対州馬
原産地 日本の旗 日本(対馬)
ウマ (Equus ferus caballus)
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対州馬(たいしゅうば、たいしゅううま)は、対馬(長崎県対馬市)を中心に飼育されてきた日本在来種の馬。古墳時代に朝鮮半島より移送し、日本へもたらされたと考えられている。

他の日本在来種と同様、体高147センチメートル以下のポニーに分類される小柄な馬だが、険しい山道の多い対馬にあって、かつては農耕馬や木材・農作物・日用品等の運搬に用いる駄馬として活躍し、生活に欠かせない存在であった。坂路への適応と温順な性質を特徴とする。

呼称

体格

特徴

日本在来馬に共通の特徴として、

対馬の暮らしと対州馬

鎌倉時代には、元寇の際に対馬国主であった宗氏一族の武将たちを乗せて活躍したと伝えられるが、当時と現在の対州馬の体格・性質の異同については明らかではない。

対州馬を産する対馬の地形は、標高200~300m前後の山地が全面積の90%近くを占め、傾斜地が多い。耕地率が3%以下と低く、男性はもっぱら漁に出ることが多かったこともあり、牛馬の飼養と馬による運搬は、もっぱら女性の仕事であった。

対州馬はその性質・体格から、狭く急峻な悪路での運搬も苦としない。また、体格が小さめで性質がおとなしいため、女性でも容易に扱える。このような特質をもった対州馬は、対馬の人々の生活によく馴染んでおり、明治以降、国策として西欧種による馬匹改良が推進されたときも、現地ではこれに積極的に従うことはなかった。そのため、対州馬は人々の生活と共にそのまま保存され、貴重な在来馬として現在まで残ることとなった(ただし、1931年に鹿児島県からアングロアラブ雑種の種馬が導入されており、雑種化が皆無であったわけではないが、その影響はほぼ見受けられない[1][2])。

1975年ごろまでは、対馬ではたいていどの家でも、牝馬2頭ずつが飼われていた。それぞれに1~2年に1頭ずつ子馬を生ませ、妊娠中は、妊娠していない方の馬を使役した。生まれた子馬は、明け2歳~明け3歳の間に市場に出された。代替わりで子馬を残した場合は、母馬の後ろをついて歩くうちに、自然と仕事を覚えてしまい、調教というほどのことはほとんどなされなかった[3]。

対馬と同じく坂の多い長崎市の高台地区でも、近年まで少数ながら、対州馬が建築資材の運搬などに使役されていた。

馬具

対馬では、馬の制御具として馬銜(はみ)を使わず、無口頭絡(むくちとうらく)や、「締め前立て(シメメーダテ)」(「前立て(メーダテ)」とも)と呼ばれる帯締頭絡が使われてきた。馭者は、無口頭絡の左の口元に結び付けられた「一本手綱」だけで馬を制御したが、これは、従順で性質の細やかな対州馬ならではの馭法といえる。

頭数の推移と現状

対馬の農業就業人口の減少に加え、道路網の整備と自動車の普及、農機具の機械化といった理由から、対州馬の飼養頭数は急激に減少している。

1952年の調査では2,408頭が確認されたが、60年には1,884頭、70年654頭、80年148頭、95年70頭、2000年29頭、05年25頭と、約50年で100分の1近くまで減少しており、在来馬としても宮古馬についで少ない[4]。

飼養者の高齢化が著しいこともあり、本種の絶滅が危ぶまれている。

保存活動

脚注

  1. ↑ 長崎県対馬支庁(編)『つしま百科 平成14年度版』, 長崎県対馬支庁, 2002年.
  2. ↑ “ゲノム解析を使って在来馬「対州馬」を守る | Mog-lab(食と農の楽しさを伝えるWEBマガジン)”. mog-lab.com. 2021年2月11日閲覧。
  3. ↑ 小島摩文 アジアと九州をつなぐモノ ~馬と民具の"物"語~
  4. ↑ 日本馬事協会調べ。保存地域外の飼養頭数を除く。
  5. ↑ 「跳ばす」には対馬方言で「競争する」の意味がある。
  6. ↑ 「対州馬の危機」. 長崎新聞コラム「水や空」, 2006年8月20日
  7. 1 2 “個人飼育の「対州馬」を対馬市が買い取り”. NBC長崎放送. 2021年5月24日閲覧。
  8. ↑ “東横イン上対馬に開業 初の本格的リゾート型 市が誘致 韓国人客の回復期待”. 西日本新聞. (2019年9月12日) 2022年11月23日閲覧。

関連項目

参考文献

外部リンク

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