勧修寺尚顕

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
勧修寺尚顕
時代 戦国時代
生誕 文明10年(1478年)
死没 永禄2年8月28日(1559年9月29日)
改名 尚顕→泰龍→栄空
官位 正二位、権大納言
主君 後土御門天皇→後柏原天皇→後奈良天皇
氏族 勧修寺家
父母 父:勧修寺政顕、養父:勧修寺経熈
兄弟 尚顕、顕量、畠山家俊室、澄祝室、広橋兼秀室、畠山義総室、国子、経熈
妻 澄清の娘
子 尹豊、三条公頼室、粟屋元隆室、尚子
テンプレートを表示

勧修寺 尚顕(かじゅうじ ひさあき)は、戦国時代の公家(公卿)。

本姓は藤原氏。家系は藤原北家高藤流甘露寺支流である勧修寺家の11代当主。堂上家のひとつで家格は名家。官位は、正二位権大納言。

経歴

権中納言であった第9代当主・勧修寺政顕の実子。室町幕府第9代将軍・足利義尚の偏諱を受け、尚顕と名乗る。 室は石清水八幡宮検校・澄清の娘。実子に内大臣・勧修寺尹豊、左大臣・三条公頼の室、左京亮・粟屋元隆(はじめ住吉大社宮司・国賢)の室、典侍・勧修寺尚子などがいる。

永正5年(1508年)1月5日、任参議。

天文元年(1532年)、義弟で能登守護 畠山氏の当主 修理大夫・畠山義総を頼りに動乱の京を離れ、能登国(もしくは加賀国)にて出家した。 法名は、泰龍、のち改め、栄空。

系譜

関連項目