女工哀史
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細井和喜蔵の『女工哀史』は、近代化が進む日本の紡績・織布工場で働いた女性たちの生活を、紡織工場で働いた著者が、同じ工場労働の世界に身を置いた経験を基に記録した作品である。1925(大正14)年7月、改造社から刊行されたあと、百年を超えて版を重ね続け、今日でも岩波文庫の一冊として読み続けられている。
工場労働者が書いた記録
細井和喜蔵は1897(明治30)年、京都府与謝郡加悦町(現在の与謝野町)で生まれた。丹後ちりめんの産地で育ち、1909(明治42)年3月、貧困に苦しむ祖母の求めにより、尋常小学校五年生を終えて中退し、わずか十歳のときから機屋へ奉公に出た。
1911(明治44)年、十三歳で大阪へ出た和喜蔵は、内外綿会社第一紡織工場をはじめ、複数の紡織工場で機械職工見習いとして働いた。入社3日目の機械事故で左手小指を負傷している。のちに大阪府立西野田職工学校(現在の大阪府立西野田工科高等学校)の夜間部に学び、東洋紡績四貫島工場では、織機・織布関係機械の整備・保守を担当する機械職工として働いた。
和喜蔵が働いたのは織布工場で、多くの女工たちと同じ職場で働いた。そんな中で、大規模工場の機械設備、作業規律、監督制度、賃金体系、事故の現場を見聞きし、女工たちの談話、小唄に耳を傾け、生活の実情を観察した。和喜蔵にとって工場の最新の機械設備は日本の近代化の象徴ではなく、働く人々の身体を傷つけ、速やかな作業を強い、生活を束縛する存在であった。
1920(大正9)年、和喜蔵は大阪から東京へ引っ越し、東京モスリン紡織亀戸工場(現在の江東区亀戸にあった)へ移った。工場では待遇改善を求めるストライキが起こり、翌年には「労正会」という組合の結成に加わった。1921(大正10)年には日本労働学校にも入り、第一回卒業生となった。工場の仕事、夜学と労働学校での学び、組合活動への参加が、後に『女工哀史』となる著作を準備する重要なきっかけとなり、そのアイデアについて、このころ作家、劇作家であった藤森成吉に相談している。
堀としをとの協働
『女工哀史』を考える上で、堀としを、後の高井としをの存在は非常に重要であった。としをは岐阜県出身の女工で、1920(大正9)年4月、東京へ出て東京モスリン紡織亀戸工場で働き、組合活動にも熱心であった。和喜蔵と同じ工場で働いたとしをは、やがて和喜蔵と結婚生活に入った。ただ父親の反対があり、二人の関係は正式な届出を伴わない事実婚のまま続いた。
1922(大正11)年3月になり、細井和喜蔵は東京モスリンを辞め、執筆業に専念するようになった。組合活動において仲間から排斥され、また長年の工場労働により身体を痛めていたことがきっかけとなった。
和喜蔵ととしをの関係は、単なる作家と彼を支える配偶者の関係ではなかった。ともに工場で働き、ともに労働争議にかかわり、ともに失業と貧困を経験した関係であった。和喜蔵が女工と紡織工場について書いた際、としをは女工としての経験を共有し、和喜蔵の原稿を評価する、最も身近な理解者であった。
1923(大正12)年9月1日、関東大震災が東京を襲った。和喜蔵ととしをは被災後、そろって兵庫県川辺郡多田村へ避難し、ともに猪名川染織所に就職した。二人は多田神社近くに下宿して働いた。
この多田村での避難生活の時期にも、和喜蔵は『女工哀史』の原稿を書き続けていた。1924(大正13)年1月下旬、二人は東京へ戻った。和喜蔵の原稿が完成に近づき執筆に専念していた時期、としをは二人の生活を支え続けた。
