度会博文

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度会 博文
東京ヤクルトスワローズでのコーチ時代
(2012年6月8日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1972-01-26) 1972年1月26日(52歳)
身長
体重
181 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手、三塁手、外野手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 1998年4月3日
最終出場 2008年10月12日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2009 - 2012)

度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。

登録ポジションは内野手だが、投手と捕手以外の全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍した。息子が2人おり、そのうち次男は横浜DeNAベイスターズ所属の度会隆輝。

経歴

プロ入り前

八千代松陰高等学校では2年秋の関東大会に出場して初戦は井出竜也が先発の吉田高に勝利したが、準々決勝で5回コールド負け[1]。中央学院大学に進学。大学2年時に頭角を現し始め、首位打者3回、ベストナイン4回、4年秋はMVP、大学通算で打率.475、9本塁打[1]。

1993年、ドラフト3位でヤクルトに入団。明治神宮外苑で草野球をしていたところ、片岡宏雄スカウトの目に留まり入団に至った[2]。

ヤクルト時代

1996年、1997年と2年続けて二軍で3割以上を打つ活躍を見せていたが、一軍の内野陣が鉄壁で大卒入団ながら四年間一軍未出場だった。

1998年には手薄な内野陣の中、8番三塁で開幕スタメンに抜擢されるなど、レギュラーを奪うかに見えたが、宮本慎也の復帰で1番一塁に回されるなど、スタメン定着には至らなかった。

1999年は一軍では打撃不振で、二軍中心のシーズンとなる。この年は.357で、二軍の首位打者のタイトルを獲得。その後は主に代打として活躍。また守れるポジションが多いため、緊急事態に備えて一軍ベンチに置かれることも多かった。

2001年、読売ジャイアンツとの首位攻防3連戦で2連敗し首位から陥落して迎えた3戦目の8月12日、3対4の1点ビハインドの中、7回1死二、三塁のチャンスで代打で出場すると1塁線を破る起死回生の逆転2点タイムリーを放ち、チームを再び首位へと導いた。試合後のヒーローインタビューでは「ベンチから気を抜かずにいつも一緒に試合に出ているような感じでいます」とコメントを残した。[3]

2006年には高い代打率を残した。また同年は右の代打の切り札であった土橋勝征が引退したため、度会がその任を受け継ぐ形になり、主に左投手相手に起用された。

2008年9月29日、現役引退を発表。神宮球場の最終戦で、同年限りで引退する真中満・小野公誠・河端龍と共に引退セレモニーが行われた。最終打席はレフトフライ。

引退後

ヤクルトのコーチを務めた後、球団広報[4]や、球団営業を務める[5]。

2020年には、広報とファームディレクター補佐を兼任した[6]。

2021年は、スカウトを務める[6][7]。

ヤクルトジュニアチームの監督を務めており[5]、2022年4月に開校を目指していたヤクルトアカデミーの設立準備室の責任者も務め、その後、同アカデミーのヘッドコーチを務めている[8]。

家族

博文と同じく野球をプレーする2人の息子がおり[4]、引退セレモニーの始球式はその息子2人がバッテリーを組んで行われた[9]。

長男の基輝は拓殖大紅陵高、中央学院大を経てJPアセット証券に所属。

次男の隆輝は横浜高を経てENEOSに所属し[10]、第93回都市対抗で橋戸賞、打撃賞、若獅子賞を受賞するなど活躍[11]。2023年のNPBドラフトでは1位指名で3球団(横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズ、千葉ロッテマリーンズ)が競合、くじ引きによりDeNAが交渉権を獲得、のちに入団をした。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1998 ヤクルト 852272052654904751211811221324.263.306.366.672
1999 1941383800082001021041.211.250.211.461
2000 6061538142101840050300101.264.304.340.644
2001 5352491115501238103000040.306.306.469.775
2002 7289836184022890010500163.217.261.337.598
2003 394540812302214012031081.300.349.525.874
2004 56646011740021110101201141.283.313.350.663
2005 45646017100800130100100.117.131.133.264
2006 273128310200123001020041.357.400.429.829
2007 6895889184002280061000161.205.202.250.452
2008 3330000000000000010.000.000.000.000
通算:11年 5277727077617334192366124303304211913.245.276.334.610

記録

背番号

  • 47 (1994年 - 2000年)
  • 4 (2001年 - 2008年)
  • 83 (2009年 - 2012年)

登場曲

脚注

  1. 1 2 '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  2. ↑ “トータルテンボス・藤田が夏の甲子園を“総括””. 東京スポーツ. 2014年8月31日閲覧。
  3. ↑ 『おめでとう若松ヤクルト 2001セ・リーグ優勝速報(日刊スポーツグラフ)』日刊スポーツ出版社、2001年11月8日、78頁。
  4. 1 2 “【絆トーク】ヤクルト・度会広報の2人の愛息が“最後の夏”迎える「頑張ってほしい」”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年4月12日) 2017年10月21日閲覧。
  5. 1 2 “ヤクルトジュニア度会監督、三輪コーチ河端龍コーチ”. 日刊スポーツ. (2020年12月28日) 2021年8月13日閲覧。
  6. 1 2 “12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月24日). 2021年8月11日閲覧。
  7. ↑ “2022スカウト布陣から読む12球団補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2022年1月22日). 2023年4月18日閲覧。
  8. ↑ “開校ヤクルトアカデミー、次世代の山田、村上育てる! 22年4月予定、プロ野球10球団目”. サンケイスポーツ. (2021年8月11日) 2021年8月13日閲覧。
  9. ↑ 高木遊 (2021年11月11日). “父が輝いた、あの神宮で…元ヤクルト度会博文の長男・基輝が13年ぶりに戻る“大舞台”「お父さんに似て思いきりが良い」”. Number Web: p. 1 2022年8月1日閲覧。
  10. ↑ 楢崎豊 (2022年4月3日). “父は元プロ野球選手 名門チームで野球を続ける"兄弟"が受け継ぐ、仲間を思う気持ち”. Full-Count: p. 1 2022年8月1日閲覧。
  11. ↑ “ENEOS優勝の立役者・度会隆輝が評価急上昇 スカウト絶賛「NPBで首位打者」「天才的」「上位候補」”. Sponichi Annex. (2022年7月29日) 2022年8月1日閲覧。
  12. ↑ “DeNAドラ1度会がハマスタ初試合で躍動!第1打席にしぶとい内野安打&二盗、五回には勝ち越し適時二塁打”. デイリースポーツ online (2024年3月12日). 2024年3月11日閲覧。

関連項目

外部リンク