旅騎校尉

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旅騎校尉(りょきこうい)は、中国の南北朝時代に北斉(550年 - 577年)にあった官職である。皇太子の警護にあたる兵士を率いる部隊長の一人である。太子旅騎校尉(たいしりょきこうい)ともいった[1]。官品は第五品[1]。

解説

政情不安が続いた南北朝時代には、皇太子の武力が充実しており、軍を率いる衛率のほか、太子三校という特別な部隊長を三種類用意した。北斉の旅騎校尉はその一つで、ほかに屯衛校尉・典軍校尉があった[1]。

左衛坊率、右衛坊率に属し、定員2人[1]。左衛坊率の下に左旅騎校尉1人、右衛坊率の下に右旅騎校尉1人と分かれていたともとれるが、記述が簡略で任命例もないので不明。30人の騎尉が属したが、これも騎尉が全部で30人なのか、一人の校尉に各30人が付いたのか、不明。騎尉の下にさらに兵士があったかどうかも不明である。

脚注

  1. 1 2 3 4 『隋書』巻27、志第22、百官中、後斉。

参考文献

外部リンク