和喜蔵は『女工哀史』刊行の約1か月後、1925(大正14)年8月18日に死去した。としをは同年9月、長男暁を出産したが、子は1週間後に亡くなった。後年、としをは『わたしの「女工哀史」』を著し、女工としての体験、和喜蔵との協働生活、作品成立前後の周辺状況を伝えた。『女工哀史』を読むとき、としをの著作は、作品の背後にあった二人の協働生活をたどるための重要な証言となる。
「哀史」という題名[1]
『女工哀史』という題は、今日の読者にも強い印象を残すであろう。「哀史」は、単に「悲しい歴史」という意味にとどまらない。個々の女工の苦痛を描きながら、それを偶然の不幸ではなく、社会の仕組みが生み出した歴史として捉える視点を含んでいる。
和喜蔵がこの題をどのような経緯で最終的に選んだかを、現存資料から断定することはできない。ただ、当時「哀史」という語は、フランスの作家ヴィクトル・ユーゴー作『レ・ミゼラブル』の日本語訳(抄訳)である戸川秋骨の『哀史』や徳田秋声の『哀史(レミゼラブル)』を通じて読者に知られるようになっていた。戸川訳『哀史』も徳田訳『哀史(レミゼラブル)』も1914(大正3)年に刊行されており、和喜蔵が大阪で工場勤めと夜学を続けていた時期と重なる。
戸川秋骨訳『哀史』が知らしめた『レ・ミゼラブル』の世界は、困窮する人々の苦難を描くだけでなく、社会の不正義、刑罰、貧困、救済を問うものであった。『女工哀史』もまた、単に女工を哀れな存在として感傷的に眺めるための題ではなかった。近代産業の成長の下で、募集、寄宿、労働、教育、恋愛、病気、移動を管理束縛された数多くの女性たちの体験を、日本社会の歴史として書き留める視野を示す題と読むことができよう。
「女工」は、当時の工場労働を担った女性たちを指している。「哀史」は、彼女らの生活を、個人の悲劇の寄せ集めではなく、近代日本の繊維産業が作り出した歴史的な問題の一つとして位置付け、作品の視野の広さを表している。
成立までの道筋
『女工哀史』は一気に書かれた本ではない。東京へ出て間もない和喜蔵は1921(大正10)年ごろ、作家・劇作家の藤森成吉を訪ね、後に『女工哀史』となる執筆計画の目録とわずかな原稿を見せた。この時点で、女工たちの工場生活について体系的な記録を作る構想を持っていたことが分かる。
1922(大正11)年から1923(大正12)年にかけて、和喜蔵は女工に関する記録を雑誌に発表した。『婦人公論』の「紡績女工の歌ふ小唄 = 社会問題としての女工唄の考察 =」[2]では、女工が歌う小唄を採集し、そこに表れた感情と生活を読み取った。「工場に動く三つの愛」[3]は、女工の恋愛観、近親愛、友愛を扱い、後の『女工哀史』中の「女工の心理」につながった。
女工募集を扱う章も、雑誌発表を基礎にしている。『婦人公論』の「工場悲劇 誘拐されて死の魔窟へ」[4]、『解放』の「紡績女工募集の裏表」は、女工募集人による勧誘、地方の家庭と工場の関係、募集の表と裏を描く。『解放』の「小唄と女工心理」も、後の単行本の内容に連なる。
和喜蔵は1923(大正12)年7月ごろに『女工哀史』を起稿したとしている。すでに書いていた記録や評論、聞き取った女工の談話、小唄の採集、工場での経験を組み直し、一冊の本として構成し始めたのである。関東大震災による一時的な中断があったものの、兵庫県に避難中も原稿を書き、1924(大正13)年1月下旬にとしをと東京へ戻った後も執筆を続け、4月には原稿全体をまとめあげている。
2月13日付の東京朝日新聞「学芸だより」は、「細井和喜蔵氏、六百枚の研究『女工哀史』を携え神戸から帰郷」と報じた。記事中の「神戸」は実際の滞在地であった多田村とは異なるが兵庫県内で比較的近い。600枚に及ぶ原稿が完成に近かったことを示している。
完成原稿は1924(大正13)年4月、まず藤森成吉に示された。藤森の斡旋によって、和喜蔵は改造社の社長山本実彦に紹介された。改造社は原稿買い切りの条件で刊行を決め、和喜蔵は夏に原稿全体を推敲し、雑誌『改造』への部分掲載を待った。
