| ゴリラクリニックベースボール 監督 #59 | |
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ヤクルト時代 (2014年4月13日、横浜スタジアムにて) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 福岡県北九州市小倉南区 |
| 生年月日 | 1984年7月6日(40歳) |
| 身長 体重 |
172 cm 75 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト7巡目 |
| 初出場 | 2008年8月20日 |
| 最終出場 | 2017年5月27日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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| 今浪 隆博 | |
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| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2022年4月1日 - |
| ジャンル | スポーツメンタル |
| 登録者数 | 11.3万人 |
| 総再生回数 | 72,554,451回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年12月30日時点。 | |
今浪 隆博(いまなみ たかひろ、1984年7月6日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、スポーツメンタルコーチ、野球指導者、YouTuber。
2歳年上の兄の影響で小学1年生より横代ライオンズでソフトボールを始める。中学1年生から硬式野球チーム小倉バディーズに入団[1]。
本人は地元の九州国際大付属高校でプレーすることを希望していたが、「地元でプレーすると野球が疎かになる」と考えた母親の説得で京都府の平安高校に進学[1]。甲子園には2001年(2年夏)の第83回選手権大会と2002年(3年春)の第74回選抜大会に出場した。2年夏は準々決勝で阿部健太のいた松山商業高校と戦っている。
高校当時今浪の学年から試験的に導入されてた体育コース(アスリートコース)の前身のコースに在籍し、午前中だけ通常の授業を受けてそれを過ぎると午後練であった。今浪は体育コースの前身のコースの学業面について「定期テストの前日に回答を配られたにもかかわらず0点の生徒が何人かいた」と暴露しつつ「提出物は提出していた」「野球部関係者の授業はピリッとした」とフォローし「僕達の行いが良かったから体育コースが正式導入された」と冗談めかしている[2]。
平安高校卒業後は立命館大学への進学を希望していたが、「プロを目指すなら明治大学にしなさい」「明治大に行くなら好きなだけお小遣いをあげる」と、またも母親に説得される形で明治大学商学部に進学する[3][1]。もっとも本人によると、部員としては新1年生の時に注目されたきり3年生まで野球部の活動自体からフェードアウト状態であったといい、大学3年の終わりから「1年だけ頑張ろう」と心を入れ替えて野球に打ち込んだという。そのせいで野球部をサボって遊んでいた悪友からは裏切者扱いされたと後に苦笑している[4]。広角に打ち分けるシュアな打撃に長打力も合わせ持ち、4年時の東京六大学野球春季リーグ戦で打率.304を記録。秋季リーグ戦では首位打者争いを繰り広げ、打率1位(.361)でリーグ戦を終えるも最終節の早慶戦で追い抜かれ、首位打者獲得はならなかった。更に確実に獲得できると思っていた遊撃手のベストナインも落選し(受賞したのは大引啓次)、燃え尽きた今浪は、この時点でプロを完全に諦めることを決断していた。しかし、プロを目指していた自分への最後のけじめとして、プロ志望届を提出した[5]。
2006年プロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから大学生・社会人ドラフト7巡目で指名を受けて入団。背番号は「45」。
ドラフト会議当日は今浪が指名されることを誰も予想していなかったため、当初大学内に会見場が設けられず[6]、今浪自身もアルバイトの面接を入れていた[7]。急遽設けられた記者会見には、大学側から今浪一人が参加したものの、そこにいる人物が今浪と知らなかった記者に「今浪選手はどちらですか?」と声をかけられ、自ら「今浪は自分です」と答えている[6]。
2007年は1年目から二軍でレギュラーを掴み、主に遊撃手としてチーム2位の80試合に出場、打率.280の好成績を残した。12月25日、会社員であり大学の同級生の女性と入籍した。
2008年8月20日の千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)で一軍初出場。髙橋信二の代打として出場したが二塁ゴロに終わる。この年の一軍での出場はこの1試合のみだった。
2009年は9月1日のロッテ戦でプロ初安打を記録。5試合の出場で打率.250だった。
2010年は金子誠の離脱もあり、前年よりも出場試合数、打席数を増加。29試合の出場で打率.244、3打点だった。
2011年は主に守備固めとして二塁手・遊撃手・三塁手の3ポジションで起用された。チームの内野手に故障者が続出したこともあり先発に入る機会も増加し、自己最多の84試合に出場した。
2012年は春季キャンプから怪我が続き、出場試合数は13試合に留まった。

2013年は再び出番が増加し、主に守備固めとして二塁手・三塁手・遊撃手の3ポジションで起用され、6月30日の埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)では「6番・右翼手」で先発出場し、プロ入り後初めて外野の守備に就いた。自己最多の91試合に出場し、初めて開幕から一度も二軍に降格することなくシーズンを終えた。
