チャン・ユ

張 維
生誕 1587年
死没 1638年
職業 文臣
子供 仁宣王后
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張維
各種表記
ハングル: 장유
漢字: 張 維
発音: チャン・ユ
日本語読み: ちょう い
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張 維(チャン・ユ、ちょう い、朝鮮語: 장유、1587年 - 1638年[1])は、李氏朝鮮の仁祖時期の文臣。右議政を務め、死後、領議政を追贈[1]。仁宣王后の父[1]。

人物

李氏朝鮮の宮廷は、朱子学の諸説を巡って士大夫たちが偉くなろうと政争を繰り返しており、朝鮮の学者は、政争が起こるたびに関わり、政治的なポジションを高めていくことが行動パターンになっていると自己批判している[2]。すなわち、「中国には学者がいるが、わが国にはいない。蓋し中国の人材は志が頗る並みでない。志のある士大夫であれば心から学問に向かい、好むところ学ぶところも同じではない。そこで各々が往々にして実を得るのだが、わが国は違う。齷齪と縛られ、未だにみな志がない」と述べている[3]。

張維は、朝鮮を征服した後、箕子朝鮮を建国した中国殷王朝の政治家箕子について、「檀君が開闢し、箕子が教化した」と主張しており、箕子による朝鮮人教化を讃え、箕子の功績を賛美し、朝鮮における箕子の存在を誇り、箕子の功績を繰り返し称賛している[4]。

脚注

  1. 1 2 3 “장유 張維,1587~1638”. 斗山世界大百科事典 2022年7月1日閲覧。
  2. ↑ “韓国が重ねる歴史研究の「虚偽」自分たちが作った「韓国史」という偶像を崇め奉る韓国人”. 産経新聞. (2016年3月17日). オリジナルの2021年7月19日時点におけるアーカイブ。
  3. ↑ “韓国が重ねる歴史研究の「虚偽」自分たちが作った「韓国史」という偶像を崇め奉る韓国人”. 産経新聞. (2016年3月17日). オリジナルの2021年7月19日時点におけるアーカイブ。
  4. ↑ 姜智恩 (2017年6月). “朝鮮儒者中華認同的新解釋 ─「天下」與「國家」的整合分析” (PDF). 中央研究院近代史研究所集刊 (中央研究院) (96期): p. 51-52. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。
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