舜仁法親王

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舜仁法親王
有栖川宮家
舜仁法親王の肖像(モノクロ)
続柄

全名 公猷 → 舜仁(法名)
称号 亀代宮
身位 入道親王
出生 1789年2月25日
(寛政元年2月1日)
死去 (1843-10-04) 1843年10月4日(54歳没)
(天保14年9月11日)
父親 有栖川宮織仁親王
母親 常信院(高木敦子)
役職 天台座主
宗教 天台宗
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舜仁法親王(しゅんにんほうしんのう)は、江戸時代の皇族。有栖川宮織仁親王の第四王子、有栖川宮韶仁親王の同母弟、天台座主。舜仁入道親王とも称される。

文化5年(1808年)、光格天皇から親王宣下をうけ正道(まさみち)の名をあたえられる。剃髪して戒を尊真入道親王からうけ、法名を公猷と称した。のち天台座主となり、法名を舜仁とあらためた[1]。

脚注

  1. ↑ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “舜仁入道親王(しゅんにんにゅうどうしんのう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2026年10月24日閲覧。