張 説(ちょう えつ、667年(乾封2年) - 730年(開元18年))は、中国唐の政治家・詩人。字は道済。西晋の司空の張華の末裔にあたる。文官・武官として順調に官職を重ね、工部侍郎・同中書門下平章事・中書令・巡察使・節度使を歴任し、三度も宰相となった。
667年に洛陽で生まれる。本貫は范陽郡方城県であるが、蒲州河東県に移住し、数代前に再び移住して洛陽に出た。
703年9月、魏元忠を疎んじた張易之・張昌宗の兄弟が武則天に魏元忠が謀反を企んでいると誣告した。張説は官位を餌に偽証を求められたが、告発は虚偽のものであり魏元忠は無実であると主張して欽州に流罪となった。このことから後に中宗や玄宗の信頼を得た。
713年には、玄宗に刀を送って太平公主に対する挙兵を決断させ、その功績で燕国公に封じられた。
また、詩人としても名を成し、作品として『張説之文集』がある。
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