南雲道夫

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南雲 道夫(なぐも みちお、1905年5月7日[1] - 1995年2月6日[2])は、日本の数学者[3]。理学博士(論文博士・1937年)。大阪大学名誉教授[2]。解析学の分野で多くの独創的な業績がある。

経歴

山形県 旧米沢藩士族、弁護士 南雲庄之助[4]の長男として1905年5月に東京市で生まれる[5]。1928年、東京帝国大学理学部数学科卒業。その後、2年間大学院で偏微分方程式論の研究を続け、優れた論文を書いた。九州帝国大学、広島文理科大学の講師を経て、1932年にドイツのゲッティンゲン大学に2年間留学。1934年3月に帰国し、大阪帝国大学講師。1934年9月、同助教授。1936年、同教授。1937年、理学博士。

1966年定年退官と同時に上智大学数学科教授。教え子に秋山仁がいる[6][2]。1976年3月、上智大学定年退職。

1995年2月6日、急性肺炎のため東京都小金井市の病院で逝去、89歳[2]。葬儀と告別式は同月9日午後1時から同市内の教会で行われ喪主は長男が務めた[2]。

妻は、南雲の指導教員であった吉江琢児の次女まき[5]。

論文

脚注

  1. ↑ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.419
  2. 1 2 3 4 5 朝日新聞大阪版 1995年2月8日 27面
  3. ↑ “月沈原ダヨリ(南雲道夫)”. iss.ndl.go.jp. iss.ndl.go.jp. 2020年11月25日閲覧。
  4. ↑ “『京浜山形県出身者要覧』, p.589, 山形県人協会”. 2024年8月31日閲覧。
  5. 1 2 “『大衆人事録 近畿篇』, p.201, 帝国秘密探偵社”. 2024年8月31日閲覧。
  6. ↑ “秋山 仁”. matsuda.c.u-tokyo.ac.jp. 2019年2月26日閲覧。

外部リンク