宝寿院顕宥
宝寿院 顕宥(ほうじゅいん けんゆう、生没年不詳〈応永33年〈1426年〉以前 - 文明4年〈1472年〉頃〉)は、室町時代中期の祇園社(現・八坂神社)の社務執行(宝寿院門主)を務めた人物である。僧位僧官は法印権大僧都。
前任の宝寿院門主・顕縁の跡を承け、室町幕府との交渉や社領・敷地権益の回収・維持に努めた。嘉吉3年(1443年)の祇園会直前には室町幕府より大政所神主(職)を拝領し、執行と神主職を兼務して祭礼を掌理した。
生涯・事績
継承と御師権限の受領
顕縁の跡を継いで祇園社務執行職・宝寿院の権益を継承した。応永33年(1426年)6月、まだ顕縁が「社務執行」の職にあった時期に、「御師執行権律師顕宥」として室町幕府から祇園会に寄進された神馬3匹を受領しており[1]、当初は将軍家の「御師」等の権限を中心に担っていたと推測されている[1]。その後、社務執行職に本格的に就任した。 顕宥が史料上で「御師」および「社務執行」として活動した時期(応永33年〈1426年〉 - 文正元年〈1466年〉頃)は、室町幕府の第4代将軍・足利義持(大御所時代)から第8代将軍・足利義政の治世にあたっている。 このように顕宥は、足利義持・義教・義勝・義政という数代の足利将軍家にわたって「御師」を務めていたものと思われ、室町幕府(将軍家)との密接な主従・祈祷関係を背景として祇園社の社頭権益の維持や宝寿院の家格化を推進したと推測される。
敷地・社領権益の回収と不服申し立て
永享3年(1431年)8月より、神主職・敷地・社恩等の返付を室町幕府に不服申し立てし、同年9月、左方差符主計丞源縁親らから権益を取り戻すことに成功した[2]。
嘉吉元年(1441年)10月には、「祇園社務執行」として、左方神主職および鹿苑院(足利義満)寄附地であった大政所の敷地(左京五条坊門以南・東洞院以西一保四町)の返還を求める申状(「祇園社務執行顕宥申状」)を幕府へ提出した[3]。
また、嘉吉2年(1442年)10月にも、至徳年間に鹿苑院(足利義満)より寄附された同敷地(左京五条坊門南東洞院西一保四町)について、神主職の助貞任・雅意らによる不当な領有(掠領)に対し、明確な支証(証拠文書)を添えて幕府へ下知を求める申状を提出している[4]。
嘉吉3年の「大政所神主」拝領と少将井神主職相論
嘉吉3年(1443年)6月6日、祇園会の直前に室町幕府より「大政所神主(職)」を拝領し、社務執行と大政所神主を兼務することとなった[5]。顕宥は自ら大政所神主としてこの年の祭礼(祇園会)を司り、同年6月7日から14日にかけての同所における「御供納帳」や出銭の算用状を自ら手掛け、記録に残している[6]。
また、少将井神主職や差符、馬頭・馬上料足の分配権限を巡る相論において意見書(「祇園社執行顕宥支状案」)を提出した。この中で顕宥は、宝寿院が自馬上一始以来287年にわたって証文を保持し奉行を行ってきた正統な由緒を主張するとともに、対立相手の松寿丸(河野の子)について「近年の神主家の出白ではない(員外の仁)」と指摘して反論・批判を行った[7]。
社僧との対立と宝寿院の家格化
享徳4年(1455年)8月4日、社僧三綱春熙による妨害や謀計(社領管領の妨害)に対し、将軍家(室町幕府)から発給された安堵御判および御教書を根拠として、社務執行としての管領権限の正当性を幕府に訴えた(「宝寿院顕宥言上状案」)[8]。
この言上状案において、顕宥は「元弘以来給御教書、専為御祈祷人、建武三年七月、祗候東寺、致公私御祈之由」と述べ、元弘・建武以来の朝廷・幕府への祈祷の伝統と由緒を強調しており、顕深から顕宥に至る過程で祇園社務執行職が宝寿院家(門主)に定着・独占された時期の当主として自家の家格化を推進した[9]。
譲状と晩年
文正元年(1466年)9月20日、宝寿院顕重に対し、祇園社社務執行の諸職・所帯・神事奉行等を譲与する譲状(「顕宥祇園社執行職譲状」)を発給した[10]。
文明4年(1472年)9月付の「宝寿院顕重書状」の中に「顕宥歓楽(歓栄)之事」との追善・忌日に関する文言が見られるため[11]、文正元年の譲与以降、文明4年頃までに没したと推定されている。没後、社務執行職は宝寿院顕重へ継承された。
脚注
- 1 2 『新編 八坂神社記録』「祇園社・同社御旅所の役職歴代」842頁・849頁
- ↑ 『八坂神社文書 上』1142頁・1341頁 / 『新編 八坂神社記録』849頁
- ↑ 『八坂神社文書 上』76号 / 『新編 八坂神社記録』849頁
- ↑ 『新修八坂神社文書(中世篇)』76号「祇園社務執行顕宥申状」
- ↑ 『八坂神社記録 2』「祇園社宮仕浄徳申状」 / 『新編 八坂神社記録』849頁
- ↑ 『八坂神社文書 上』245号「御供納帳」 / 『新編 八坂神社記録』849頁
- ↑ 『八坂神社記録 2』「祇園社執行顕宥謹支言上」201頁 / 『新修八坂神社文書(中世篇)』83号
- ↑ 『新編 八坂神社文書 第一部』13号「宝寿院顕宥言上状案」3頁
- ↑ 『新編 八坂神社文書 第一部』13号
- ↑ 『八坂神社文書 下1』125号「顕宥祇園社執行職譲状」
- ↑ 『八坂神社文書 上』890号 / 『新編 八坂神社記録』849頁
参考文献
- 『八坂神社文書』(上巻・下巻1)
- 『八坂神社記録』(第2巻・第4巻)
- 『新編 八坂神社記録』
- 『新編 八坂神社文書 第一部』
- 『新修八坂神社文書(中世篇)』