箇牧地区 | |
| 高槻西地区 | |
| 如是・富田地区 | |
| 高槻南地区 | |
1997年(平成9年)に「高槻市都市計画マスタープラン」が策定され、それに則して都市計画が立てられている。市全体構想と共に、市を7つの地域に分けてそれぞれの地域ごとにも都市計画が立てられている。以下はそれぞれの地域と街づくりの重点目標。
第4次高槻市総合計画において、土地の利用状況・生活圏としてのまとまり、地区行政の経緯などを考慮して、地区生活圏を7つに区分している。なお、この区分けは生活圏としてのまとまりなどに重点を置いており、 川西町、真上町、緑ヶ丘は、上記の理由による区分けのため、丁目によっては地区が異なる。
高槻北地区
高槻中地区
高槻・五領地区
高槻南地区
富田南・三箇牧地区
富田地区
高槻西地区
高槻市消防本部特別救急隊と連携し、ドクターカーの本格運用(365日24時間)を行っている。2002年10月に試行運用を開始、2006年10月より本格運用開始。本格運用を行っているのは国内で5市のみ。(2008年現在)
救急医療体制は周辺他市と比較して充実しており、他地域の救急車が救急患者を搬送して来ることが多く見られる。
かつて中学教師が地元集中と呼ばれる教育を行っていた。国道171号沿いの防音版の設置棟とプレハブ校舎へのエアコン設置は全国でも珍しい試みであった。2007年度から2学期制を導入した。


かつては近鉄バスも富田地区と柱本地区に路線があったが、前者は2008年、後者は2017年に廃止となった。
東西を走る大動脈的な国道171号線は、かつて右折レーンが少なく渋滞が頻発していた。しかし近年、道幅の拡幅などにより大畑町・八丁畷・今城町交差点などにおいて右折レーンが新設され、渋滞回数は減少している。
かつては市内を通過する名神高速道路にインターチェンジがなく市内を素通りするのみであったが、2017年に新名神高速道路の高槻JCT・IC - 川西IC間が開通(翌2018年に川西IC - 神戸JCT間が開通して山陽自動車道・中国自動車道と接続)したことで市内に同JCTを介して接続する新名神・名神両高速道路の出入口が設置された。
大阪外環状線として整備された2路線がある。
※171号線は170号線の起点となる八丁畷交差点以東の区間も含めて「イナイチ」と呼称されるのが一般的で、「外環(ソトカン)」と呼称されるのは170号線のみである。




高槻八景
原八景

富田十勝



| 指定区分 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 国宝 | 考古資料 | 金銅石川年足墓誌 附:木櫃残欠(銅釘付)一括 | 月見町 | 個人(大阪歴史博物館に寄託) | 昭和27年(1952年)3月29日 | 墓誌は奈良時代の貴族、石川年足(いしかわのとしたり)のもの |
| 重要文化財 | 建造物 | 普門寺方丈 | 富田町 | 普門寺 | 昭和52年(1977年)1月28日 | 永禄期の建築で、襖絵は狩野安信、直原玉青 |
| 〃 | 彫刻 | 木造聖観音立像 2躯 | 原 | 神峯山寺 | 明治45年(1912年)2月8日 | 一木造りで平安時代中期と後期の作 |
| 〃 | 〃 | 木造阿弥陀如来坐像 | 原 | 〃 | 明治45年(1912年)2月8日 | 寄木造りで平安時代後期の作 |
| 〃 | 〃 | 木造聖観音立像 | 原 | 本山寺(奈良国立博物館に寄託) | 大正2年(1913年)4月14日 | 平安時代後期の作で堅木の一木造 |
| 〃 | 〃 | 木造毘沙門天立像 | 原 | 本山寺 | 大正2年(1913年)4月14日 | 平安時代後期の作、本山寺本尊。鞍馬山、信貴山とともに日本三毘沙門天の1つともいわれる |
| 〃 | 〃 | 木造千手観音坐像 | 浦堂本町 | 安岡寺 | 昭和49年(1974年)6月8日 | 10世紀後半の典型的な姿を示す四十二臂の千手観音坐像。木造寄木造 |
| 〃 | 〃 | 木造菩薩坐像 | 昭和台町 | 慶瑞寺 | 平成元年(1989年)6月12日 | 昭和61年(1986年)に発見。8 - 9世紀ごろの作とされる |
| 〃 | 考古資料 | 安満宮山古墳出土品 | 南平台 | 文化庁(高槻市教育委員会保管) | 平成12年(2000年)6月27日 | 銅鏡5面、鉄製品9点、ガラス小玉一括 附:苧麻布片2点 |
| 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 認定年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 工芸品 | 石造燈籠 | 天神町 | 上宮天満宮 | 昭和17年(1942年)5月30日 | 旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による認定物件 |
| 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 登録年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 建造物 | 大阪医科大学看護専門学校校舎(旧大阪高等医学専門学校別館) | 大学町 | 大阪医科大学 | 平成15年(2003年)7月17日 | ヴォーリズ建築事務所の設計による医学専門学校の別館。鉄筋コンクリート造3階建 |
| 〃 | 長谷川家住宅主屋 | 東五百住町 | 個人 | 平成17年(2005年)8月17日 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積136m2 |
| 〃 | 古畑家住宅 主屋他7棟 | 大字中畑 | 個人 | 平成20年(2008年)7月23日 | 江戸期に庄屋を務めた有力農家の屋敷。主屋、長屋門(馬上門)、離れや土蔵など合わせて8棟 |
| 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 史跡 | 今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡 | 郡家新町・上土室 | 高槻市 | 昭和33年(1958年)2月18日 | 附(つけたり)の新池埴輪製作遺跡は平成3年(1991年)7月に追加指定 |
| 〃 | 嶋上郡衙跡附寺跡 | 清福寺町他 | 〃 | 昭和46年(1971年)5月27日 | 郡寺は飛鳥時代後期、7世紀に創建され、平安時代中ごろまで続いたと考えられている |
| 〃 | 阿武山古墳 | 奈佐原 | 〃 | 昭和58年(1983年)8月30日 | 葬られた人物は、大織冠・中臣鎌足とする説が有力 |
| 〃 | 安満遺跡 | 八丁畷町 | 〃 | 平成5年(1993年)11月19日 | 弥生時代の環濠集落跡。集落は鎌倉時代まで続いたと考えられている |
| 〃 | 闘鶏山古墳 | 氷室町・上土室 | 〃 | 平成14年(2002年)12月19日 | 古墳時代前期(4世紀前半)の王墓 |
| 名勝 | 普門寺庭園 | 富田町 | 〃 | 昭和56年(1981年)8月28日 | 平成12年(2000年)12月13日、境内ほぼ全域が日本の名勝に追加指定(拝観可 志納金要) |
| 天然記念物 | 冨寿栄黒松 | 富田町 | 本照寺 | 昭和12年(1937年) | 推定樹齢が約700年『富寿栄の松』と呼ばれる。昭和46年(1971年)3月16日、枯死のため指定解除 |
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