山﨑雅人

ウィキペディアから、無料の百科事典
山﨑 雅人
名前
カタカナ ヤマザキ マサト
ラテン文字 YAMAZAKI Masato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-04) 1981年12月4日(42歳)
出身地 京都府京都市山科区[1]
身長 174cm[2]
体重 68kg[2]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 京都府立久御山高校
2000-2003 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2004-2005 日本の旗 横浜F・マリノス 15 (0)
2005 →日本の旗 大分トリニータ (loan) 10 (2)
2006-2007 日本の旗 大分トリニータ 51 (1)
2008-2010 日本の旗 ガンバ大阪 53 (6)
2010 →日本の旗 サンフレッチェ広島 (loan) 25 (3)
2011 日本の旗 サンフレッチェ広島 8 (0)
2011 →日本の旗 モンテディオ山形 (loan) 14 (4)
2012-2015 日本の旗 モンテディオ山形 119 (16)
2016-2018 日本の旗 ツエーゲン金沢 70 (9)
2018 →日本の旗 ザスパクサツ群馬 (loan) 14 (1)
通算 379 (42)
代表歴
2003 日本の旗 日本ユニバーシアード
監督歴
2024- 日本の旗 大分トリニータU-18
獲得メダル
サッカー
ユニバーシアード
金2003 大邱男子
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

山﨑 雅人(やまざき まさと、1981年12月4日 - )は、京都府京都市山科区出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。

経歴

京都大宅SSSでサッカーをはじめる。大宅中学校卒業、このころの同級生に松井大輔がいる。久御山高校を卒業後、2000年に国士舘大学に進学。大学の同級生に相馬崇人、村山祐介、北一真、冨士祐樹、鈴木弘大、原島喬らがいる。2003年、大学4年時にユニバーシアード代表に選ばれ、背番号10を背負いエースストライカーとして活躍[3]。2005年夏季ユニバーシアードでは5得点をあげチーム得点王、日本の金メダル連覇に貢献する。

2004年、横浜F・マリノスに入団。久保竜彦、安貞桓、坂田大輔、大島秀夫と層の厚いFW陣の中でなかなか出場機会に恵まれなかった[4]。

2005年8月、出場機会を求めて大分トリニータに期限付き移籍[4]。同年、リーグ初得点を含む2ゴールを挙げる。2006年、大分に完全移籍。ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場。翌2007年、出場時間も大幅に増え、シーズンの終盤戦にはスターティングメンバーに定着。

2008年、ガンバ大阪に完全移籍[4]。リーグ戦での出場機会は少ないながらも、AFCチャンピオンズリーグで5得点を挙げ、ACL優勝に貢献した。同年のFIFAクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッド[5] とCFパチューカ戦で得点をあげている。尚、同大会における欧州王者から得点を決めた初の日本人選手となった。2009年の天皇杯制覇にも貢献した[6]。

2010年、ACLに出場するサンフレッチェ広島に1年間の期限付き移籍[7]。怪我や体調不良、李忠成のブレイクにより試合出場は限られた[8]。広島からの要望により2011年からは完全移籍を果たした[8] ものの、同シーズンではすべて途中交代出場のみとなった[9]。

2011年7月、得点力不足に陥りFWのテコ入れが急務となったモンテディオ山形へ期限付き移籍すると[9]、すぐ主力に定着し2度の決勝点を挙げるなど活躍した[10]。2012年、山形に完全移籍した[10]。

2014年12月7日に行われたJ1昇格プレーオフ決勝のジェフユナイテッド千葉戦で決勝点を決め、チームのJ1昇格に貢献した。

2016年よりツエーゲン金沢へ完全移籍により加入した[2]。

2018年8月2日、ツエーゲン金沢よりザスパクサツ群馬へ期限付き移籍で加入することが発表された。同年12月11日、現役引退が発表された[11]。

2019年より大分のアカデミースタッフに就任[12]。2024年からは大分U-18の監督に就任した[13]。

人物

ストライカーというよりはチャンスメーカータイプで、前線からの守備にも労を惜しまず、ピッチを広く走り回るアグレッシブで泥臭いスタイルが持ち味の選手[5][14]。 ペリクレス・シャムスカは「戦術に忠実な選手」として重用[14]、西野朗は勝負強さを生かしスーパーサブとして起用した[5]。またFWだけではなくトップ下やサイドハーフとしてもプレー出来る[7]。