2014年のシーズン開幕直後の3月31日に増渕竜義との交換トレードが成立し、東京ヤクルトスワローズへ移籍[8][9]。背番号は「59」。
2015年は遊撃手のポジションを大引啓次、森岡良介と争う。開幕は大引が先発で森岡が代打の中心となるが、5月の大引離脱後に遊撃手での先発出場の機会を得ると攻守で活躍を見せた。5月24日の広島東洋カープ戦では9年目でプロ初本塁打を記録した[10]。遊撃手または三塁手として起用され、またプロ入り後初めて一塁の守備に就いた。自身も怪我による離脱があったが、後半戦以降は大引に代わる遊撃手での先発や代打の切り札としての起用も増え、その中で打率.317、代打率.346を記録してリーグ優勝に貢献した。
2016年は6月17日の対西武戦で一塁手として出場している際に、炭谷銀仁朗が打ったフライ性の打球を捕ろうとして三塁手の川端慎吾と衝突し、担架で病院に運ばれた。翌18日に登録抹消となったが、抹消から10日未満となる6月24日に登録され復帰した。これは、脳震盪の登録抹消特例が適用されたためで、今浪がプロ野球史上初の適用者となった[11]。さらに、9月3日には甲状腺機能低下症により登録抹消されたが、3週間後の9月24日に一軍復帰[12]。一塁手・三塁手・遊撃手の3ポジションで起用され自己最多の94試合に出場し、得点圏打率.344、シーズンを通しての代打率.382を記録し、ここ一番での代打の切り札として大いに活躍した[13]。
2017年は春季キャンプで腰を負傷し、更に回復しつつあった体調が再び悪化。5月18日に一軍登録されたが、体調不良により5月29日に登録抹消。その後も満足にプレーできない状態が続き一軍に昇格できず、出場試合数はわずか7試合に留まった。10月3日に球団より戦力外通告を受け[14]、持病の甲状腺機能低下症(橋本病)の影響も鑑みて引退を決断[15]。当初の予定ではなかったが、多くのファンから強い要望があり、11月23日のファン感謝DAYにて引退セレモニーが行われた[16]。ファンや関係者らに感謝を伝えた後、チームの若手有望株で自身が才能を見込んだ廣岡大志にエールを込める意味で「引退の原因は廣岡に押し出されたからです」とジョークを飛ばし、集まったファンの笑いを誘い、明るく締めくくった[17][18]。
現役時代に故障や持病と向き合った経験を基に、アスリート向けのメンタルコーチングを勉強。日本スポーツメンタルコーチ協会へ加入するとともに、「スポーツメンタルコーチ」という肩書で活動している[19]。
2020年1月6日からは、ヤクルト時代のチームメイトだった田中浩康の後任として隔週月曜日に『なな→きゅう』(文化放送平日早朝の生ワイド番組)へパートナーとして出演中。
また2019年6月に平安高時代の同級生から声を掛けられ、軟式野球実業団チーム「ゴリラクリニックベースボール」の創設に関わる。チームが始動した初年度の2020年より監督を務めている[20][21]。チームは台東区軟式野球連盟1部に属し、初年度から台東区春季大会を勝ち抜き、東京都軟式野球連盟秋季大会ベスト4までチームを導いている。
自身の経験を生かして2022年4月1日にYouTubeチャンネル「今浪隆博のスポーツメンタルTV」を開設。
当初は真面目にアスリートのメンタルや技術談義を行っていたが、ふと11年間一軍と二軍を行き来した「二軍の帝王」「今浪クラス」の視点から見た二軍のネタやプロ野球の裏側ネタ、「なんでプロ野球選手は金のネックレスを着けてるの?」といった野球に絡めた雑談などを展開したところ、人気が爆発。
2024年4月8日には出版社からの依頼で書籍化するに至っており、出版社からは「ななめ上行く野球談義で大人気のYouTubeチャンネル[22]」との紹介を受けた。
2024年6月3日時点で登録者数は9.34万人となっているが、同日「なんで載ってない?とあるサイトの『プロ野球選手のYouTubeチャンネル登録者数ランキング』」という動画を公開し、「とあるサイト」こと「みんなのランキング」の同ランキングにおいて、10.1万人の田尾安志についで19位にランクされるべきであるにもかかわらず自分の名前がそこに挙がっていない理由について、12分7秒にわたってにこやかに考察している[23]。
走攻守にバランスが取れ、内野の全ポジションをユーティリティーにこなせる万能型の選手[8]。シュアな打撃も持ち味[9]。生涯代打率.316を記録し、ヤクルトではここ一番での代打の切り札として抜群の勝負強さを誇った[13]。日本ハム、ヤクルト等でコーチを務めた三木肇は「(今浪は)攻守ともに状況を的確に掴み、相手が嫌がるプレーができる。数字以上にチームに貢献している」と評している[24]。
主に守備固めとして起用されていた日本ハム時代は守備やバントを確実にこなすこと、チームプレイに徹することで頭がいっぱいになり、打撃について考えることができなかった。ヤクルト移籍後はシンプルに「打つこと」だけを考えるようになると気持ちが楽になり、打撃成績が大きく向上した[6]。
攝津正は現役時代に苦手としていた打者に今浪を挙げており、「(今浪に)ボールをコツコツ当てられるのが嫌だった」と語っている[25]。
「身体が弱く怪我が多かった」「フィジカルはプロ野球界で最弱」と自認しており、現役時代は全10部位の怪我と2回のレーシック手術を経験した[26]。また、引退後に現役時代から悩まされていたもやもや血管の手術を受けたが、もし現役時代にそれを治療してくれた主治医に出会っていれば、現役時代の怪我の回数は史実より格段と少なくなっていたと、主治医は説明している[27]。
ヒーローインタビューでは、「今浪節[30]」と称される真顔でギャグやジョークを言う“スベり芸”でファンを沸かせた[31][32][24]。
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 日本ハム | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2009 | 5 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | |
