吉田俊顕

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吉田 俊顕
時代 鎌倉時代・南北朝時代
生誕 不詳
死没 明徳2年/元中8年6月21日(1391年7月23日)
官位 従四位上・春宮亮
主君 邦良親王
父母 父:吉田経世
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吉田 俊顕(よしだ としあき、生年不詳 - 明徳2年/元中8年6月21日(1391年7月23日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公家。中納言・吉田経俊の孫で、刑部卿・吉田経世の子。官位は従四位上・春宮亮。

経歴

後醍醐朝にて、勘解由次官・左衛門権佐を歴任したのち、春宮亮として春宮・邦良親王に仕える。正中3年(1326年)3月に邦良親王が没すると、俊顕も後を追って出家した。法名は頓乗。

出家後も長命を保ち、南北朝合一直前の明徳2年(1391年)6月21日に卒去。

官歴

系譜

『尊卑分脈』による。

脚注

  1. 1 2 『経塵記』
  2. ↑ 『鎌倉遺文』28486
  3. 1 2 『尊卑分脈』

参考文献