志々田浩太郎

ウィキペディアから、無料の百科事典
志々田 浩太郎
ししだ こうたろう
生年月日 (1966-05-26) 1966年5月26日(60歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都武蔵村山市
出身校 北海道大学文学部
前職 国家公務員(郵政省)
所属政党 (日本新党→)
無所属
公式サイト 志々田 浩太郎
当選回数 2回
在任期間 1994年 - 2002年
テンプレートを表示

志々田 浩太郎(ししだ こうたろう、1966年〈昭和41年〉5月26日[1] - )は、日本の政治家、郵政官僚。元東京都武蔵村山市長(2期)。桃源堂ホールディングス代表取締役。

概要

東京都北多摩郡村山町(現武蔵村山市)生まれ。武蔵村山市立第三中学校、東京都立立川高等学校を経て、1991年北海道大学文学部卒業。北大卒業後、郵政省(現総務省)に入省し、通信政策局(現情報通信政策局、2008年7月4日廃止)に配属される。1993年に郵政省を退官し、結党から間もない日本新党に入党。日本新党の政策綱領の作成に携わった。

1994年、27歳で武蔵村山市長選挙に無所属で立候補し、初当選。2023年4月23日に高島崚輔が26歳2か月で兵庫県芦屋市長に当選するまで全国で史上最年少の市長だった[2][3]。

1998年の武蔵村山市長選挙で再選。

武蔵村山市長在任中の1999年には、日産自動車の副社長らからは日産自動車村山工場の閉鎖を告げられた。志々田は再考を求めたが先方は姿勢を変えず、その後志々田は周囲に「日産車にはもう乗らない」と怒りを表したが、同時に行政や武蔵村山市長の無力さを感じたという[4]。

2002年の武蔵村山市長選挙にも3選を目指して出馬したが、元武蔵村山市助役の荒井三男に敗れ、落選。

参考文献

脚注

  1. ↑ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、151頁。
  2. ↑ “大阪・四條畷市長に28歳・東氏 現職首長で最年少”. 日本経済新聞 (2017年1月16日). 2017年6月3日閲覧。
  3. ↑ “史上最年少の芦屋市長、灘高・ハーバード卒でTikTokも駆使…草の根選挙展開”. MSN. 2023年4月24日閲覧。
  4. ↑ “大企業前に「弱さ」痛感 依存より“協力”選んだ日産の城下町”. 毎日新聞. 2026年3月28日. 2026年6月23日閲覧.

外部リンク

先代
渡辺禮一
東京都武蔵村山市長
1994年 - 2002年
次代
荒井三男