扇子(せんす)とは、
「おうぎ」という言葉は古くは「あふぐ」(扇ぐ)の派生形のと呼ばれた[1]が、日本語の変化によって関連が分かりにくくなった。
数本から数十本の細長い竹や木でできた骨を束ねて端の一点(要=かなめ)で固定し、使わないときは折りたたみ、使用時に展開する。骨にはたいてい紙が貼られており、展開すると紙を貼られた部分が雁木形の扇面となる。折り畳むことで小さく納めることができる。開閉の方法は、骨を右手親指でずらすように押すことで開く。一般的には右利き用であるが、左利き用も販売されている。また、扇子そのものを振ることで開く方法もある。折りたたんだ際の形状が持ち運びに優れていることから、夏場の外出時での涼みに使えるとして愛用する人も多い。
扇子を開く角度はだいたい90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120度前後のものが主流である。扇子を開いた形は「扇形」(おうぎがた/せんけい)と称し、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は「末広がり」に通ずるので縁起の良いものとされ、めでたい席での引出物としても用いられる。

「扇」という漢字は本来軽い扉のことを意味し、そこから転じてうちわ(団扇)のことをいうようになった。うちわは紀元前の中国で用いられたという記録がある。また古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があり[4]、日本では利田遺跡(佐賀県)において、うちわの柄が出土した例がある[5]。このようにうちわは文明発祥時から存在する。団扇(うちわ)は中国文明において発明されたと考えられており、隋唐時代に東アジアの各地に伝えられた[6]。日本において「扇」を記載した文献に『万葉集』や『続日本紀』があるが、これらの「扇」は中国式の団扇のことと推定されている[6]。
一方、折り畳み式の扇の起源やどこで最初に発明されたかについて、日本説、高麗説、中国説など長い間議論されてきた[6]。
日本では平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れる。これが現代に見られる扇の原型であるが、このころの紙貼りの扇は扇面の裏側に骨が露出する形式だった(室町時代以降、扇骨の両面に紙を貼る形式が広まった)。平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、『源氏物語』など、多くの文学作品や歴史書に記されている。このように扇は涼をとったり、もてあそび物にされたりする一方で、時代が下るにつれ儀礼の道具としても重んじられた。公家や武家また一般庶民の別なく、日常や冠婚葬祭での持ち物の一つとされた。
ほかには、宮中において2組に分かれて扇を持ち合い、その描かれた絵画や材質の優劣を競い合う扇合せという行事が円融天皇の天禄4年(973年)に行われたという記録がある。また近世には毎月一日、天皇が三種の神器が安置されている内侍所へ参拝する時の持ち物として、御月扇と称して月毎に末広の扇が絵所より新調されたが、そのほかに表面に古代中国の賢聖、裏面に金銀砂子に草花を描いた賢聖御末広という末広が献上されることもあった。
舶来品の折り畳み式の扇(摺扇)は、北宋の時代に中国に流入し、明代になると大量に製作されるようになった[6]。扇は中国文化とりわけ京劇、川劇、崑劇などの伝統劇曲の舞台道具として役割を発揮するようになった[6]。
北宋に伝わった折り畳み式の扇は構造も変化し、扇骨の片面にのみ紙を貼る構造から扇骨の両面に貼る構造に変化した[6]。扇骨の両面に貼る構造に変化した扇は「唐扇」として室町時代に日本に逆輸出され、日本の扇子にもこの形式が広まった[6]。
日本では室町時代になり扇子を閉じたときの先端の形状により、末広/中啓、雪洞、鎮折の3つの基本となる形式が確立された[6]。また、唐扇の特徴を取り入れつつ、扇面に日本画を描いた「貢扇」が作られるようになり明との貿易で大量に輸出された[6]。
さらに扇子は能や狂言、茶道に必須の道具となり、江戸時代には庶民にも普及していった[6]。
日本において、中世までの主産地は京都で、江戸時代になると京都の職人が移り住んだ江戸での扇子づくりが盛んになった。職人が多い京都では分業制であるのに対して、江戸扇子は職人が一人で制作する。江戸扇子は京扇子に比べて骨太で、骨の数も多くしっかりしている。 折り幅も広いことが特徴で、京扇子と同じように閉じた時に“パチン”とした音が響く。 また、女性的な京扇子に対して男性的なデザインや形状のものが多いことも特徴。 しかし、今日では色々な種類の扇子が作られており、京扇子と江戸扇子を見分けることは、非常に難しい[10]。
現代において扇子の需要は減少したが、扇面の絵柄を現代的にしたり、骨の長さを左右非対称にしたりした扇子も制作されている[11]。
東洋の扇は16世紀にヨーロッパに伝わり、17世紀にはヨーロッパで扇が製作されるようになった[12]。当時エキゾチックな文物を盛んに取り入れていたスペインで最初に受容された扇子は「スペインの煽具」の名で各国に伝搬し[13]、貴族の女性の持ち物として、日本や中国のものとは違う独自の様式の扇が作られた[14]。ヨーロッパにおいて扇は女性の持ち物として普及し、18世紀にはフランスなどでロココ様式による優雅なものが数多くつくられた[12]。
日本からも1872年の1年間に80万本が輸出されたという[12]。スペインでは扇が女性の必需品とみなされていた[12]。画家のエドゥアール・マネはスペイン趣味で扇を手にする女性を描いたが、日本の扇のようなものもありジャポニスムの影響とみられる点もある[12]。またベルト・モリゾの作品にも日本の扇や団扇をモチーフに描いたものがある[15]。
ヨーロッパで作られた扇を洋扇という。17世紀のパリには扇を扱う店が150軒を数えるほど、上流階級の女性のコミュニケーションの道具として大流行した。ヨーロッパでは絹やレースを貼った洋扇に発展し、孔雀の羽根を用いた扇子も作られた。18世紀には扇子言葉というボディランゲージが生まれるなど、ヨーロッパの上流階級に根付いていた(参照:en)。
このヨーロッパの形式の扇も日本へ逆輸入され絹扇(きぬせん)が生まれた[16]。





日本の家紋の意匠としても用いられ、摺り畳扇を図案化した扇紋(おうぎもん)と板扇を図案化した檜扇紋(ひおうぎもん)がある[24]。扇紋には「五本骨扇」などの骨の数によって表されるものや、より写実的な図案の「雁木扇」や反り返りの付けられた「反り扇」、また、扇の部位を用いた「扇骨」(おうぎぼね)や「地紙」(じがみ)といったものもある。佐竹氏の「佐竹扇」、島原藩の「島原扇」や浅野氏の「浅野扇」などがあり、高崎藩や三遊亭の紋である「高崎扇」(三つ雁木扇)は小説などにも出てくる。檜扇紋では、「山崎扇」や「秋田扇」などがある。
文箱や硯箱、染織の意匠としても用いられた。「扇面源氏蒔絵文庫」には文庫の蓋表から側面にかけて、『源氏物語』の一場面が描かれた扇を2面描いている。扇子や扇子を持った婦人は、日本画の題材としても多く描かれた[25]。
| 記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
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| 🪭 | U+1FAAD | - | 🪭🪭 | FOLDING HAND FAN |
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