雑誌『改造』と単行本[5]
『女工哀史』はまず雑誌『改造』の1924(大正13)年9月号、10月号、11月号に一部が掲載された。掲載量は順に58頁分、24頁分、20頁分である。工場労働者出身の若い作家による女工世界の記録が、思想、文学、社会問題を広く扱う総合雑誌に載ったことは大きい。作品は労働運動や無産文学の仲間うちだけではなく、広く日本中の一般読者にも届けられた。
1925(大正14)年5月12日、和喜蔵は『女工哀史』の自序を書き終え、完成した全446ページの単行本は7月10日に刊行された。初版第一刷は3000部。7月23日には、本郷三丁目の燕楽軒で出版祝賀会が開かれた。
本の中身――女工の生活世界
『女工哀史』は、小説のように一人の主人公を追う物語ではない。女工の採用から工場生活、寄宿、教育、心理、小唄、労働運動までを、主題ごとに記録している。『女工哀史』の内容を具体的に示すため、以下に目次の全項目を掲げる。
- 梗概
- 工場組織と従業員の階級
- 女工募集の裏表
- 雇傭契約制度
- 労働条件
- 工場に於ける女工の虐使
- 彼女を縛る二重の桎梏
- 労働者の住居及び食物
- 工場設備及び作業状態
- 所謂福利増進施設
- 病人、死者の惨虐
- 通勤工
- 工場管理、監督、風儀
- 紡織工の教育問題
- 娯楽の問題
- 女工の心理
- 生理並に病理的諸現象
- 紡織工の思想
- 結び
- 附録――女工小唄、音譜入り
この本の価値の一つは、女工を一つの固定した像に閉じ込めていないところにある。女工は故郷から送り出される娘であり、故郷の家族の家計を支える働き手であり、寄宿舎で友人関係を築く若者であり、恋愛や苦悩を経験する若き人間であり、組合や争議に関わる自我をもった主体でもある。
和喜蔵は、女工として生きることの悲惨さを描いている。しかし、単に悲惨さの描写にはとどまっていない。誰が女性を集めるのか。寄宿制度は女工たちをどう管理しているのか。工場教育は誰のためにあるのか。小唄は何を語ろうとしているのか。工場の利益は誰の労働に支えられているのか。こうした問いを積み重ね、解明していくことで、当時の日本の繊維産業の大工場制度の全体像を描いた。
小唄への注目は重要である。和喜蔵は、小唄を単なる民俗資料として扱っていない。文章によって自らの思いを公に表す機会の少なかった女工たちが、歌に託して望郷、恋愛、諦め、不満、反発を語ったものとして記録した。『女工哀史』が現在も資料として価値を持つのは、制度の説明だけでなく、こうした声の断片を残しているからである。
反響と小説化
『女工哀史』は刊行後すぐに大きな反響を呼んだ。女性労働者を扱う作品はそれ以前にもあったが、工場労働者の経験に根差し、女工の生活を制度と感情の両面から記録した点に強い新しさがあった。和喜蔵は男工であったが同じ工場内で女工たちとともに働きながら、彼女らと話し、小唄を採集し、さらに妻としをの女工としての実体験から、外部からの一時的な観察者には書くことができない現実の繊維工場の世界を記録した。
『女工哀史』は刊行後すぐにベストセラーとなり、翌1926(大正15)年夏には第26刷に達したことが雑誌『改造』9月号の広告に示されている。和喜蔵は刊行直後に亡くなったが、『女工哀史』は生前に最大の成功を収めた作品となった。
1925(大正14)年5月12日付の『女工哀史』自序で、和喜蔵は、この本を「余りに圧縮して書いた」と振り返り、工場を小説の形式によって芸術的に表現する作品を世に送り出す意図を記した。そこで念頭に置かれていたのが、長編小説『奴隷』と『工場』であった。
