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前賢故実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源師房

前賢故実(ぜんけんこじつ、旧字体: 前󠄁賢故實)は、江戸時代後期から明治時代に刊行された伝記集。全10巻20冊。菊池容斎筆。上古から南北朝時代(後亀山天皇の代)までの皇族、忠臣、烈婦など585人を時代を追って肖像化し、漢文で略伝を付す。日本の歴史上の人物を視覚化したものとしては画期的であり、明治中期頃から国家意識の高まりにつれ盛んに描かれた歴史画において、バイブルとしての役割を果たした。

成り立ち

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成立年代は、容斎の孫にあたる菊池武九(隆房)が巻末に記した後序によると、文政初年(1818年)起筆、明治元年(1868年)に完成したとある。また、天保7年(1836年)の年記がある儒者松田順之の序文に脱稿の旨が記され、制作の中心時期は文政天保期だと考えられる[1]。天保14年(1843年)には初編2巻4冊が刊行されたが、その後おそらくは経済上の理由から刊行が進まず、明治元年にようやく全巻刊行されて完成をみたであろうことが指摘されている[2]。天保年間に初編が世に出された段階で、神武天皇以降の朝廷を日本の歴史の中心と捉えた構成になっていたようである[3]。

『前賢故実』巻頭の例言によれば、容斎は考証の巻を設けようと考えていたらしいが果たせず、明治36年(1903年)、容斎の孫にあたる菊池武九や山下重民の編集により有職故実の考証1巻が付加され、『考証前賢故実』として東陽堂より再刊された。全11巻。

人物図制作にあたって、『集古十種』から多数図柄を援用もしており、在原業平や小野道風のように過去の肖像画から図様を拝借した例もみられるが、東京国立博物館所蔵の画稿から、モデルにポーズを取らせて描いたことが分かる。更に、弟子の渡辺省亭の回想によると、容斎は弟子に人間の骨格を研究させるため、月例の写生会に裸体の人体モデルを用いたという[4]。時代考証についても、10巻末に「前賢故実図徴引用書目」と題した参考資料目録があり、『古事記』『日本書紀』などの歴史書や『源氏物語』『古今和歌集』と言った文学書、更に絵画資料を含む264件もの史料名が挙げられている。加えて、東京国立博物館所蔵の『前賢故実』[5]には、ページ毎に参考にした古器旧物のスケッチが添付され、図中の装束や所持品の典拠を知ることが出来る。

嘉永3年(1850年)特製本の『前賢故実』2冊が、細川侯(細川斉護か?)から関白鷹司政通を通じて、孝明天皇の天覧に供せられた。更に明治元年9月出版の版刻本『前賢故実』全10巻20冊が、三条実美・東久世通禧を通じて、11月1日明治天皇に献本された。この功績より容斎は、明治8年(1875年)明治天皇から「日本画士」の称号を賜った。ただし、これらは容斎側の文献から復元した事績で、公文書などから確認が取れない点は留意する必要がある。

影響

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『前賢故実』は、明治期の美術、特に歴史画において、図像の典拠や有職故実の教科書として多大な影響を与えたことで知られる。無論、研究の進んだ現在の目からすると誤謬も少なくないが、故実研究に基づく新たな歴史画の方向性を示した功績は大きい。有職故実の研究家で画家でもあった関保之助は、後年『当時の歴史画家で前賢故実を学ばぬ者は恐らく一人もないと云っても差し支えない程だった』と回想している[6]。容斎門下の松本楓湖や渡辺省亭、鈴木華邨らはもちろんのこと、橋本雅邦や小堀鞆音らの日本画家にもその図柄が蹈襲あるいは借用された。容斎に私淑した梶田半古は、弟子たちに『前賢故実』を模写して学ばせ、前田青邨、小林古径ら優れた歴史画家たちを生み出す契機となった。

また、『前賢故実』は、明治期の浮世絵にもしばしば図柄が借用されている。特に月岡芳年は、早くも慶応3年(1867年)刊の『繡像水滸銘々伝』で図様を取り入れており、その後も『大日本名将鑑』『本朝智勇仁英勇鑑』『月百姿』など、『前賢故実』に倣った作品は数多い[7]。容斎に弟子入りを願ったこともある芳年は、ややもすれば謹直な容斎の歴史画を改変し、ダイナミックな構図と強烈な色彩でより迫力ある画面に仕上げている。芳年の弟子の水野年方や右田年英、同時期に活躍した小林清親や尾形月耕らの作品にも『前賢故実』の影響が見られ、明治浮世絵の基底をなしている。

更に『前賢故実』の影響は洋画や彫刻にも及ぶ。特に、本多錦吉郎や石井鼎湖ら明治美術会の洋画家による歴史画に、その引用が如実に見て取れる。更に若いころの原撫松は『前賢故実』を忠実に模写しており、この頃撫松と親交のあった三宅克己によると、同じ画塾の仲間も『前賢故実』を丹念に模写していたという。他にも、ラグーザに師事した彫刻家佐野昭作で、現在は浜離宮恩賜庭園にある「可美真手命像」(明治27年(1894年))も『前賢故実』からの影響が強い。

教育の分野に目を向けると、元田永孚が編集し松本楓湖が画を担当した修身書『幼学綱要』(明治14年(1881年)刊)や、洋画家印藤真楯が原画を描いた小学生用の歴史教科書『高等小学歴史』(明治24年(1891年)刊)などの学習材にも、『前賢故実』が典拠の忠臣・英雄像が散見され、同書が近代日本の国民教育にも利用された事がわかる。