| 2010 | 29 | 50 | 45 | 1 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 11 | 1 | .244 | .292 | .267 | .559 | |
| 2011 | 84 | 197 | 179 | 12 | 43 | 7 | 1 | 0 | 52 | 8 | 3 | 1 | 10 | 0 | 8 | 1 | 0 | 18 | 0 | .240 | .273 | .291 | .563 | |
| 2012 | 13 | 18 | 18 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
| 2013 | 91 | 150 | 128 | 11 | 31 | 4 | 0 | 0 | 35 | 14 | 0 | 1 | 6 | 3 | 13 | 0 | 0 | 11 | 1 | .242 | .306 | .273 | .579 | |
| 2014 | ヤクルト | 13 | 41 | 38 | 7 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | .211 | .268 | .237 | .505 |
| 2015 | 68 | 139 | 123 | 13 | 39 | 8 | 0 | 2 | 53 | 13 | 1 | 0 | 3 | 1 | 12 | 0 | 0 | 14 | 1 | .317 | .375 | .431 | .806 | |
| 2016 | 94 | 240 | 201 | 22 | 56 | 9 | 3 | 1 | 74 | 28 | 0 | 1 | 3 | 4 | 30 | 0 | 2 | 25 | 3 | .279 | .371 | .368 | .739 | |
| 2017 | 7 | 17 | 15 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .267 | .313 | .467 | .779 | |
| 通算:10年 | 405 | 857 | 752 | 67 | 196 | 31 | 5 | 3 | 246 | 69 | 4 | 3 | 25 | 8 | 70 | 1 | 2 | 84 | 7 | .261 | .322 | .327 | .649 | |
| 年 度 | 球 団 | 一塁 | 二塁 | 遊撃 | 三塁 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2009 | 日本ハム | - | - | 2 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
| 2010 | - | - | 14 | 14 | 25 | 2 | 7 | .951 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
| 2011 | - | 45 | 37 | 63 | 0 | 9 | 1.000 | 38 | 41 | 87 | 3 | 17 | .977 | 13 | 6 | 19 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
| 2012 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 5 | 4 | 12 | 2 | 1 | .889 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
| 2013 | - | 46 | 55 | 82 | 1 | 17 | .993 | 3 | 1 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | 29 | 6 | 13 | 1 | 1 | .950 | ||||||
| 2014 | ヤクルト | - | - | 13 | 13 | 24 | 1 | 2 | .974 | - | |||||||||||||||
| 2015 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 37 | 40 | 77 | 4 | 11 | .967 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
| 2016 | 47 | 241 | 20 | 1 | 17 | .996 | - | 10 | 12 | 24 | 1 | 6 | .973 | 14 | 9 | 14 | 2 | 2 | .920 | ||||||
| 2017 | 3 | 13 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | - | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | |||||||||||
| 通算 | 51 | 255 | 20 | 1 | 20 | .996 | 93 | 92 | 147 | 1 | 26 | .996 | 122 | 126 | 257 | 13 | 44 | .967 | 71 | 22 | 50 | 3 | 3 | .960 | |
| 年 度 | 球 団 | 外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
| 2013 | 日本ハム | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | .750 |
| 通算 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | .750 | |
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