十二所神社 (鎌倉市)
| 十二所神社 | |
|---|---|
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| 所在地 | 神奈川県鎌倉市十二所285 |
| 位置 | 北緯35度19分24.89秒 東経139度34分51.77秒 / 北緯35.3235806度 東経139.5810472度座標: 北緯35度19分24.89秒 東経139度34分51.77秒 / 北緯35.3235806度 東経139.5810472度 |
| 主祭神 | 天神七柱、地神五柱 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 不詳 |
| 例祭 | 9月第1土・日曜日 |
十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市十二所にある神社。十二所地区の鎮守で、旧社格は村社。祭神は天神七柱・地神五柱の十二柱である[1][2]。近世以前には熊野十二所権現社などと称され、光触寺との関係が深かった[3][4]。一説に十二所地域名の由来となったといわれる[3][5][6]。
沿革
勧請年月は明らかではない[1][7]一方、後世の案内書には弘安元年(1278年)創建と伝承する例もみられる[8][4]。
前身は光触寺境内にあった熊野社であるとされ、社蔵の『十二所神社再建記』には享保十四年己酉年[注 1]最初小祠営於光触寺之傍
とある[3]が、『鎌倉市史 社寺編』は再建記より前の刊行である『新編鎌倉志』に光触寺の鎮守として熊野権現の小祠が記されること、『鎌倉大草紙』に応永23年(1416年)の記事として「十二所」の地名が現れること、江戸時代初期と考えられる「光触寺古図」に寺の左方へ「熊野」と記された小堂が描かれていることなどから、熊野社の成立は少なくとも近世初頭以前に遡り、光触寺創建の頃まで遡る可能性があると考察している[3]。
天保9年(1838年)には旧地より現在地へ遷座した。村世話人の大木市左衛門が土地を寄進し、氏子が用材・土木開墾の奉仕を行って現在地へ移した。上棟は同年11月15日で、当時の別当は明王院の明本恵法、生土子は三十余軒であった[1]。明王院所蔵の棟札にも「熊野十二所権現社」と記される[1][9]。
明治初年の神仏分離を機に、熊野十二所権現を祀る形態から天神七柱・地神五柱を祭神とする神社へ改められたと考えられている[1][2]。明治6年(1873年)には「十二所神社」として十二所の鎮守・村社に列せられた[9][10]。
「十二所」の地名
「十二所」の地名由来には複数の説があるが、本社が由来であるとする説がある[3][5][6]。
『新編鎌倉志』は、かつて民家が十二か所あったためとする説を記す一方、『新編相模国風土記稿』は、光触寺境内に熊野十二所の社があり、これが村鎮守であったことから地名が生じたとする[3]。『鎌倉史跡事典』も、民戸十二所説と熊野社由来説を併記している[5]。
『十二所地誌新稿』では、熊野十二所権現の「十二所」を地名の起源とする説を中心に据える一方、十二戸の集落に由来する説や、小字を十二か所数えたことによる説なども紹介している[6]。
境内
境内には社殿・神楽殿がある[1][11]。鳥居脇には「百貫石」と呼ばれる石があり、重さは約112キログラムとされ、祭礼の際に若者が持ち上げて力比べをしたという[8][12]。
境内社として、山の神、疱瘡神、宇佐八幡、地主神などがある[8][12]。
- 社殿
- 境内外観
- 扁額
祭礼
旧来の例祭は9月8日から10日にかけて行われた[13][14]。戦後は9月第1土・日曜日に行われるようになったとされる[14][12]。一方、『鎌倉市史 社寺編』は例祭日を9月9日とし[1]、『鎌倉古社寺辞典』は9月9日に近い日曜日としている[11]。
大藤ゆきによれば、かつて祭礼は村の年中行事のうち最も大きな行事で、8日に村人総出で境内の草刈り・掃除を行い、「熊野神社」と記した大幟を立てた。9日には大町の八雲神社から神主を迎え、宵宮では神楽堂で神楽や芝居・踊りが行われたという[15]。
旧来の神輿は失われ、川へ流されて大町の八雲神社に拾われたという伝承が残る[16][17]。その後、1983年(昭和58年)に氏子によって万灯神輿が新調された[8]。
交通
- 京浜急行バス「十二所神社」下車、徒歩約1分。
脚注
注釈
- ↑ 享保14年は西暦1729年。
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 鎌倉市史編纂委員会 1967, p. 143.
- 1 2 吉川弘文館編集部 2011, pp. 25–26.
- 1 2 3 4 5 6 鎌倉市史編纂委員会 1967, pp. 143–144.
- 1 2 吉田 2002, pp. 56–57.
- 1 2 3 奥富 1997, p. 155.
- 1 2 3 十二所文化同人 1980, pp. 22–23.
- ↑ 吉川弘文館編集部 2011, p. 25.
- 1 2 3 4 鎌倉市教育センター 2009, pp. 66–67.
- 1 2 吉田 2002, p. 56.
- ↑ 鎌倉商工会議所 2011, pp. 127–128.
- 1 2 吉川弘文館編集部 2011, p. 26.
- 1 2 3 吉田 2002, p. 57.
- ↑ 十二所文化同人 1980, p. 23.
- 1 2 鎌倉市教育センター 2009, p. 323.
- ↑ 大藤 1977, pp. 349–350.
- ↑ 十二所文化同人 1980, p. 25.
- ↑ 大藤 1977, p. 350.
参考文献
- 鎌倉市史編纂委員会『鎌倉市史 社寺編』吉川弘文館、1967年。
- 十二所文化同人『十二所地誌新稿』1980年5月1日。
- 大藤, ゆき『鎌倉の民俗』かまくら春秋社、1977年11月18日。
- 奥富, 敬之『鎌倉史跡事典』新人物往来社、1997年。ISBN 4-404-02452-5。
- 吉田, 茂穂『鎌倉の神社 小事典』かまくら春秋社、2002年。ISBN 978-4-7740-0205-7。
- 鎌倉市教育センター『かまくら子ども風土記』(第13版)鎌倉市教育委員会、2009年3月31日。
- 鎌倉商工会議所『新版 鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』かまくら春秋社、2011年。
- 吉川弘文館編集部『鎌倉古社寺辞典』吉川弘文館、2011年。ISBN 978-4-642-08060-6。