佐原秀樹

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佐原 秀樹
名前
愛称 ヒデ
カタカナ サハラ ヒデキ
ラテン文字 SAHARA Hideki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-05-15) 1978年5月15日(46歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市[1]
身長 184cm[2]
体重 76kg[2]
選手情報
ポジション DF[2]
利き足 右足[3]
ユース
1994-1996 日本の旗 桐光学園高校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1997-2010 日本の旗 川崎フロンターレ 140 (3)
1997 →ブラジルの旗 グレミオ (loan)
2008-2009 →日本の旗 FC東京 (loan) 35 (2)
通算 175 (5)
監督歴
2014-2017 日本の旗 川崎フロンターレU-12
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
佐原秀樹

佐原 秀樹(さはら ひでき、1978年5月15日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー (DF)。

来歴

小学生の頃に日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)の下部組織で本格的にサッカーを始める[4]。マリノスジュニアユース同期には高田保則、中村俊輔がいた。1992年のU-15高円宮杯で優勝、U-15クラブユース選手権では1992年及び1993年に連覇[4]。

ユースへの昇格が内定していたが[4]全国高校選手権への憧れから[5]、1994年に桐光学園高等学校へ進学。1年時からAチームに入り[4] 3年時にはキャプテンを務め、中村、宇留野純、井手口純らと共にチームを1996年度選手権の準優勝に導いた[3][4][6]。高校選抜にも選出。

1997年に高校を卒業。複数のオファーを受ける中で、関東圏でのプレーとブラジルへの留学という条件に惹かれて[4]JFL・川崎フロンターレへ入団。同年、当時川崎と業務提携していたグレミオへと留学。ジュニオール(ユース)に登録され、チームメートにはロナウジーニョがいた[5]。1998年に復帰し、1999年には同年発足のJリーグディビジョン2で中西哲生、森川拓巳と3バックを組み[7]、リーグ最小失点での優勝及びJ1昇格に貢献した。2000年も開幕からレギュラーとして出場を続けていたが[8]、練習中の負傷及び2度の手術によって長期離脱を強いられ[7]、以後約2年間公式戦に出場できなかった[3]。

2002年に戦線復帰したが、佐原の離脱中に川崎では伊藤宏樹や箕輪義信が主力に定着。岡山一成も移籍加入したことで2003年にはベンチ入りも出来なかった[注 1]。2004年から再び出場機会を掴み始めたが、入院生活やリハビリ期間を共に過ごした寺田周平[5][7][9] が伊藤、箕輪と3バックを構築したため、佐原は4番手となる時期が長く続いた[10]。セットプレー時には長身を活かすべく前線に上がり、空中戦の強さを発揮。2005年のJ1第29節浦和戦では決まれば勝ち越しとなるヘディングシュートを突き刺したが、家本政明主審によって取り消された[注 2]。2006年には負傷の寺田に代わって本職ではない3バックの中央[13](リベロ[5])をこなすなど、貴重な守備のバックアッパーだった。なお、この年限りで佐原と同様に1997年から川崎に在籍していた長橋康弘が引退したため、佐原がチーム創設時以来唯一の最古参選手となった[5]。

2008年、FC東京に期限付き移籍[14][15]。当初は不慣れな環境とプロ入り以来初となる4バックの布陣に戸惑ったが[16][17]、その高さは重宝され[18] センターバックとして先発フル出場を続けた。古巣・川崎との対戦では、高校時代以来となる主将を任されるなど[16][19]、守備の要として絶大な存在感を発揮[18]。同年終盤からグロインペイン症候群による股関節痛が表面化したが、懸命にプレーを続け[20] レギュラーを死守した。この年は自身初のリーグ戦複数得点と公式戦過去最多出場を記録。シーズン終了後に移籍期間延長が発表された[21][22]。2009年は股関節から膝にかけて痛みが広がる中[23]、川崎とのナビスコカップ決勝に勝利し、自身プロ入り後初のタイトルを獲得した[16]。

移籍期間を満了し[24]、2010年より川崎フロンターレへ復帰[25]。この年は、開幕前の左肩鎖関節脱臼[16] や内転筋痛も加わって満身創痍となる中で[6] 9試合に出場。その中にはプロ入り後14年目にして高校の同期である中村俊輔との初対決もあった[3][6]。リーグ戦終了後に現役引退を表明[1]。寺田と同じタイミングでの引退だった[9]。

2011年からは川崎で育成・普及コーチを務める[26]。2012年、JFA公認B級コーチライセンスを取得[27]。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997川崎30旧JFL00--00
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997グレミオ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998川崎3旧JFL1403010180
1999J22812020321
2000J150000050
2001J200000000
2002131-20151
200300-0000
2004221-10231
2005J12303010270
20061506010220
20071302000150
2008FC東京2822040342
2009705031151
2010川崎70101090
通算日本J1 9821901011273
日本J2 6332050703
日本旧JFL 1403010180
ブラジル
総通算
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2007川崎320
201000
通算AFC 20