AFCチャンピオンズリーグに出場した年度ほとんどで得点をあげており、特に2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍をしたことから、「ACL男」と呼ばれた[6]。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000国士大39JFL61--61
200129124--124
20021710-0010
20031020--20
2004横浜FM27J11306110201
20052000-20
大分30102-21123
20062504010300
20072616020341
2008G大阪3044052396
20092320052284
2010広島332533010293
2011308010-90
山形33144-20164
201230J2354-10364
2013358-30388
2014364-62426
2015J11303100161
2016金沢J2387-00387
2017282-20302
201840-1151
群馬50J3141--141
通算日本J1 1891627219523523
日本J2 17625-13318928
日本J3 141--141
日本JFL 215-00215
総通算 4004727232845957

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2004横浜FM2741-
200541-
2008G大阪3012532
200961-
2010広島3330-
通算AFC 29832

その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

クラブ

国士館大学
横浜F・マリノス
ガンバ大阪

代表歴

ユニバーシアード日本代表

指導歴

脚注

  1. ↑ FW山崎雅人選手 2011シーズン サンフレッチェ広島へ完全移籍のお知らせ - ガンバ大阪オフィシャルサイト 2011年1月14日閲覧
  2. 1 2 3 4 5 6 7 『山﨑雅人選手 ツエーゲン金沢へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)モンテディオ山形、2015年12月29日。2016年1月2日閲覧。
  3. ↑ “連覇に導くゴールハンター・山崎 雅人(国士舘4年)”. 駒澤大学スポーツ新聞部 (2003年8月22日). 2010年1月12日閲覧。
  4. 1 2 3 “大分FW山崎がG大阪移籍を決断”. 日刊スポーツ (2008年1月13日). 2011年1月10日閲覧。
  5. 1 2 3 “選手情報”. Sports Graphic Number. 2010年1月12日閲覧。 [リンク切れ]
  6. 1 2 “2010サンフレ新戦力 FW山崎雅人”. 中国新聞 (2013年12月19日). 2010年1月30日閲覧。
  7. 1 2 “G大阪の山崎獲得 期限付き、トップ下で起用へ”. 中国新聞 (2010年1月6日). 2013年12月19日閲覧。
  8. 1 2 “完全移籍の山崎、再出発 トップ下定着目指す”. 中国新聞 (2011年2月2日). 2011年2月2日閲覧。 [リンク切れ]
  9. 1 2 “山崎、山形へ期限付き移籍”. 2011年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月22日閲覧。 - 中国新聞(2011年7月22日)
  10. 1 2 “FW山崎を完全移籍で獲得 DF宮本は契約更新、モンテ”. 2012年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月7日閲覧。 - 山形新聞(2011年12月30日)
  11. ↑ 『山﨑 雅人選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)ザスパクサツ群馬、2018年12月11日。2018年12月12日閲覧。
  12. ↑ 『山﨑雅人氏 大分トリニータ アカデミースタッフ就任のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2018年12月28日。2018年12月30日閲覧。
  13. ↑ 『【お知らせ】2024シーズン アカデミースタッフ体制のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2024年2月1日。2024年3月16日閲覧。
  14. 1 2 “選手データベース”. 2009年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月11日閲覧。 - WEBサッカーマガジン
  15. ↑ “2019シーズン アカデミースタッフ(育成)体制お知らせ”. 大分トリニータアカデミーブログ. 大分トリニータ (2019年2月1日). 2019年2月4日閲覧。

関連項目

外部リンク