| 劉源 | |
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| プロフィール | |
| 出生: | 1951年4月 |
| 出身地: |
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| 職業: | 軍人 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 劉源 |
| 簡体字: | 刘源 |
| 拼音: | Líu Yuán |
| 和名表記: | りゅう げん |
| 発音転記: | リュウ ユェン |
1951年北京市生まれ。原籍は湖南省。父は元中国第2代国家主席である劉少奇。母は六番目の妻にあたる王光美。
文化大革命勃発当時は中学(日本での高等学校)在学中だったが、父が打倒の対象とされたことで、劉源も校内でつるし上げにあう[1]。過酷な日常から逃れようと、上山下郷運動(下放)が始まるとすぐに応募したが、山西省の下放先でも批判大会の対象とされ、ある日「そんなに俺が憎いなら、今この場で殺せ!だがその前に俺は死に物狂いで戦ってやる。俺を殺したい奴は、ひとりずつ前へ出ろ!」と絶叫してようやく攻撃が止まった[1]。農村の窮状に衝撃を受け、自らの境遇よりも深刻な祖国のために働く気持ちになり、やがて地元からの信頼を得て県長となった[1]。下放終了後に、北京師範学院(現・首都師範大学)歴史学部に入学した。3年生だった1980年、北京市海淀区人民代表大会に立候補したが、落選した[2]。卒業後は地方官を歴任したのちに武装警察・軍に転じる異色の経歴をたどった。軍事科学院政治委員などを経て2015年時点では総後勤部政治委員、解放軍上将であった。太子党と呼ばれる「二世政治家」の有力者としても名前を挙げられる存在である。習近平総書記と親しく、反米強硬派として知られる[3]。軍内の反腐敗闘争の火付け役も務め、徐才厚、郭伯雄を批判して失脚への導火線となった[2]。
中国共産党第17期(2007~2012年)および18期中央委員(2012年~)。2015年、満期定年による退役が発表された[4]。
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