指導歴

  • 2011年 - 川崎フロンターレ
    • 2011年 - 2012年 育成・普及コーチ / アバンテクラスリーダー[28]
    • 2013年 U-12 コーチ[29]
    • 2014年 - 2017年 U-12 監督[30]
    • 2018年 - 2019年 U-12 コーチ
    • 2020年 - 2024年 U-18 コーチ
    • 2025年 - トップチーム コーチ

タイトル

クラブ

横浜マリノスジュニアユース
川崎フロンターレ

脚注

注釈
  1. ↑ 当時の規定ではベンチに入れる選手は16名まで。
  2. ↑ この取り消しに加え、双方合わせて10枚のイエローカードが出たばかりか、川崎には一発レッドによる退場者も出た[11]。試合後、関塚隆監督は「我々を勝たせてくれない何かが働いていた」とコメントを残している[12]。
出典
  1. 1 2 3 4 佐原秀樹選手引退のお知らせ 川崎フロンターレ (2010年12月7日)
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 登録選手一覧表 Jリーグ (2010年12月5日)
  3. 1 2 3 4 俊輔VS佐原 待望の桐光学園同僚対決だ スポーツニッポン (2010年9月11日)
  4. 1 2 3 4 5 6 “PLAYER'S HISTORY FILE 039”. 2007年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。 Jリーグ選手協会 (2007年11月30日)
  5. 1 2 3 4 5 F-スポット ピックアッププレイヤー 2007 vol.08 川崎フロンターレ
  6. 1 2 3 【川崎F】佐原引退「もう体がボロボロ」 日刊スポーツ (2010年12月5日)
  7. 1 2 3 F-スポット ピックアッププレイヤー 2004 vol.04 川崎フロンターレ
  8. 1 2 選手出場記録 Jリーグ (2000年5月27日)
  9. 1 2 F-スポット ピックアッププレイヤー 2010 vol.12 川崎フロンターレ
  10. ↑ 川崎F・佐原がFC東京への移籍が濃厚 ゲキサカ (2007年12月26日)
  11. ↑ 公式記録 2005Jリーグ ディビジョン1 第29節第1日 Jリーグ (2005年10月29日)
  12. ↑ 【J1:第29節】浦和 vs 川崎F:関塚隆監督(川崎F)記者会見コメント J's GOAL (2005年10月29日)
  13. ↑ 燃えろ川崎、沸けよ等々力 スポーツナビ (2006年8月22日)
  14. ↑ 佐原秀樹選手期限付き移籍のお知らせ 川崎フロンターレ (2008年1月8日)
  15. ↑ “佐原秀樹選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ”. 2008年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。 FC東京 (2008年1月8日)
  16. 1 2 3 4 F-スポット ピックアッププレイヤー 2010 vol.03 川崎フロンターレ
  17. ↑ 『FC東京ファンブック2009』毎日新聞社、2009年、32-33頁。
  18. 1 2 佐原残留 来季も東京の守備支える 東京中日スポーツ (2008年11月11日)
  19. ↑ 【J1:第25節 川崎F vs F東京】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2008年9月20日)
  20. ↑ 佐原が帰ってきた 開幕スタメンへ気合 東京中日スポーツ (2009年2月18日)
  21. ↑ 佐原秀樹選手期限付き移籍期間延長のお知らせ 川崎フロンターレ (2008年12月24日)
  22. ↑ “佐原秀樹選手 期限付き移籍延長のお知らせ”. 2008年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。 FC東京 (2008年12月24日)
  23. ↑ アウェー磐田戦 佐原に任せろ! 東京中日スポーツ (2009年4月4日)
  24. ↑ “佐原秀樹選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ”. 2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月22日閲覧。 (2009年12月11日)
  25. ↑ 佐原秀樹選手復帰のお知らせ 川崎フロンターレ (2009年12月11日)
  26. ↑ 佐原秀樹氏育成・普及コーチ就任のお知らせ 川崎フロンターレ (2011年2月1日)
  27. ↑ 2011(平成23)年度 公認B級コーチ養成講習会 合格者【399名】 (PDF) 日本サッカー協会 (2012年4月12日)
  28. ↑ 川崎フロンターレサッカースクール「アバンテクラス」開設のお知らせ 川崎フロンターレ (2012年3月16日)
  29. ↑ アカデミー「監督・コーチ」について 川崎フロンターレ (2013年1月8日)
  30. ↑ アカデミー「監督・コーチ」について 川崎フロンターレ (2014年1月7日)

関連項目

外部リンク

特集・インタビュー
成績・プロフィール