勧修寺経熈

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勧修寺経熈
時代 室町時代
生誕 永享4年(1432年)
死没 文亀4年2月17日(1504年3月3日)
官位 従二位、権中納言、太宰大弐
主君 後花園天皇→後土御門天皇→後柏原天皇
氏族 勧修寺家
父母 父:勧修寺経興、養父:勧修寺政顕
兄弟 教秀、経熈、阿野公煕室
子 養子:尚顕
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勧修寺 経熈(かじゅうじ つねひろ)は、室町時代の公家(公卿)。別名は経郷

堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流甘露寺支流)である勧修寺家の10代当主。

経歴

権中納言・勧修寺経興の子。権中納言・勧修寺政顕の養子。養子に、権大納言・勧修寺尚顕(実は、勧修寺政顕の子)。

文明17年(1485年)2月24日、従三位に叙される。

太宰大弐には1485年には既に就任していることが確認され[1]、1492年時点でもその地位にあることが確認される[2]。

極位極官は、従二位・権中納言。

系譜

脚注

  1. ↑ 公卿補任、国史大系10巻447頁、経済雑誌社
  2. ↑ 公卿補任、国史大系10巻462頁、経済雑誌社

関連項目