| 神秀 | |
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| 606年 - 706年 | |
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| 諡号 | 大通禅師 |
| 尊称 | 三帝国師 |
| 生地 | 汴州尉氏県 |
| 没地 | 洛陽天宮寺 |
| 宗派 | 禅宗(北宗) |
| 寺院 | 洛陽天宮寺、荊州当陽山玉泉寺、度門寺 |
| 師 | 五祖弘忍 |
| 弟子 | 普寂 |
神秀(じんしゅう、606年(大業2年) - 706年4月15日(神龍2年2月28日))は、中国禅宗(北宗)の六祖(北宗としては開祖)。諡は大通禅師。俗姓は李。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)の出身。
彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であり、弟弟子の六祖慧能の直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。(この点を、『壇経』では、神秀の「身は是れ菩提樹、心は是れ明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」と、慧能の「菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄(伝本では本来無一物)、何れの処にか塵埃を惹かん」の偈によって象徴している)
当初は彼が六祖とされていたはずなのだが、後に六祖慧能の弟子で七祖を自称した荷沢神会の北宗批判により、それまでは区別のなかった東山法門派が神秀門下の「北宗」、慧能門下の「南宗」の二派に分かれるようになり、南宗開祖の慧能が神会の目論見通り、六祖となった。
彼の後は弟子の普寂が嗣いだ。
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