北川千代吉
北川 千代吉(きたがわ ちよきち、1865年4月7日〈慶応元年3月12日〉 - 1939年〈昭和14年〉11月23日)は、明治から昭和初期にかけて活動したキリスト教の聖職者、牧師。日本聖公会の司祭[1]。長男の北川大輔、次男のジョセフ・北川(北川三夫)も共に聖公会司祭となった。
生涯
赤穂の農家に生まれる。地元の小学校を卒業後、母校で6年間教員を務めた。前田英哲や矢野静廬に学んだ後、1889年(明治22年)に徒歩で上京。その後5年間、新聞記者として活動した[1]。
その間、1888年(明治21年)、神田基督教会で受洗。その後、東京三一神学校(現・聖公会神学院)に入学した[1]。
1892年(明治25年)2月より聖公会によって群馬・高崎での伝道活動が開始されていたが、1895年(明治28年)3月に、高崎へ赴任し伝道に従事した。高崎の講義所は市の中央に位置し、訪問伝道を中心に活動を行った[1]。
1905年(明治38年)に執事按手[1]。
その後、日本統治下の台北市で1897年(明治30年)より伝道を行っていた寺田藤太郎司祭を引き継ぎ、1906年(明治39年)から台北を中心に伝道活動を展開した[1]。翌1907年(明治40年)夫人がペストで亡くなる[2]。夫人は、1898年(明治31年)に築地三一教会内に設立された女子神学校で学んだ人物であった[3]。
1909年(明治42年)に司祭按手を受ける。1910年(明治43年)には台北で長男の大輔が誕生している[1]。
1912年(明治45年)から1915年(大正4年)にかけては、大阪聖保羅教会の第5代牧師を務めた。その後、奈良八木キリスト教会に勤務した[1]。
1939年(昭和14年)11月23日、逝去。享年74[1]。