井上景家

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井上景家
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 永禄8年(1565年)[1]
死没 寛永9年6月27日(1632年8月12日)
別名 通称:弥次郎→弥兵衛
主君 小早川隆景→毛利輝元→秀就
藩 長州藩
氏族 清和源氏頼季流安芸井上氏
父母 父:井上利宅
子 元宅、就貞、就通、就勝
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井上 景家(いのうえ かげいえ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。小早川氏、毛利氏の家臣で長州藩士。父は井上利宅(井上元兼の三男・光利の子)。知行は500石。

生涯

永禄8年(1565年)、安芸井上氏の井上利宅の子として生まれ、天正4年(1576年)に父・利宅が病死したため、幼くして家督を継承する。

天正13年(1585年)の四国攻めに従軍し、天正18年(1590年)の小田原征伐では小早川軍の御旗奉行を務める。文禄の役では隆景に従い渡海。文禄2年1月26日(1593年2月27日)の碧蹄館の戦いでも奮戦した。

文禄4年(1595年)に隆景が小早川秀秋に家督を譲って備後国三原に隠居した際にも景家は隆景に従ったが、慶長2年(1597年)、隆景が没すると毛利氏家臣に編入され、500石の知行を拝領した。家督は嫡男の元宅に譲り、次男の就貞、三男の就通、四男の就勝にもそれぞれ知行を分与した。

寛永9年(1632年)死去、享年68。

脚注

  1. ↑ 死没時の年齢より逆算。

参考文献

関連項目