しかし明治30年代の半ばも過ぎると、これだけ流行した『前賢故実』も時代遅れになっていく。今村紫紅や、安田靫彦、前田青邨、小林古径ら次代を担った日本画家たちは、画系で言えば容斎の孫弟子にあたり、修行時代は『前賢故実』に習った作品を制作している。しかし、西洋の芸術観の影響を受けて新しい日本画を目指す彼らたちは、それまでの共有された歴史意識や風俗考証の正しさより、画家の個性の表出や絵画としての美しさへと表現の重心が移っていき、『前賢故実』は次第に顧みられなくなっていった。

藤原保昌像の展開

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『前賢故実』から後代作品への図像の転用は、藤原保昌像と月岡芳年の《藤原保昌月下弄笛図》を比較すると具体的に確認でき、芳年の三枚続では、容斎の人物図が別の図譜と説話の要素を組み合わせた物語画の構図へ組み替えられている[8][9]。

『前賢故実』の人物図は、背景を置かない白地に歴史上の人物を一人ずつ線描し、古記録に基づく簡潔な略伝を添える形式をとり、保昌の図も、笛を吹く正面向きの立像を周囲の出来事から切り離して示しているため、人物の姿勢、装束、持物を参照できる構図見本となっている[8]。こうした図譜は、画家が別の作品を構成するときに、歴史上の人物の姿を取り出して用いる資料として利用された[8]。

芳年の《藤原保昌月下弄笛図》は明治16年(1883年)の木版三枚続で、横浜美術館所蔵本の用紙寸法は縦35.9センチメートル、横72.1センチメートルである[9]。主題は『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にみえる、笛を吹いて歩く保昌の衣を盗賊の袴垂が奪おうとしながら、恐れて手を出せない説話である[9]。

芳年は明治15年(1882年)に同主題の肉筆画を展覧会へ出品し、その翌年に三枚続を刊行した[8]。三枚続では、『前賢故実』から保昌の静かな正面向きの立像を採り、背後に刀を構える袴垂、満月、秋の野原を加えて、単独の人物図を二人が対峙する物語の一場面へ展開した[8]。

この構成には、芳年の師である歌川国芳が安政3年(1856年)刊の画譜で示した同じ説話の図も用いられ、国芳の図が保昌と袴垂を近接させて出来事を描くのに対し、『前賢故実』は保昌一人を白地に立たせているため、芳年は容斎の保昌像と国芳の袴垂像を別々に参照し、袴垂の向きを変えて保昌の背後へ配置した[8]。さらに、国芳の人物が密集した場面よりも広い月夜の野を取り、離して置いた二人の間へ秋草を広げる構成に改めた[8]。

完成作では、風になびく薄と狩衣の袖が斜めの動きをつくり、その逆向きに身構える袴垂と直立する保昌の姿勢が対置されている[9]。刀を握って近づく袴垂に対し、保昌は笛を吹く姿勢を崩さず、目をわずかに開く姿で表され、静止する保昌と動こうとする袴垂の差が三枚続の横長画面に配置されている[9]。

《藤原保昌月下弄笛図》では、『前賢故実』の正面向きの保昌像に、国芳の説話図から組み直した袴垂と、満月、秋草が加えられた[8]。白地に独立していた人物図は、保昌と袴垂の距離、満月、風に靡く野原を含む物語画の一要素となり、明治16年(1883年)の木版三枚続として構成されている[8]。

掲載者一覧

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巻第一

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巻第二

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巻第三

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巻第四

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巻第五

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巻第六

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巻第七

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巻第八

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巻第九

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巻第十

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脚注

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  1. ↑ 中野(2016)p.31。
  2. ↑ 木村捨三 「菊池容斎と『前賢故実』-その初版本の刊行年次に就て」『伝記』10巻11号、1943年11月
  3. ↑ 愛知県美術館 2023, p. 71.
  4. ↑ 『太陽』4巻14号、明治31年(1898年)。
  5. ↑ 東博本『前賢故実』は、『考証前賢故実』の底本である。
  6. ↑ 関保之助「古実家の立場より見たる歴史画及び歴史画家」『塔影』十二-五、1936年5月。
  7. ↑ 愛知県美術館 2023, pp. 70–71.
  8. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Kit Brooks (2021年4月23日). “The Guiding Hand of Past Masters” (英語). National Museum of Asian Art. 2026年7月30日閲覧。
  9. 1 2 3 4 5 “藤原保昌月下弄笛図”. 横浜美術館コレクション検索. 2026年7月30日閲覧。

参考文献

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  • 菊池容斎 『前賢故実』 国立国会図書館ほか蔵
  • 『美術誌Bien(美庵)』19号 特集「知られざる画家 菊池容斎」 執筆・悳俊彦 、2003年
  • 塩谷純 「歴史を学ぶ・楽しむ ─幕末明治期の視覚表現から」山下裕二ほか編 『日本美術全集16 激動期の美術』 小学館、2013年10月、pp.185-193。ISBN 978-4-0960-1116-4
  • 中野慎之 「前賢故実の史的位置」『MUSEUM』第664号、東京国立博物館、2016年10発15日、pp.31-53
展覧会図録
  • 『描かれた歴史』 兵庫県立近代美術館 神奈川県立近代美術館、1993年
  • 『没後百二十年 菊池容斎と明治の美術』 練馬区立美術館、1999年
  • 愛知県美術館、神奈川県立歴史博物館 編『近代日本の視覚開花 明治 呼応し合う西洋と日本のイメージ』風媒社、2023年4月14日。ISBN 978-4-8331-4598-5。 

関連項目

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外部リンク

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