これらが単行本として刊行されるのを、和喜蔵は見ることができなかった。『奴隷』には著者自身による推敲が重ねられ、比較的完成度の高い形で原稿が残されていた。一方、『工場』は初稿を完成させたものの、十分な推敲を経ないまま残されていた。改造社は『女工哀史』の成功を受け、まず1925年11月に『工場』を刊行し、翌1926年3月に『奴隷』を刊行した。『工場』は作者の推敲不足に加え、編集・校閲にも不備を数多く残したまま出版されてしまった。
再刊行、顕彰と現在
『女工哀史』は、和喜蔵の死後も読み継がれてきた。1929(昭和4)年には改造社文庫に入り、1948(昭和23)年には改造選書として復刻された。1954(昭和29)年には岩波文庫版が刊行され、1980(昭和55)年に新版、1982(昭和57)年に岩波クラシックス版が出た。1955年から1956年には『細井和喜蔵全集』全4巻が刊行され、代表作以外を含めた仕事に触れる基盤が整った。
2007(平成19)年には、没後80年と『女工哀史』刊行80年を記念して『「女工哀史」から80年――いま、和喜蔵の声が聞こえる――』が刊行され和喜蔵のルーツを探った。2025(令和7)年には、刊行・没後100年を記念して『「女工哀史」から百年 今も、和喜蔵の声が聞こえる』が刊行された。作品の再録に加え、和喜蔵の生涯、故郷、作品群、書誌、年譜を扱う最新の論考が収録されている。

与謝野町加悦奥では1958(昭和33)年、鬼子母神堂境内に「細井和喜蔵 女工哀史の碑」が建てられた。毎年11月末には碑前祭が行われ、2025(令和7)年11月には文学碑も建立された。『女工哀史』は日本の労働文学史に残る本であると同時に、作者が出生後幼少期を過ごし、わずか10歳で最初の労働に就いた土地として、その記憶が今も受け継がれている。
今、この本を読む意味は明確である。雇用条件と現実に差はないか。仕事は労働者の心身と日々の生活をどこまで支配するのか。住居と雇用が結び付くとき、働く人の自由はどうなるか。働く人々は、自らの声をどのように残し、社会に伝えるのか。『女工哀史』は、100年前の女工たちの生活を記録しながら、現在の読者にもこう問いかけている。
参考文献
細井和喜蔵の著作・再刊
- 細井和喜蔵『女工哀史』改造社、1925年
- 細井和喜蔵『工場』改造社、1925年
- 細井和喜蔵『奴隷』改造社、1926年
- 細井和喜蔵『無限の鐘』改造社、1926年
- 細井和喜蔵『女工哀史』改造社文庫、1929年
- 細井和喜蔵『女工哀史』改造選書、改造社、1948年
- 細井和喜蔵『女工哀史』岩波書店、岩波文庫、1954年。1980年新版
- 細井和喜蔵『女工哀史』岩波書店、岩波クラシックス、1982年
- 細井和喜蔵全集刊行会・女工哀史記念会編『細井和喜蔵全集』全4巻、三一書房、1955~1956年
- 細井和喜蔵『小説女工哀史1 奴隷』岩波書店、岩波文庫、2018年
- 細井和喜蔵『小説女工哀史2 工場』岩波書店、岩波文庫、2018年
関連文献
- 高井としを『わたしの「女工哀史」』草土文化、1980年。岩波文庫、2015年再刊
- E・パトリシア・ツルミ『Factory Girls: Women in the Thread Mills of Meiji Japan』Princeton University Press、1990年
- 和久田薫『「女工哀史」の誕生――細井和喜蔵の生涯――』かもがわ出版、2015年
- 小田康徳『川西の歴史今昔 猪名川から見た人とくらし』神戸新聞総合出版センター、2018年
- 石田陽子『不屈の人 物語「女工哀史」』岩波書店、2025年
- 細井和喜蔵を顕彰する会『「女工哀史」から80年――いま、和喜蔵の声が聞こえる――』2007年
- 細井和喜蔵没後百年記念事業実行委員会『「女工哀史」から百年 今も、和喜蔵の声が聞こえる』2025年
関連項目
脚注
外部リンク
ウィキソースには、女工哀史/目次の原文があります。
ウィキソースには、女工哀史/女工小唄の原文があります。