尊鎮法親王

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尊鎮法親王(そんちんほうしんのう、1464年11月19日〈寛正5年10月20日〉- 1526年5月18日〈大永6年4月7日〉)は青蓮院第46代門跡および第163世の天台座主。

後柏原天皇の第三皇子(または第五皇子)。

生涯

永正9年(1512年)、9歳で青蓮院(しょうれんいん)に入室、翌年親王宣下を受け、名を清彦(せいげん)と称す。

その5日後に得度し、法名を尊猷(そんゆう)と号したが、のち尊鎮と改めた。

青蓮院の第46代門跡になるも、大永3年(1523年)知恩院と知恩寺との論争に関わり、門跡を辞して高野山に隠退。

のち、兄の後奈良天皇の迎えに応じて再び青蓮院に帰住した。

その後天皇の護持僧となり、天文10年(1541年)天台座主に補任。

天文19年(1550年)47歳で没した。

人物

能書家で知られ、青蓮院流の流れを汲む「尊鎮流」の元祖として多くの弟子を育てた。[1]

脚注

  1. ↑ “薬王院扁額 - 教育委員会 - 水戸市ホームページ”. www.city.mito.lg.jp. 2026年10月28日閲覧。