『征途』(せいと)は、佐藤大輔によって書かれた架空戦記である。1993年から1994年にかけて、徳間書店(トクマノベルズ)から全3巻が刊行された。佐藤の出世作であり、佐藤の長編シリーズ作品中、唯一完結したシリーズでもある。
第1部「衰亡の国」は、冒頭で宇宙往還機の発進を前にした1995年の沖縄県嘉手納宇宙港の情景が描かれた後、一転して1944年のレイテ沖海戦まで視点が溯る。日本艦隊はサマール島沖で栗田健男提督が戦死した後も進撃を続けレイテ湾に突入、上陸作戦中の合衆国陸海軍に大打撃を与える。その結果として合衆国は沖縄侵攻を遅らせると共に、ソヴィエトに対して北海道侵攻を認める。
第2部「アイアン・フィスト作戦」および第3部「ヴィクトリー・ロード」では、ソヴィエトの樺太・北海道侵攻の結果、留萌 - 釧路線を境界として東京を首都とする日本国と豊原市(樺太)を首都とする日本民主主義人民共和国(北日本)に分断された二つの日本が、北海道戦争/祖国解放戦争・ヴェトナム戦争・湾岸戦争を通じ激しく対立しながら発展していく有様を、同じように分断された藤堂兄弟を中心に描き、北日本の独裁者の死をきっかけに勃発した最後の戦いの後、宇宙往還機が発進した直後の嘉手納宇宙港で幕を閉じる。
物語は、これらの歴史に関わった藤堂家一族と、1隻の戦艦=太平洋戦争を生き残った戦艦大和を中心にして、「あり得たかもしれない、もう一つの日本の戦後史の歩み」を描いている。
本作品においては、大和型戦艦が重要な役割を担っている。概要及び活躍は以下の通り。
両艦とも1944年10月の捷一号作戦までは史実とほぼ変わらない。捷一号作戦時、大和は、史実では副長の能村次郎中佐(当時)が砲術長を兼任していたが、この作品では新任の藤堂明中佐が砲術長を務めていたことにされている。
シブヤン海で、武蔵の代わりに長門が米海軍高速空母機動部隊の空襲により沈み、サマール島沖での米護衛空母部隊との戦闘中に大和が被弾、栗田健男中将以下の第二艦隊司令部、宇垣纒中将以下の第一戦隊司令部、森下信衛艦長、能村副長らが全員戦死する(この時、大和の艦橋に命中したのは利根の主砲の流れ弾だったが、作品世界内でその事が明らかになったかどうかは不明。また、この利根の砲弾は後に北日本の秘密警察長官となった滝川源太郎が兵器工廠で仕上げたものとも示唆される記述もある)。大和の指揮は藤堂砲術長が代行し、武蔵他の僚艦と共にホモンホン沖で真珠湾帰りの米旧式戦艦6隻を撃沈。さらにレイテ湾で「セント・クリスピンの虐殺」と呼ばれる上陸船団及び海岸堡に対する艦砲射撃を行った。
本土帰還後、大和は損傷修理を兼ねた大改装を受ける。
武蔵についても三二号電探の搭載と機銃などの増設が行われた。
1945年7月25日、武蔵以下重巡利根、鳥海、軽巡矢矧、駆逐艦10からなる第2艦隊(司令長官・伊藤整一中将、武蔵艦長・藤堂明大佐)は沖縄沖で戦艦8、重巡最低3からなる合衆国海軍第54任務部隊と激突した。台風の影響もあって混乱した合衆国軍が戦力を逐次投入してきた事も幸いし、武蔵は戦艦ミズーリ、ニュージャージー、インディアナ他1隻(作中描写からおそらくアイオワ)を撃沈し、他に戦艦数隻を大破させたが、ウィスコンシンなどの反撃を受けて4番副砲に被弾誘爆、3番主砲破壊の損害を受けたのち、合衆国海軍の集中攻撃によって寛大な被害を受け、最終的に沈没する。
1945年8月21日、大和と少数の駆逐艦からなる水上部隊は石狩湾に来襲したソヴィエト艦隊を迎撃、戦艦ガングート、セヴァストポリ、アルハンゲリスク他輸送船多数を撃沈・撃破する。大和自身も被弾し黛治夫艦長らが戦死するが致命傷とはならなかった。一方、既に道北地方を制圧しつつあったソヴィエトは、この敗戦によって北海道全島占領が困難となり、合衆国軍が意図的にソ連軍に近い旭川と函館へ反応弾を投下したことによって日本が降伏。第二次世界大戦が終結した。
終戦後、大和は合衆国軍によって接収された。一時は反応兵器実験の標的艦にされる予定だったが、1947年に日本民主主義人民共和国(いわゆる「向こう側」)が成立したことを受け、またも呉にて改装された。
改装後、「大和」は超甲型警備艦「やまと」として海上保安庁海上警備隊に配属された。
北海道戦争中盤の1952年6月5日、やまとは国連日本援助軍エイヴル部隊の一員として、ソヴィエト義勇艦隊及び北日本赤衛艦隊と第二次日本海海戦を戦う。旗艦アラバマが撃破された後はやまと艦長の猪口敏平が艦隊指揮を代行し、巡洋戦艦クロンシュタット、セヴァストポリを撃沈、戦艦ソヴィエツキー・ソユーズを大破させた。しかし、向こう側の駆逐艦「解放」(旧春月)の魚雷が命中、速力が落ち追撃を断念する。
北海道戦争後、海上自衛隊の発足と共に「やまと」も護衛艦隊に移管し、超大型護衛艦(艦番号BB-11)に改称される。一時期予備艦となったが、ヴェトナム戦争参加に際して現役に復帰、小改装(電子戦能力の向上、ヘリ甲板仮設など)を受けた上でヴェトナムへ派遣され、護衛艦あきづきらと共に艦砲射撃を行った。
ヴェトナム戦争後ふたたび予備艦となり、呉でモスボールされていた「やまと」は、1980年代に入って「10・4・10・10艦隊」計画により大改装を受け、長砲身化した新型主砲への換装・VLS搭載・イージスシステムの装備などの大改装を受け、イージス艦として現役復帰する。
1991年1月の湾岸戦争で、藤堂明の息子、藤堂進を艦長(一等海佐)として空母ミッドウェイを巡る戦闘に参加。その戦訓からCIWS増設やRAMの搭載により近接防御能力を向上させた後、1994年7月の統一戦争では第2機動任務群第8護衛隊司令となった藤堂進(海将補)の指揮下の元向こう側の赤衛艦隊との第三次日本海海戦に参加、僚艦と共に赤衛艦隊を壊滅させた。さらに樺太の戦略打撃軍IRBM基地に対する艦砲射撃を実施した。
作中に登場する実在の兵器の一部には一般的な表記と異なる名前が用いられている物がある。
新書版 トクマノベルズ(徳間書店)
文庫版 徳間文庫(徳間書店)
愛蔵版 中央公論新社
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