五条橋下は元は高瀬川近くの畑地で宝暦8年(1758年)、宅地開発され、宝暦11年2月(1761年)、上七軒より茶屋株(茶屋営業許可証)を借受、花街を始めた[1]。南京極町、平居町、都市町を中心に南側に存在した七条新地と共に発展した。場所が五条大橋の近くであった為、「五条橋下」と呼ばれ、また「六条新地」と呼ばれた[1]。
明治に入り、七条通に近かった七条新地が北上し、五条橋下は大正初期に合併され、1958年(昭和33年)、売春防止法施行まで遊廓として営業した。平居町には三階建ての貸座敷が立ち並んでいた[2]。
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