立教池袋中学校・高等学校

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立教池袋中学校・高等学校
北緯35度43分51.9秒 東経139度42分7.8秒 / 北緯35.731083度 東経139.702167度 / 35.731083; 139.702167座標: 北緯35度43分51.9秒 東経139度42分7.8秒 / 北緯35.731083度 東経139.702167度 / 35.731083; 139.702167
過去の名称 立教尋常中学校
立教中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人立教学院
理念 神と国とのために PRO DEO ET PATRIA
設立年月日 1896年
創立者 チャニング・ウィリアムズ
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C113311600085 ウィキデータを編集(中学校)
D113311600145 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 13750C
所在地 〒171-0021
東京都豊島区西池袋五丁目16番5号
外部リンク 立教池袋中学校・高等学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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立教池袋中学校・高等学校(りっきょういけぶくろちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区西池袋に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。

日本の中等教育を提供する男子ミッション・スクールとしては最も古く、明治期には全国トップの学校として名を馳せ、日本最大の名門ミッションスクールとなった[1]。

聖公会の流れを汲み[2]、聖書からの[3]言葉:羅: PRO DEO ET PATRIA「神と国のために」を信条としている。立教学院ではこれを「普遍的なる真理を探究し、私たちの世界、社会、隣人のために」ととらえている[4]。

高等学校において、中学校または小学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[5]。

概要

米国聖公会の宣教師チャニング・ウィリアムズにより、1874年、築地居留地に「立教学校」が設立される。1888年(明治21年)には、校友の大隈重信が築地キャンパスの形成に尽力し用地の取得に伴いキャンパス規模が拡大する。

1896年(明治29年)には、立教学校(第2次)を廃し、立教専修学校(3年制)、立教尋常中学校(5年制)、英語部(後の東京英語専修学校、立教大学文学部英米文学科の前身)を設置する。この時、廃止された立教学校(立教大学の前身の一つ)の普通科の4年以下を立教尋常中学校に編入した。その後、1899年(明治32年)7月の改正条約の発効を見据えて立教尋常中学校の認可申請を行うが、許可が容易に得られず、島田三郎(早稲田大学創設メンバー、のち第19代衆議院議長)らの尽力でようやく同年1月に認可を得られ、同年2月に旧制立教中学校が発足[6]。同1899年(明治32年)9月に経営母体となる立教学院が成立する中、ジョン・マキム、アーサー・ロイド、元田作之進のもとミッションスクールでの宗教教育を禁じる文部省訓令第12号に対処し、学校を存続させる[7]。ロイドは教育にも力を注ぎ、旧制立教中学校を、旧制高等学校の入学試験において受験者全員の合格を果たした唯一の学校へと成長させたが、他校で半数以上の合格者を出したところは皆無であり、これは全国トップの成績だった[1]。こうしてロイドの尽力により旧制立教中学校は、日本における最大のミッション・スクールとなった[1]。

浅沼誉夫(後の早稲田大学野球部第9代主将、東京六大学野球初代首位打者)が旧制立教中学校に入学すると野球部を創設し、日本野球の先駆けであった立教の野球を復活させ、立教大学野球部の再興に繋げる[8]。

1901年(明治34年)3月には立教専修学校が閉校し、1903年(明治36年)に東京英語専修学校も閉校すると、立教学院は旧制立教中学校だけの体制となる。この旧制立教中学校の運営の継続は、後の専門学校令による立教大学設立(1907年)への道を切り開き、現代に立教大学が続く大きな要因ともなった[1]。

1923年(大正12年)、旧制立教中学校が関東大震災で校舎焼失のため池袋へ移転。1948年(昭和23年)、新制の小・中・高が池袋に設置される。1960年に高等学校が新座市へ移転する。

所定の推薦要件を満たせば内部推薦により立教大学へ進学することが可能である。

2000年(平成12年)、池袋キャンパスと新座キャンパスのそれぞれで中高一貫教育を開始し、立教中学校は「立教池袋中学校・高等学校」、立教高校は「立教新座中学校・高等学校」となる。

沿革

旧制立教中学校築地校舎(右:六角塔校舎、左:西寮)
校庭側から見た築地・六角塔校舎
築地の大学・中学講堂前での卒業写真(1909年)

クラブ活動

学芸部
  • 英語部
  • 演劇部
  • 科学部
  • 写真部
  • 吹奏楽部
  • 生物部
  • 聖ポーロ会
  • 地歴研究部
  • 鉄道研究部
  • 天文部
  • 美術部
  • 文芸部
  • 放送研究部
  • クワイアー
  • 数理研究部
  • 新聞部(休部中)
運動部
  • 剣道部
  • ゴルフ部(休部中)
  • サッカー部
  • 山岳スキー部
  • 水泳部
  • 卓球部
  • 庭球部
  • バスケットボール部
  • 野球部
  • 陸上競技部
  • バレーボール部(休部中)
  • 釣同好会
その他
  • アコライト・ギルド

交通

立教池袋中学校・高等学校の位置(東京都内)
立教池袋中学校・高等学校

主な教員

著名な出身者

政治・行政

司法

実業家

研究・教育

文学・文芸

芸術・建築

音楽

芸能

メディア

スポーツ

その他

系列校

脚注および参照

  1. 1 2 3 4 アーサー・ロイドについて 立教大学
  2. ↑ “チャペルと礼拝”. 立教大学. 2025年7月26日閲覧。
  3. ↑ 会報・メルマガ. “立教うんちく話”. 立教大学校友会. 2024年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月26日閲覧。
  4. ↑ “シンボルマーク”. 学校法人 立教学院. 2023年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月26日閲覧。
  5. ↑ “立教池袋中学校”. 中学受験の情報サイト「スタディ」. 2025年7月26日閲覧。
  6. ↑ 鈴木 勇一郎「元田作之進と立教学院 : 立教中学校との関わりを中心に」『立教学院史研究』第13巻、立教学院史資料センター、2016年、2-25頁。
  7. ↑ 海老澤 有道「ウィリアムズ伝雑記」『史苑』第50巻第2号、立教大学文学部、1990年5月、1-7頁。
  8. ↑ 野球回廊 『浅沼 誉夫(あさぬま よしお)』
  9. ↑ 立教学院百五十年史編纂委員会『立教学院百五十年史』 1巻、立教大学立教学院史資料センター、2023年、417-419頁。
  10. ↑ 『写真で見る立教学院の歴史』立教大学。「第7章」
  11. ↑ 落合正勝『男の服装 お洒落の定番』世界文化社、2002年、12-13頁。

関連項目

外部リンク