前野且龍
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 寛保3年(1743年)4月22日
改名 悦之助→悦十郎
別名 通称:悦十郎、初名:悦之助
幕府 江戸幕府
主君 蜂須賀家・蜂須賀宗員→蜂須賀宗英→蜂須賀宗鎮
藩 阿波徳島藩
氏族 藤原北家利仁流富樫氏族坪内氏系前野家
(阿波前野氏辰定系)
父母 父:前野且朝、母:村瀨長恒娘
兄弟 高木清次室、前野且龍、前野且清室
妻 嶋重昌(織田重賢)娘
子 前野且清
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前野 且龍(まえの かつたつ)は、江戸時代の武士で、阿波徳島藩に仕えた。通称は悦十郎で、阿波前野氏辰定系四代目当主で、淡路国において知行400石を領した[1]。

生涯

且龍は、阿波徳島藩士の前野庄右衛門且朝の嫡男に生まれる。母は後妻である村瀨又右衛門長恒の娘である[1]。

初め前野悦之助と名乗り、後に前野悦十郎と改めた[1]。諱は通し字の「且」の字をとって且龍と称した[1]。嶋實兵衛重昌の娘[2]を正室に迎えたとされる[1]。

享保17年(1732年)3月6日、父の且朝が病死すると、同年5月14日に父の家督を継承した[1]。淡路国由良浦に屋敷を持っていたが江戸に在したという[1]。病気が重かったために川田澁信[3]の次男の京助(後の前野且清)を養子に迎え、妹婿とした[1]。且清の母は前野且朝の妹であり、且龍からは従兄弟にあたる[1]。

寛保3年(1743年)4月22日、病死した[1]。

氏族

前野氏は、良岑朝臣の末裔である尾張国二宮大縣神社大宮司家の立木田家から派生する[4]。苗字は、立木田高成が上総広常の娘を賜り、二人の子である高長が、母親の生地(常陸国筑波郡前野)の地名にちなんでその地を前野村(尾張国丹羽郡前野村(現在の愛知県江南市前野町〜大口町辺り))と称し、四代目時綱の代から正式に前野を名乗ったことに始まる[4]。阿波前野氏辰定系は血統上は藤原北家利仁流富樫氏族坪内氏の系統にあたる[1]。富樫氏は加賀国の守護大名であり、坪内家は加賀から尾張へ移住した富樫家の分家にあたる[1]。また、この系統上の前野庄九郎重純は出羽国秋田郡前野の地から私的に前野の名を称している[1]。丸に洲浜紋を定紋とした[1]。

系譜

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 徳島大学附属図書館蔵『蜂須賀家家臣成立書并系図』
  2. 1 2 「織田三記」系図(犬山織田氏後裔、阿波織田氏の系図)によれば嶋實兵衛重賢(織田重賢)の娘であり、「前野悦十郎且龍妻未嫁死」と記されている。嶋重昌と嶋重賢は、続柄と通称が共通している。
  3. ↑ 「川田邦之丞」系図によれば川田殷信。川田澁信と川田殷信は、続柄と通称が共通している。
  4. 1 2 『尾張国丹羽郡稲木庄前野村前野氏系図』
先代
前野且朝
阿波前野氏辰定系
五代目当主
次代
前野且清
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