古仁屋 | |
|---|---|
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高知山展望台から見た古仁屋の中心部 | |
| 北緯28度8分50.18秒 東経129度18分39.26秒 / 北緯28.1472722度 東経129.3109056度 | |
| 国 |
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| 都道府県 | 鹿児島県 |
| 郡 | 大島郡 |
| 市町村 | 瀬戸内町 |
| 人口 (2016年5月31日現在)瀬戸内町人口世帯集計表(市街地)[1] | |
| • 合計 | 5,296人 |
| 等時帯 | UTC+9 (JST) |
| 郵便番号 |
#郵便番号を参照 |
| 市外局番 | 0997 |
| ナンバープレート | 奄美 |
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古仁屋(こにや)は、鹿児島県大島郡瀬戸内町の大字。旧大島郡東方村大字古仁屋、大島郡古仁屋町大字古仁屋。2016年5月31日現在の人口は5,296人、世帯数は2,868世帯[2]。郵便番号については#郵便番号節を参照。奄美大島の最南端域に位置している。
奄美大島の南端域に所在している。字域の北方には阿木名、西方には久根津、手安(てあん)、東方には清水(せいすい)がそれぞれあり、南方は大島海峡に接し、対岸に加計呂麻島がある。
小字は、大湊、春日、松江、船津、高丘、宮前[3]、瀬久井東、瀬久井西がある。
古仁屋という地名は江戸時代より見え、奄美大島東(ヒギャ)間切のうちであった。当初は渡連方、明治初期は東方に属していた[5]。
1908年(明治41年)に島嶼町村制が施行されたのに伴い、施行以前の古仁屋村は東方村の大字「古仁屋」となった。1936年(昭和11年)には東方村が町制施行及び改称し古仁屋町となり、古仁屋町の大字となった。1956年(昭和31年)には古仁屋町と西方村・実久村・鎮西村が対等合併し、瀬戸内町が成立し、古仁屋町大字古仁屋は瀬戸内町の大字となった[5]。
2000年(平成12年)に古仁屋の一部が分割され、古仁屋瀬久井東及び古仁屋瀬久井西が設置された[6]。翌年の2001年(平成13年)に公有水面埋立地の区域を大字古仁屋字松江に編入した[7]。
| 実施後 | 実施年 | 実施前 |
|---|---|---|
| 大字古仁屋瀬久井東 | 2000年(平成12年) | 古仁屋字大田原、沢津又原、古見田原、本川原の一部 |
| 大字古仁屋瀬久井西 | 古仁屋字瀬久井原、アヤダキ原、大田原、沢津又原、古見田原の一部 | |
| 古仁屋字松江の一部 | 2001年(平成13年) | 公有水面埋立地 |
| 古仁屋字大湊の一部 | 2007年(平成19年) | 公有水面埋立地 |
瀬戸内町の中で最も人口が密集し、町の中心となっている[9]。2016年5月時点で町内人口の約58%が古仁屋に集中している[2]。瀬戸内町全体では奄美群島外への流出等で人口が減少傾向にあるが、古仁屋は加計呂麻島、請島などの離島や周辺集落からの移住による人口集中で増加傾向にある。2010年10月1日の人口は4,381人、世帯数は1,922世帯であった[10]。以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
| 統計年 | 人口 | ||
|---|---|---|---|
| 1995年(平成7年) | [11] | 4,824 | |
| 2000年(平成12年) | [12] | 4,895 | |
| 2005年(平成17年) | [13] | 4,588 | |
| 2010年(平成22年) | [14] | 4,381 | |
| 2015年(平成27年) | [15] | 4,136 | |

近隣の離島や奄美群島の他の島への航路があるほか、海上タクシーもよく利用されている。陸路では奄美市名瀬から直通のしまバスや町内を走る南部交通が発着し、奄美大島南部の交通の拠点となっている。
2007年に、1991年から始まった古仁屋漁港活性化計画「コニヤ21プラン」の一環として「せとうち海の駅」(総工費約5億円)が完成した。
古仁屋の郵便番号は小字または大字ごとに分類されている。以下に一覧を示す。
座標: 北緯28度8分50.18秒 東経129度18分39.26秒 / 北緯28.1472722度 東経129.3109056度
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IPFS未登録
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