平惟忠

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
平惟忠
時代 鎌倉時代
生誕 文治3年(1187年)
死没 弘長3年1月21日(1263年3月2日)
官位 参議、大蔵卿正二位
主君 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇
氏族 桓武平氏高棟流行義系親宗流
父母 父:平親国
母:不明
兄弟 惟忠、有親、範親
妻 不明
子 親継、女子(堀川基具室、あるいは堀川具守室[1])
テンプレートを表示

平 惟忠(たいら の これただ)は、鎌倉時代の公卿。参議、大蔵卿正二位。父は従三位平親国。参議を辞してのち、薨去するまで10年近く大蔵卿の任にあった。

経歴

以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。

系譜

脚注

  1. ↑ 『公卿補任』の基俊の項に従えば基具の室となり、『尊卑分脈』桓武平氏の惟忠の項に従えば具守の室となる。
  2. ↑ 嘉陽門院当年御給。叙爵の年月は不明である。
  3. ↑ 嘉陽門院暦仁元年御給
  4. ↑ 式乾門院当年御給
  5. ↑ 院御給
  6. ↑ 秩満により大宰大弐を去る

参考文献